略 歴
昭19 |
東京都生まれ
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昭43 |
早稲田大文学部卒業 |
昭50 |
通信社、広告会社勤務の後、フリージャーナリストに。同時に情報誌「インサイダー」の創刊に参加 |
昭55 |
(株)インサイダーを設立し、代表兼編集長に。 |
平6 |
(株)ウェブキャスターを設立、インターネットによるオンライン週刊誌「東京万華鏡」を編集・執筆。 |
現在 |
情報誌「インサイダー」の編集・執筆。オンライン週刊誌「東京万華鏡」の執筆。また、作家の杉田望氏と主要な週刊誌・月刊誌をレビューし注目記事についてコメントした「マガジン・ヘッドライン」を週1回電子メールにて配信。このほか、テレビ朝日「サンデープロジェクト」(日曜10時)、テレビ朝日「朝まで生テレビ」(最終金曜25時)、東京FM「トヨタなんでもカウントダウン」(毎週火曜7時すぎ)などに出演。 |
主な著書
「地球市民革命」(学研)、
「情報世界地図98」(国際地学協会)、「最新・世界地図の読み方」(講談社現代新書)等
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私は今の日本を「不況」と見るのは間違いだと主張し続けてきた。そう言うと誤解を招くかもしれないので、もう少し正確に言うと、今の日本が直面している最大の問題を不況と捉えてはならないということだ。そうではなくて、明治以来の発展途上国型の「お上」主導による経済・社会の運営やシステムがもはや役目を終えたのに、次の百年の成熟市民社会にふさわしい政策発想や意志決定方式がまだ確立されていないという、「百年目の谷間」のようなところにはまり込んで身動きとれなくなっているのが、今の日本ではないだろうか。
これがただの不況なら、政府は景気対策を重ねればいいのだが、それでは体質や発想やシステムを変革して新しい次元に飛躍することなどいつまでたっても出来はしない。あるいは、経営者にとっては、これが何年かにいっぺん訪れてくる不況であれば、じっと我慢して需要が回復するのを待てばいいのだが、百年目にして初めて、そして一回こっきり襲ってきている巨大な構造変動だとすれば、じっとしていては取り残されるだけで、新しい時代の価値観に向かって勇気をもって挑戦する以外に生き残る道はない。
官僚機構にとっても問題は同じで、これまで百年の、国=行政が主体であって国民は客体であるとする立場に立って、上から統制と保護を施すというやり方では、すべてにおいて行き詰まるばかりだろう。これまで以上に国民の意見を聞いて、アカウンタビリティを重視して……というのでもまだ不足であって、国民こそ社会の主体であり、その下からの自立と共生の原理に立った意思の力に逆らったり受け入れらないような行政のシステムは存続すら許されなくなるという、意識の大逆転を迫られているのだと思う。
具体的に求められているのは、後戻りする勇気、あるいは自分たちのやってきたことは間違っていたかもしれないと胸に手を当てて考えてみる勇気、だろう。人間が生き、まわりの人々と折り合いをつけながら暮らしていく上では当たり前のその謙虚さが、一つの組織となるとなかなか貫くことが出来ない。しかし、二十一世紀の成熟社会では、どんな権威も意味がなく、従ってまたどんな組織も永遠なものなどありえない。その覚悟を固めさえすれば、間違いを認めるのが怖くなくなって、人々の声を耳だけでなく心で受け止めることが出来るようになるのではないか。
すでに変化の兆候はいくつもある。私は東京郊外の乗馬クラブに属していて、よく多摩川の河原に馬を乗り出して、意外にワイルドな自然の中を存分にトレッキングする。以前はよく河川事務所の監視員がやってきて、「馬はだめだ」と言う。理由は「堤防が痛む」「糞が汚い」とか言うので、クラブ員たちは「何を言ってるんだ。馬が歩いて壊れるような堤防なら洪水の時に役立つはずがないじゃないか。馬糞は、我々が子供の頃は、いい肥やしになるからと、道に落ちているのを拾って帰るように言われたものだ。大体、アメリカの自然保護区のパトロールは皆、馬がいちばん環境に優しいということで、馬で行動している。あなたがバイクに乗って走っている方がおかしいんだ」などと反発していた。ところが最近は、河川事務所のほうから「多摩川の環境調査・保護のために協力してほしい」とクラブに申し入れが舞い込むようになった。河川を「国のもの」と考える居丈高から、それを「民のもの」と捉える柔軟さへという意識の転換が、そこにも確実に現れているように感じる。建設省の「コミュニケーション型行政」への実験に期待したい。
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