懇談会の詳細

 
林 泰義委員
 
●ショートスピーチ 「働く」
 NYワールドトレードセンターテロ攻撃の大惨事。大規模な報復の準備。というこの1 週間、初めての投稿なのにアタマがこの事件に占拠されています。
 村上龍氏の主催するJMM:Japan Mail Mediaでは早速、NY、ワシントンDCとカブールからの在住日本人の小論文を特集しています。
 恐ろしいことは、NYに働く人々と、ほとんど砂漠化したカブールに働く人々が、この事件を媒介に直接生死の危機にさらされる関係になったことです。と同時に東京で働くわれわれも実は生死の危機に立たされているのではないか。
 われわれはいま何をすべきでしょうか?

林 泰義委員
 
●ショートスピーチに対する投稿
○佐伯和代20歳代女性(製造)
 佐伯です。テロ事件からはや2ヶ月以上が経ってしまいましたが、あの事件のニュースをみた時のショックを、まだ自分の中で消化しきれていません。そんな折、林先生のスピーチの「いまわれわれは何をすべきでしょうか」という一節が目に飛び込んできて、思わず投稿してしまいました。あのニュースを見て、私が一番強く感じたのは無力感です。こんなすさまじいことが起きていても、ここで苦しんでいる人に対して、自分には何もしてあげられない、、、。皆さんは、このテロに対して、どんなことを考えていますか。(取り留めのない投稿ですみません。)
 
○Light my fire 20歳代女性(サービス)
 人はまず人であると思う。労働はあくまで人間として生きる中での一部分にすぎず、決して「すべて」ではないはず。だからどのような形であっても、労働の果てに(たとえば過労死なども含めて)死があることを知るとき、非常にやりきれない気持ちになる。そんなとき、私は「人間」として、ふと忙殺されゆく毎日を?時間や世界を?見つめ直したくなる。仕事の手を休めて、静かにしっかりと。
 
○労働者A 40歳代男性(建設・不動産)
 労働はあくまでも人間として生きる中での一部分とのお考えですが、一部分ではなく大部分だと思います。私は、結局一日に15時間ぐらい働いています!起きている時間の約8割を労働に費やしているんです。私は、労働の中に生き甲斐を見いだしていますョ。でなければ、やってられません。
 
○佐伯和代 30歳代女性(製造)
 私もLight my fireさんと同じように、仕事だけが人生ではないし、そのことを忘れてはならないと思います。別に仕事は自分の人生にとってどうでもいいといっているわけではないのです。ただ、毎日、目の前の仕事だけに忙殺されていると、自分の仕事に関わる範囲のことしか見えなくなっている自分に気づくのです。視野が狭くなっているな、と。私は消費財メーカーに勤務しているのですが、仕事をしている時には自分がつくっている製品が売れればいいということしか考えられなくなっていて、その製品が環境を汚していないか、といった視点を忘れてしまっていることが多いように感じるのです。だから、少し立ち止まって、自分の仕事を違う視点から見てみるためにも、「仕事」だけじゃない部分というのが必要だと思うのですが。それは働く人間としての自分にとっても、プラスだと思います。
 
○奈々子 20歳代女性(製造)
 初めて投稿します。メーカーで事務をしています。確かに佐伯さんのおっしゃることはもっともなのですが、私なんかは実際に毎日の仕事をこなしていると、目の前のことで手一杯で「広い視野」なんて、持てる余力ないよ、という感じです。各界でとてもお忙しく活躍なさっている委員の先生方は、お仕事と、プライベートな自分の時間とをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか?教えていただきたいです。
 
○佐伯和代 20歳代女性(製造)
 佐伯です。奈菜子さんのおっしゃることも分かるんです.私自身、日ごろは目の前のことで手一杯ですもん。(今も職場から上司に隠れてメールしてます、、、、)でも、もっといいバランスで仕事と自分の時間とを考えられたらいいのにナーという理想は捨てたくない!と思ってしまうのですが、、、
 
