MICHIKO SHIMAMORI
島森 路子氏からのメッセージ
「広告批評」編集長

 

略 歴 

秋田県生まれ。「広告批評」編集長。
立教大学社会学部卒業。講談社で児童図書などの編集に関わったのち、マドラ・プロダクションに入社。「キャッチフレーズ3000選」「今日の広告」の編集などにあたる一方で、広告評論活動を開始。79年天野祐吉と共に「広告批評」を創刊し、副編集長、メインインタビュアーを務める。88年より編集長となり、狭い広告のワクにとらわれないユニークな企画を打ち出し続けている。90年にはフジテレビ「FNNニュースCOM」のキャスターを務めたほか、評論活動やテレビのコメンテーターなど、さまざまな場面で活躍している。
 

主な著書

「広告のなかの女たち」、「コピーライターの冒険」、エッセイ集「わがまま主義」(PHP研究所)、「夜中の赤鉛筆」(新書館)、作家橋本治氏との対談集「仲よく貧しく美しく」(マドラ出版)、「銀座物語」(毎日新聞社)など。

最近刊は広告に登場した女たちを通して戦後女性史を綴った「広告のヒロインたち」(岩波新書)

 


 
 

  「情報開示」や「説明責任」といった言葉は、いまでは子供でも知っている。それをしなければ、これからは、企業も役人も政府もやっていけないであろうことは、さまざまな人が繰り返し説いているし、おそらく当事者である建設省も十分に認識しているからこそ、「コミュニケーション型行政」を標榜しているのだろう。
 そのための地道な努力が小さなところから始められているだろうことを信じない訳ではないけれど、しかし同時に、そういう謳い文句が踊れば踊るほど、なにか実質的な“コミュニケーション”とは別のところでコミュニケーションが行われているような印象が残ってしまう。
  おそらく、そこには、メディアの活用法の問題がある。自動車へのクレームが600件を超えるのに電話では1年かかったものが、インターネットでは1ヶ月でその数に達したというニュースを聞いたばかりだが、いま直接人々の声を聞くメディアとして、インターネットが最強になりつつあることは、これもたいていの人が感じていることだ。この“広場”をどう活用していくかは、だから省庁にとっても大きなテーマだが、こうした双方の声の広場の生かし方と同時に、やはり求められるのは、「だれが、どういう言葉で、何を言うか」という、いかにも基本的なコミュニケーションだろう。
 
  既に30年近く前、「We Listen Better」という広告キャンペーンを通して、欠陥車や公害問題が噴出する時代、人々の声を真摯に聞くところから自社の方向を立て直した自動車メーカーがあったが、そこでも、人々の声をより良く聞くと同時に求められたのは、それを前提としたうえで、もう一度、だれが、どういう言葉で、自分自身の立場と主張をきちんと伝えて行くか、つまり報告=広告していくかという、その方法であり、話法だった。
 そこで使われている言葉がありきたりではなく、説得力のある魅力に富んだものであること、語る人が信じるに足ると感じさせられる“顔”を持っていること、それを、現代の受け手は厳しくチェックしている。
 建設省の、いや、さらに巨大化し、その実体がわかりにくくなりそうな国土交通省の“顔”をどう作って行くか、広告(公告でもあり報告でもある)は企業にだけ求められるものではない。

 


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