懇談会の詳細

 
安部 譲二委員
 
●ショートスピーチ 「愛と勇気が幸せの源」
 人生が終りに近付いたこの歳になって、改めて愛と勇気が、人間が幸せになるための不可欠の条件だと思い知るのです。
 富と権力だけでは、どうにもなりはしません。
 愛と勇気が必要なのは、突発した緊急事態や極限状態、それに民放テレビのドラマのような“困った場面”だけではないのです。
 人間の極く平凡な毎日の生活も、愛と勇気がベースになければ、それは、ただ生きているだけの乾いたものになってしまいます。
 たとえば、愛が籠められているのが御飯で、籠められてなんかいないのが食事という餌です。
 食事という軍隊の糧食か懲役に与えられる餌が、御飯に代わって一般的な言葉になってしまった日本に、現代の愛の不毛が象徴されていると、65歳の僕は思っています。
 「俺が喰べたいのは御飯で、食事なんかじゃぁない」と、敢然として叫ぶのが、人が喪ってはならない勇気だと、僕は信じているのです。

安部譲二委員
 
●ショートスピーチに対する投稿
○一ノ瀬  40歳代女性(専業主婦) 
 昨年八ヶ岳赤岳に登ってきました。頂上の山小屋で一泊。夜中すごい吹雪で小屋全体ががたがたと震え、今にも屋根や梁や壁が崩れ落ちるのではないかと心配な私の隣で、経験のある友人は熟睡していました。でも逆に余裕で寝ている友人が頼もしく、私も落ち着いてくると、風の微妙な音の変わりや暗闇の濃淡に単純に気が付いて、街中にいるときと全く違う感覚を味わいました。
 
○一ノ瀬  40歳代女性(専業主婦) 
 赤岳を下り、汽車を乗り継ぎ街に帰ってきたとき、山小屋で得た感覚は、ゆっくりと消えていました。井上靖の『氷壁』は主人公の魚津が下山したところから始まります。魚津は山の雰囲気をしばらく忘れられず、すぐには街にも人にも馴染めません。なぜ街中にはあの雰囲気がないのだろうと私はそのとき思いました。山では登山者同士がすれ違うとき「こんにちは」「頑張ってね」と見知らぬ者同士でも声を掛け合います。街中では到底考えられないことですよね。加藤秀樹さんが『幸せの瞬間』で述べられている夕日がきれいだと感じることも、私が山小屋で得た感覚に近いのではないでしょうか。街中でそのような雰囲気・感覚を生み出すのはどのような空間なのでしょうか。幸せの源となる愛と勇気を、高齢にならずとも生み出すような、そんな空間を街中にも作り出して欲しいです。
 
○文京区民  20歳代男性(学生)
 公共が行うインフラ整備は、その時代に想定される最低限度の生活、公衆衛生を担保するためだけに行われるべきではないか。山小屋での感覚、雰囲気を街中にもという観点でインフラ整備を行うのは、ある種の価値観の押し付けではないか。その価値観が良い悪いではなく、また、民間事業や地域住民によるまちづくりであれば、話しは別だが。
 
○ぷー子  30歳代女性(サービス)
 私、もっと行政は、価値観を打ち出していいと思う。だって、今まで、日本って経済性とか、合理性とか(これらは、私の中では価値観ではないもの)ばっか追い求めていて、日本って世界中で見たら、絶対インフラ整備とかも高水準のはずなのに、でもさ、日本人ってどっか、疲れてて、哀れで、滑稽で、悲しい!それって、行政がちゃんとした価値観、って言葉が悪いんなら、愛、それじゃ気持ち悪いってなら、明確なビジョン!を示さないからでしょ。それを価値観の押し付けって言うんなら、日本出て行けばいいじゃん。
 
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