○東尾正美 20歳代女性(サービス)
 こんにちは。お仲間に入れてください。私は、皆さんのようにものすごく長時間働いているというわけではないので、ちょっと状況は違うかもしれませんが、やはり働くことと生活することの適度なバランスが取れることは大切だと思います。私は大体毎日5時半には会社を出るのですが、そのあと習い事をしたり、ボランティアをしたりしてすごしています。すごく充実してます!以前ただ早く帰ってもテレビを見ていたころには、同じ仕事をしていても楽しくなかったのに、アフター5が充実しだしてから、習い事で得たもの(人との接し方とか、心遣いとか)を仕事に生かしせないかな?と考えるようになり、仕事までちょっと楽しくなりました。やっぱり「働く」と「あそぶ」とか「暮らす」とか、そんな生活のバランスが大切なのではないかと思います。
 
○Light my fire 20歳代女性(サービス)
 みなさんいろいろとご意見いただけて嬉しいです。なんだか物思いにふけって書いた妙な文章なのに・・・本当にありがとうございます。いろんな考え方があるんだなあと改めて思います。これからもどんどん議論できたらいいですネ♪
 
○佐伯和代 20歳代女性
 仕事と遊びのバランスって、難しいですね。このごろつくづく実感します。忙しくなってしまうと「あそび」がどんどんすみに追いやられている感じ。みなさんはこのごろどんな風に仕事と遊びのバランスをとっていますか?
 
○新世紀は大事件続き 30歳代男性(運輸)
 構造不況で働き場所がないという状態となっています。それへの対応は重要なことですが、今回のテロは、社会システムの保持ということがすべての前提条件であるということを痛感させられました。
 システムの保持(後方支援など)と雇用対策とが連動しないことを祈っています。
 
○山西ぽんた 20歳代男性(金融)
 毎日仕事が辛いと思うが、よく考えてみれば、毎日普通に会社に行き、帰ってくることの出来る僕の生活は、とても幸せなのだろう。しかし今度のテロで、その普通の生活がとても脆い土台の上にあるのだということが分かった。やはり働くことの大前提として、雇用も含めた社会の仕組みが保たれていなければならないと痛感している。
 
○とある会社員 30歳代男性(通信・コンピューター)
 これから10年後の「ハッピーな暮らし」の条件を考える上で、雇用の安定は欠くことの出来ない条件であると思う。経済的な基盤が得られなければ、やはり現実問題として幸福でありつづけるのは難しいのではないだろうか。
 
○フリーター2年目の春  20歳代女性
 私はフリーターですが、とある会社員さんの「雇用の安定はハッピーな暮らしの要件」という趣旨の意見とは少しことなる意見を持っています。確かに雇用の安定は重要なことだと思うのですが、逆に安定していなくてもやりがいがある仕事や、自分に適した仕事を、そのときの状況に合わせてフレキシブルに選べるという働き方にも良い点があるのではないでしょうか?「住み方への提案2」のところで専門委員の先生が提唱していらっしゃったフレキシブルな住み方同様に、もっと流動的な働き方、住み方が選べる=不安定である代わりに選択肢が多い、という社会のありかたも、今後求められてくるように思います。
 
○Ako  30歳代女性(教育・研究機関)
 10年後は20年後に繋がり、20年後は30年後に繋がります。幸せな未来を望まない人殆ど居ないでしょうが、現時点では確実な予測は出来ません。幸せを約束される事なんて有り得ないでしょう。でも、だからこそ、今が大切なのです。先を見つめつつ今何をすべきか考えながら生きて行く事が大切なのです。「雇用の安定」とは、様々な意味合いがあると思います。上記のフリーターさんの仰る事も理解できない訳ではありません。しかし、このままその「フレキシブル」な生活を送りつ続けて48歳になった時を想像してみて下さい。独身だったら?両親も居なかったら?病気だったら?その時に果たしてそういう働き方の需要があるかどうかの保証もありません。正社員であれば絶対安全=幸せ!という考え方には抵抗があります。でも、世の中の若いフリーターがフリーターである理由や理論に「甘さ」と「自由の勘違い」を感じる事も多いのです。私が他人様に自慢できるような生活を送ってきたのであったら、このような投稿はしません。もっと若い時に気付いていればな・・・と後悔する事があるからです。しかし、過去の行動で今の自分がある訳で、ツライけど楽しい毎日です。なんでも思い通りになる事だけが幸せじゃないから、ね。
 
