[検証]1999年の災害
台風16号
【REPORT5】 岐阜県河合村・白鳥町

 豪雨による土石流で
 岐阜県北部に
 甚大な被害

 鉄道軌道に代替道路を建設し、いち早く生活の足確保
Assess the disaster damage that occurred in Kawai and Shirotori in Gifu on Sep. 14-15, 1999

相次いだ集落の孤立化
■台風16号による岐阜県内の被害状況
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平成11年9月14日から15日にかけて岐阜県を襲った台風16号は、14日の降り始めから15日の午後5時までに、郡上郡高鷲村で527 mm、同白鳥町448 mm、吉城郡河合村395 mmなど、記録的な豪雨をもたらした。 特に被害の大きかったのが飛・r間部。その1つ河合村でも保水能力の限界を超えた森林から雨水が%れ、村内の河川は一気に増水し、至る所で氾濫した。 その様子を元田地区の松田茂孝さんは、「沢が増水して土石流が発生するのは子供の頃から経験しているが、今回は降雨量があまりに多かったので、岩も何もない所がどんと抜け落ちてきた箇所がいくつもあった。どこから落ちてくるのか分からず、怖かった」と語る。また上稲越地区の佐々木弘美さんは「山から木々を巻き込んだ土石流が川に流れ込み、橋に当たってダムを作ったため、堰き止められた水が一気に%れ出た」と振り返る。 この河川の氾濫によって一部で河川沿いの住宅が流失したほか、道路、電気、電話、水道といったライフラインが寸断され孤立集落が相次ぎ、村全体が危機的状況に置かれた。
飛騨地方はもともと大きな自然災害の少ない土地。昭和34年の伊勢湾台風の時でさえ湾岸部のような大きな被害はなかった。今回、こうした甚大な被害を出したのは、第1にはむろん「記録的な大雨が降ったから」(岐阜県古川土木工事事務所)にほかならないが、これまでも大雨が降らなかったわけではなく、それが原因のすべてではないと指摘する地元の声は少なくない。
荒れ狂う濁流で河合村の松田茂孝さん宅(写真右端)は家屋流失の危機にさらされた

家を流された村民の人たちも「住まいは川と川の合流地点にあり大水はこれまで何度も経験しているが、今回は大量の土石流が流れてきた。こんなことは初めて」(有家地区・松井正さん)。「50年前に建てられた家を1年前に買ったばかり。床下浸水くらいは仕方がないと思っていたが、50年間無事だった家が流されるなんて夢にも思わなかった。私が戻った時はもう家は流されていて、堤防が決壊してから流されるまであっという間だった。食事をしていた家族は命からがら逃げ出した」(下稲越地区・土井泰明さん)という。 今回の水害について、土井さんは道路や橋などインフラの整備が進んだことと関係があるのではないかとも見ているが、最も多く指摘されているのは、「山林の奥深くまで人工林になり、その後の手入れが十分でないため、山に以前のような保水力がなくなった」という点だ。 ただそうした中にあって、土石流などの歯止めに砂防ダムが一定の効果を上げている。古川土木工事事務所によると「数が少なくて土砂などが乗り越えてしまった箇所もあるが、砂防ダムがある所はない所に比べ、その効果は歴然としている」と砂防ダムの有効性を強調する。 この点は被災した村民の多くも認めるところで、「あれ以後、ちょっと急な斜面や禿げ山には注意が行く。砂防ダムをしっかりやって欲しい」(前出・佐々木さん)、「私たちの気持ちは河川の改修と併せて、一刻も早い砂防ダムの設置」(同・松井さん)と砂防ダムの建設を熱望している。

生活道路の確保に迅速な対応
長良川の増水で床上浸水した家屋と冠水し通行不能になった国道156号。15日午後5時10分頃、岐阜県美並村(手前)と美濃市の境界付近湖

一方、河合村以上に大量の雨に見舞われたのが奥美濃の白鳥町。「近くの鉄道の駅のホームが40 cmも冠水した」(歩岐島地区・多田孝司さん)というほどの雨量で、大島地区ではうねる濁流が堤防を乗り越え、稲刈り間際の水田を一面水浸しにした。そのため、堤防のどこからどこまでが決壊したのか分からない状態となり、シイタケハウス4棟が全半壊したほか、工場も一時陸の孤島と化した。また、長良川に並行して走る国道156号が長滝地区で約100 mにわたって激流にえぐられて崩落した。 国道はこの地区唯一の幹線道路。地元の人たちにとって近所への買い物はもちろん、岐阜市や名古屋方面へ行くのにも欠かせない生活道路である。その道路が通行不能になっては、生活や仕事に大きな支障をきたす。崩落の状況から、当初は長期不通が心配されたが、町などの迅速な対応でその影響は最小限に食い止められた。 国道の崩壊個所を)回するため、やはり長良川に並走する長良川鉄道の線路上のレールを除去し、盛り土を施してアスファルトで舗装。この代替道路を17日からの1週間で設置し、延長500 mのバイパスを整備したのだ。また、このバイパス工事が完成するまでの間も、日本道路公団が開通前の東海北陸自動車道の未開通区間ミ白鳥―高鷲インター間8.1 kmミについて、橋のmぎ目の段差をなくしたり、仮標識を設置するなどの緊急工事を行って暫定使用を許可。白鳥町の住民延べ1577人をはじめ、多くの周辺住民が利用した。 こうした被災直後の町や日本道路公団などの迅速な対応について、前出の多田さんは「田舎では車がなくては生活は立ち行かない。家では食料の買い出しに車を使うし、私は毎日、名古屋への部品の納品に国道を使う。国道が分断された当初は、細い道に皆が殺到してものすごく時間がかかった。鉄道の敷地を潰した)回路は、白鳥町より奥の地域では鉄道が使えなくなり、学生の通学など一部の人たちに支障は出たが、全体からみれば影響は少なくて済んだ」と高く評価している。
土石流に襲われた河合村元田地区の民家
飛騨山間部では、河川の氾濫や土砂崩れなどによりライフラインが寸断され、孤立する集落が相次いだ。雨の中、生活物資を背負って運ぶ人々
暫定使用に備え、急ピッチで工事が進められる開通前の東海北陸自動車道