近代技術によるダムの曙

明治政府は、お雇い外国人の活用や、多くの日本人留学生を欧米に送り出すことにより、海外の制度や学問・技術を積極的に導入し、我が国の近代化をめざしました。土木工学やダム建設技術もその一つです。


日本における近代的ダム建設は、水道用水源としてのダムから始まりました。横浜、長崎等の港湾都市が発展する一方で、コレラ等の水系伝染病が流行しました。このため、港湾都市を中心に、近代的水道の整備が進められました。


長崎市では、 本河内高部 ほんごうちこうぶ ダムが我が国最初の水道用ダムとして1891年に完成しました。神戸市でも、 布引五本松 ぬのびきごほんまつ ダムが1900年に完成しました。


電力については、当初、火力発電が主体でしたが、次第に紡績会社や鉱山会社による産業用の水力発電がおこなわれるようになりました。琵琶湖疎水の落差を利用した 蹴上 けあげ 発電所(1891年運用開始、京都市)は、わが国最初の一般用水力発電で、京都市電の動力となりました。


農業水利においても海外の技術が導入され、その一例として、猪苗代湖を水源とする 安積疎水 あさかそすい が1882年に竣工し、大規模な開墾を可能にしています。