○フリーター2年目の春 20歳代女性
 Akoさんの投稿をみて、いろいろ考えさせられました。確かに、私も今のフリーター生活に不安がないといったらうそになります。でも、逆に正社員として働いていれば生活が安定して保証があるかといえば、そうではないと思います。正社員であったとしてもリストラの恐れがないわけではありませんし、待遇面でも福利厚生や諸手当の廃止、ボーナスカットなどをしている会社も多いわけですから。そういう意味では、現在の雇用に対して常に危機意識をもっており、貯蓄やスキル磨きを継続している一部のフリーターのほうが、「自分の生活を防衛する」という意味での守りは固いのではないでしょうか?また、先日新聞で読んだのですが、現在フリーターをしている人の中には、公務員試験や資格試験に注力するためにあえてフリーターを選んでいる人も少なくないようです。だから、「フリーターは先のことを考えていないから将来が恐ろしい」とは一概に言えないのではないでしょうか。などと書きつつも、己が身を振り返ってみれば、そんな明確な目的意識をもってフリーターをしているわけではなく、Akoさんのご忠告が耳に痛いのですが、、、、、
 
○ぼくはサラリーマン 20歳代男性(金融)
 Akoさんの投稿をみて「良くぞ言ってくれた!」と思い投稿しました。私も、近年の若いフリーター達の仕事に対する意識のありかたに疑問をもっている一人です。私も同年代ではあるのですが。私のまわり(友人)にも何人かのフリーターがいます。「フリーター2年目の春」さんの投稿のように、明確な目的意識をもってそれを達成するためにあえてフリーターをしている人もいるかとは思います。しかし、実際に自分の周りを見回す限りでは、流されるままにフリーター生活をしている人も少なからずいるのではないでしょうか?私には彼らがいつも「ここではない楽園」を探し続けてフリーター生活を続けているように見えます。「自分らしさ」を発見するために仕事を変えつづけることを完全否定するわけではありませんし、そのための就労形態として「フリーター」というあり方を選択することも完全に間違っているとはもちろん思いません。ただ、一部のフリーターの意識に対しては、現実の面倒さや辛さをうすうす知っているからこそ、それを見ないふりをして「自分らしさ」という一見美しい夢を追いかけようとしている甘さを感じてしまいます。
 
○Ako  30歳代女性(教育・研究機関)
 「フリーターは将来のことを何も考えていない人ばかり」だとは思っていません。ただ、20代の時には「思いもしないこと、見えないこと」が沢山あったから、アクションを起こすキッカケを掴めないままダラダラと年齢を重ねてしまった自分がいます。自分の人生に疑問を持った頃には年齢的な問題で就労できないという現実があるのです。女性の価値を年齢で判断する(キャリアより若さという意味で)日本の慣習が変わってくれれば!と思うけれど、今すぐに変わるものでもないし。老婆心というヤツかもしれませんが、いつまでもこのまま「若い時間」が続くとは思わないで欲しいのです。雇用形態は何であれ、一生懸命に仕事をするのは素晴らしい事だと思います。好きなことを探し続けるのも一つの選択です。なんとなーく生きていても自分が選んだ人生だから責任は自分にある。何か問題が起こる度に私は「沢山の人間に支えられて自分は生きている」という単純で忘れがちなことを意識するようにしています。そう思うと、頑張ってみようというチカラが湧いてくるのです。何故か・・・。
 
○フリーター2年目の春  20歳代女性
 akoさんの投稿に頭をがつんとやられた感じです。将来も今も自分はあまり変わらないし、社会の扱いもそれほど変わらないような気がしていたので、、、でも確かにakoさんの仰る通りですよね、、知識として分かっていても、わがこととして感じていなかったんですよね。もう一度自分がなにをしたいのか、何ができるのか、そして今後も給料を確保して生きていくにはどうすればいいのかちゃんと考えてみようと思いました。
 
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