懇談会の詳細

 
長谷川 逸子委員
 
●ショートスピーチ
「歩行空間の再考
-車での生活が主流になり日本の町はどれだけつまらないものになったか-」
□町のディテール
 町にはその気候と歴史がつくる様々な細部がある。寒冷地では屋根の傾斜が、海辺の町には松林があるというように建物やランドスケープはその場所の風景をつくり、人々の記憶を形成し心を豊かにするものである。
 こうした建物やランドスケープがつくる歴史が車による移動によって視覚から遠のいてしまっている。車社会は五感を鈍感にし、その町独特の空気を身体で感じとれなくしているのではないか。
 そうしたなかで歩くというスローな生活のもつ充実感も失われつつある。

長谷川逸子委員
 
□ コミュニケーション
 車での移動は人と人の偶然の出会いを減少させる。
町は世代の異なる人々が出会う場所でもある。そうした機会が失われ。世代間の交流が減少すれば地域社会が育んできた文化も伝承されなくなってしまう。
 
□ 地域産業
 車による流通の普及は各地への大型スーパーマーケットの進出を可能にし、古い商店街は壊れ、全国が均質化してしまっている。
 地域の特産品をつくるマイスター的な仕事が減少し、産地のわからない食物を食べる現代社会は風景だけでなく食生活、食文化をも均質化している。
 各地域は観光の魅力を失い、観光客、来客をもてなすマナーまでもが失われてしまっている。
 
□ グローバル社会の地域性
 移動手段や通信手段の発達は世界を均質化しつつある。他方では人々の生活が益々多様化している。建築やランドスケープは人々の多様な生活を定着する領野として様々な可能性を考えなくてはならないだろう。質化してしまっている。
 
●ショートスピーチに対する投稿
○ムーンウォーカー  40歳代男性(金融)
 僕は新しい場所に訪れたとき、まず最初に、必ず「歩いて」みることにしている。バスや地下鉄に乗ると移動は早いけど、その街の雰囲気というか、息吹というか、やっぱり歩いてみて初めて感じることってあると思うので。
 そんな僕の思ったこと。
 例えば日本で言えば京都なんて街は、街全体が「見て、歩いて楽しい」空間だと思う。逆に大阪という街は、確かにミナミはめっちゃおもろいし、キタだって京橋だってすごく好き。ポイントポイントでは、京都を上回る魅力や活気がある。でもそういった拠点の間を歩いているときにすこし寂しさというか、空虚感を感じることがある。淀屋橋と梅田の間のほんのわずかな空間とか。
 これは結局はまちづくりのコンセプトの違いだと思う。拠点を整備してその間は「移動」を最優先するのか、それとも移動する区間含めた一体的な機能の向上を図るか。
 それぞれ一長一短だと思うが、個人的には「歩いて回れる空間」が好きだ。人間は太古の昔歩いて生活してたんだし。不景気でせちがらい世の中だけど、たまには「ゆっくり歩いてみる」ことも良いかもしれない。
 
○きんたろうあめ  30歳代男性(建設・不動産)  
 「小京都」ならぬ「小東京」。地方都市に行けば必ずといって良いほどみつかる「○○銀座」。
 日本の地方都市の画一化は、既に何十年も前から始まっていると思う。それに拍車を掛ける、「クルマ」を初めとする物流の発達と、すさまじい勢いの情報化、さらには日本人の集団主義。
 地域の個性を活かしたまちづくりや、地元文化を反映させたまちづくりなどといっても、もはや「地域」の概念は希有のものとなりつつあるのではないでしょうか。我々はもう少し「地域の個性」というものを見直す必要があると思う。
 こんな笑い話を聞きます。「動く歩道」は関東では止まって移動するもの、大阪では歩いて移動するもの。こんな小さな事でも、実はとても強烈な「個性」なんだと思う。みなさんの街の「個性」って何かありますか?
 
○歩いて暮らす街の住民  40歳代女性(専業主婦)
 都会では絶対にあり得ない事なのかもしれませんが、私の田舎では、信号待ちをしている時に、隣の人と話をすることがあります。
 「今日はどちらにいかれるんですか?」
 「寒いですね〜。」
 などなど。車社会ではあり得ないこのコミュニケーション。人と人とのつながりを感じられる一瞬だと思います。
 
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