平成11年6月29日、中国地方にも梅雨前線の影響による集中豪雨が襲い、広島県では広島市や呉市など各所で土石流や崖崩れが発生、多くの犠牲者を出した。
この梅雨前線は23日頃から停滞し、その上を低気圧が次々と通過したため、広島県内は27日にかけて断続的な大雨となっていた。28日に雨はいったん止んだが、29日には、南からの暖かく湿った空気が入り込んで梅雨前線の活動が活発となり、広島市は午後1時頃から4時頃にかけて、局地的に豪雨となった。特に土石流被害の大きかった佐伯区や安佐南区では、午後1時40分からの1時間に100
mm以上の雨が建設省のレ―ダー雨量計で観測されている。呉市では、崖崩れが多発した南部を中心に帯状に強い雨が降り、午後2時40分からの1時間に70
mm以上の雨が観測されていた。また、呉測候所では午後3時50分からの1時間雨量が73.5 mmと、6月の1時間雨量としては同測候所が大正9年に観測を始めて以来の最高を記録した。この豪雨で広島地方気象台は、呉市付近において午後3時から4時までの1時間におよそ100
mmの解析雨量を観測したため、午後4時20分、記録的短時間大雨情報を発表した。
23日から27日にかけて大量の雨が降り、地盤が緩んでいたところへ局地的に豪雨が降ったことで、広島市や呉市の山沿いの地域では、29日午後3時から5時にかけて同時多発的に土砂災害が発生した。県内では、合わせて139か所で土石流が発生、186か所で崖崩れが起きた。その被害は、土砂に流されたり押しつぶされて全壊した家屋が69棟、半壊した家屋が74棟、死者は24人に上り、大惨事となった。
中国山地の南斜面に位置する広島県は、面積の約70 %が山地で、花崗岩類や流紋岩類が広範囲に分布している。花崗岩は風化を重ねると、もろい「まさ土」となり、深い層まで風化が進んでいる場合には、滑落や崩落することが多く、土砂災害の要因となっている。広島市西部や呉市の山の斜面には、このまさ土が堆積しており、今回の土砂災害の多くは、風化したまさ土が大雨で泥状化し、岩盤上を一気に流れ落ちたことによるものであった。
こうした地質特性のため広島県には、土石流危険渓流が4930か所、急傾斜地崩壊危険箇所が5960か所もあり、その数は全国で最多となっている。今回の土砂災害で犠牲者の出た14か所の被災地のうち、11か所がこれら危険箇所に該当していた。
また、広島県の森林は約3分の1がアカマツで、近年は松食い虫の被害による松枯れがひどく、土壌はより不安定となっていた。住宅地の裏山などでも枯死した松が随所に見られ、土石流はこれらの木々を巻き込みながら流れ下り住宅地を襲ったため、被害がさらに拡大したものと見られている。
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谷を流れ下った土石流は、古野川に沿って点在する住宅を次々と襲った(広島市佐伯区五日市町上小深川) |
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今回、特に大きな被害を受けた地域の状況は次のようであった。 29日午後4時過ぎ、広島市佐伯区屋代で、豪雨により屋代川の支川が氾濫し土石流が谷筋の堰堤を越えて住宅を直撃、15棟が全壊、8棟が半壊し、住民1人が川に流されて死亡した。同区五日市町上小深川では、午後4時30分頃、八幡川支川の古野川上流にある山の中腹で山崩れが起きて土石流が発生、八幡川との合流点まで約1
kmを流れ下った。土石流は川に沿って点在する住宅を次々と破壊し、10棟が全壊、7棟が半壊して、住民2人が犠牲となった。いずれの場合も、平常時には幅2
mほどしかない河道を、土石流が両岸の木々を巻き込みながら流れ下り、谷間や谷の出口付近に広がる住宅地を襲った。 佐伯区八幡ケ丘では、午後3時半頃、障害児通所施設で裏山の崖が突然崩れ、一瞬のうちに大量の土砂が職員室の窓ガラスを破って建物内に流れ込んだ。約20人の園児は早めに帰宅していて無事だったが、職員4人が土砂にのみ込まれ、1人が自力で脱出し、3人が救出されたが、1人が亡くなった。救出現場では、駆けつけた消防隊員に協力し、バケツリレーで土砂を運び出す住民の姿があった。
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刻々と移り変わる強い雨域の移動の様子と、災害の発生場所を伝える河川情報センターの端末画面。上から6月29日午後2時10分、午後2時40分、午後3時10分、午後3時40分、午後3時50分の画面。南北に帯状に延びる強い雨域が、短時間に南西から北東方向に通り過ぎていく様子がよく分かる |
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これは八幡ケ丘町内会連合会の自主防災会が、町内に設置している有線放送を使って住民に救助活動の協力を呼びかけたためで、今井千代次連合会長は「この町に住み25年になるが、こんなに大規模な土砂崩れは初めて。消防隊員だけではとても間に合わないと思い、住民に協力を呼びかけた」と話す。放送を聞いた主婦ら約100人がバケツやシャベルを持って駆けつけ、交代で土砂を取り除く作業を手伝った。この通所施設がある八幡ケ丘2丁目の村井利行自主防災会長は「指示に従い、皆さん本当に一所懸命にやってくださって、住民のパワーはすごいと思った。今、市街地に近い山は荒れたままで放置され、崩れやすくなっている。今後も大雨の時には土砂崩れなどに十分気を付けなければ@@」と話している。
安佐北区亀山では午後4時頃、住宅の裏山が山頂付近で崩れて土石流が発生。平常時は幅1.5 mほどの沢を数百メートル流れ下って住宅を押し潰した。この土石流では、一家6人のうち4人が生き埋めとなり亡くなっている。
この沢は県の調査による土石流危険渓流に該当していた。 また、呉市吉浦東町でも午後5時過ぎ、住宅地の裏山で土砂崩れが起きた。土砂は谷間を一直線に約200
m下り落ち、竹林を押し流した後、住宅を襲い、4人の命を奪った。ここは県の急傾斜地崩壊危険箇所で、間もなく斜面の防災工事が始まる予定だったという。
さらに、30日の午前0時過ぎには広島市佐伯区五日町下河内の荒谷川上流部で土石流が発生。下流域の住宅20棟が全壊、11棟が半壊し、4人が犠牲となった。同じ頃、安佐南区沼田町伴では奥畑川が氾濫し、住民1人が川に流され死亡したほか、川岸の家屋が流出するなどの被害が出ている。
このように甚大な土砂災害が発生して、防災対策に課題を残した広島市では、これを契機に市の防災対策を市民の視点からも考えてもらおうと、平成11年12月に自主防災会や市民団体、公募市民のほか、学識経験者や報道関係者をメンバーとする「防災について考える会議」を発足させた。この会議で提言された内容は、市の地域防災計画に反映させていくという。
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土石流で一家6人のうち4人が生き埋めとなった広島市安佐北区亀山の現場では、必死の捜索が続けられた
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広島市や呉市では、周囲を山で囲まれた地域に都市が発展している。もともと平地が少ないため、宅地開発は山すそから斜面に向かって進められており、住宅団地の裏手が崖になっていたり、山の斜面が迫っているケースが多く、今回の土砂災害は、そうした山沿いの新興住宅地に集中して起きている。広島市や呉市のような都市の発展形態は日本各地に見られ、今後、他の都市でも同様な災害が発生する恐れがあると考えられている。
建設省では、広島県等における甚大な土砂災害を教訓に、土砂災害を防ぐには、砂防ダムなどハード面での災害対策を進めるだけでなく、住宅等の立地抑制や、適切な警戒避難を含めた根本的な対策を講じる必要があるとして、平成11年7月、省内の防災国土管理推進本部に「総合的な土砂災害対策に関するプロジェクトチーム」を設置した。このプロジェクトチームでは、土砂災害の恐れのある地域における住宅等の立地抑制方策や防災性向上方策を検討するとともに、避難及び住民への情報提供のあり方などについても検討が進められている。
また、現在プロジェクトチームでは、土砂災害のための総合的な対策に関する法制度の検討を進めている。具体的には、土砂災害を警戒すべき区域を法的に位置づけ、住民への周知を徹底するとともに、警戒区域内での情報提供・警戒避難体制の整備、特に警戒を要する区域内での住宅や社会福祉施設の立地抑制・既存住宅の移転促進対策等の法制化に向け、検討を進めているところである。
さらに、こうした新たな法制度の検討と合わせ、いくつかの支援措置の導入も検討されている。その主な内容としては、危険箇所の全国的な調査を国及び都道府県で実施することや、土砂災害警戒区域からの移転者に対する融資制度の導入のほか、土砂災害警戒区域からの住宅移転を緊急に促進するため、従来から実施している「がけ地近接等危険住宅移転事業」の拡充などが検討されている。また、住民の早期避難と災害時における市町村等の迅速な防災体制を強化するため、行政と住民の情報交換を推進する土砂災害情報相互通報システムの構築も検討が進められている。
stories from disaster
victims |
【土砂災害体験記】
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私の6月29日
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広島市佐伯区 今田亜弥華
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私は、あの大雨のなか大学から家に帰りました。
・・・・いつの間にか寝てしまい、どれくらい時間が経ったのか定かではありませんが、祖父の呼び起こす声が聞こえたので起きたところ、祖父が「外が大事じゃ」と言ったのです。私は訳も分からず外に目をやると、家の床上になるくらいまで土砂や大木が流れて来ていま
した。
「おじいちゃん逃げよう」そう言った時にはもう遅かったのです。本当にあっという間でした。家や流木とともに流され、私は50
mぐらい流された所で止まりました。
材木は私の胸の所までのっていました。 顔にかぶっていた泥を手で取り除き、目を開けると空が見えました。「生きている、生きている!」そう思うとなぜか自然に涙が出てきました。胸の所までのっているガレキや材
木を無我夢中で取り除き、懸命に這い出しました。這い出して「痛い!」と思って足を見ると、左足のふくらはぎの肉がえぐれ、右足は骨が折れているらしくすごく腫れていました。
ただ助かりたいと思う一心でした。「助けて、助けて、私はここにいる。誰か・・・」何度も叫びましたが、次次と流れてくる土砂の音と雨音で声がbォ消されるように思いました。
泣きました。「自分はこんなに意識がはっきりしているのに死んでしまうのではないか。怖い」そんな不安な思いに拍車をかけるように寒さが身体を襲うのです。
私は震え、やがて眠気が来るようになりました。寝たら本当に死んでしまうと思い、近くにあった物を手に取り、鉄のような物を叩いて音を出し、眠ろうとしている自分を起こしていました。どんなに叫んでも誰にも声が届かない、そう思いながらも叫ばずにはいられませんでした。
それがどれくらいの時間だったのか分かりませんが、私の声に応答がありました。誰だったのかよく覚えていませんが、「どこにおるん。そこから何が見えるん」などと聞かれました。
「電灯、電灯が見える。助けて」そう答えていると「あやか」と私の名前を呼ぶ父の声が聞こえました。「お父さん」大泣きしながら叫びました。すると父は崩れる恐れがあるガレキの上を、私を助けるために走って来てくれました。父に抱きつき、たくさん泣きました。父も震えている私をぎゅっと抱いてくれました。怖かった思いが一気に無くなりました。
その後、私は救急隊員の人や多くの人の手で救急車まで運ばれ、すぐに県立広島病院に搬送されました。しかし、父は救急車には乗っていませんでした。それは、私と一緒にいた祖父が見つかっていなかったためです。祖父は、私の一、二歩後ろにいただけなのに・・・。
翌日、家からおよそ100 m流された所で残念ながら遺体で発見されました。そのことを母から病院のベッドの上で聞かされました。あまりのショックに涙も出ず、ただうなずくばかりでした。今でも祖父の死を信じることができません。あの場所に帰り「ただいま」と言えば祖父が笑顔で「お帰り」と答えてくれるような気がしてならないのです。しかし、祖父が亡くなったという現実は受け止めなければなりません。(あの時)祖父が起こしてくれたおかげで、私は今生きていると思うのです。だから祖父の分まで強く生きていかなければならないと思っています。
未だに雨音を聞くと無意識に泣いてしまったり、夢を見て泣くこともあります。あの日の出来事は一生私の心に残ることでしょう。こうして体験談を残すことで、多くの人に災害の恐怖と悲しみを知ってもらえたらと思います。
(広島市消防局・防災課が募集した「6.29豪雨災害の体験談及び目撃談」の投稿より)
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