懇談会の詳細

 
松田 美夜子委員
 
●ショートスピーチ 「育てる」
 広見小学校は静岡県富士市にあります。4年生の148名が一日大学生となって、我が大学を訪れ、「ごみはすてきな魔法つかい」という私の講義を受けました。
 正味1時間の授業を終えると、「エー。もうおしまいなの」、「もっと聴きたい」とあちこちから可愛い声。「質問は」とたずねると、元気のよい「ハイ」「ハイ」という声とともに大勢の手があがりました。
 この日のために、32時間も子供たちは「ごみとリサイクル」について特別時間枠のなかで勉強をしてきたそうです。先生がたのご尽力のおかげと心からありがたく思いました。
 「育てる」とは、それぞれの「個が自ら育つ」ことへのお手伝いをさせていただくことだと、この頃肌で感じています。

松田美夜子委員
 
●ショートスピーチに対する投稿
○ランチ前のひととき 20代女性(専業主婦) 
 ここのところ児童虐待による痛ましい事件が頻発していますね。そういうニュースを知るたびに、「親への教育」「親になる人への教育」が不可欠ではないかと強く思うのですが、皆さんいかがでしょうか?
 
○うさぎ 20歳代女性(サービス)
 私はまだ独身ですが、今後の人生を考えたときに、いずれは結婚、出産するのかなと漠然と思っています。でも、最近のニュースをみていて、自分自身が母親になれるのか、少し自信が持てない状態です。世の中のしっかり者のお母さんたちは、いつの段階で母の強さを身に付けるのでしょう?母親になると自然と身につくものなのでしょうか?
 
○佐伯和代 20歳代女性(製造)
 わたしもその気持ちわかります。児童虐待もそうですが、ニュースで「17歳の犯罪」などの事件が報道されるのをみると、自分も自分の子供をこんなふうに育ててしまったらどうしよう?と思って、とても怖くなります。自分自身のことだってちゃんと出来ていないのに、、、、、
 
○たけのこ 20歳代女性
 親も子供もどうしたらいいのかわからなくなってるんでしょうね。
 そもそも「家族」を実感する機会や時間なんかが少なすぎるんじゃないでしょうか。
 
○奈菜子 20歳代女性
 たけのこさんの意見に私も同感です。仕事、趣味、自分のやりたいことややらなきゃいけないことに時間を使うことも大切だけれど、家族とのーんびりすごせる時間をもっと取れたらなーと思うことがあります。別にぼんやりお茶を飲んで他愛もない話をしているだけなんだけど、なんだかほっとしたりするんですよね。今は子供自身も勉強に部活に忙しくて、もちろん子供がいろいろアクティブに動くのはいいのだけど、たまにはのんびりできるような社会だといいな、と思ったりします。
 
○2児の母 30歳代女性(専業主婦)
 ニューヨークWTCの大惨事について、米国大統領夫人はビルに旅客機が衝突する瞬間の映像やビルが崩壊する映像を子供になるべく見せないようにと話したそうです。暴力的であったり、過激な映像を子供に見せたくないのは当然ですが、たとえば過去の戦争について伝えたり命の大切さを教えることは非常に大切なことだと思うのですが、皆さんはどのようにお考えになりますか。
 
○ぽてとさらだ 30歳代女性(卸・小売)
 我が家では、ニュース映像などは残酷であっても、子供に見せてよいという方針です。子供にはそういったことにも問題意識をもって、社会に参加できる大人になって欲しいので。子供だって一人の人間としてちゃんと善悪の区別はつけられると思うのです。一生嫌なことや辛いことから親が守ってあげられるわけではないのだから、だったら子供なりにそういったことについて考えられるチャンスを与えるほうがよいのでは?
 
○サンドイッチ 40歳代女性(専業主婦)
 すごく興味があるのですが、教育を職業としている方々(学校の先生など)は、ご家庭ではどんな父であり母であるのでしょうか。教育における学校と家庭の役割についてはよく議論されるところですが、どなたか教えていただけませんか。ご当人でなくても、「聞いたところ・・・らしい」というのでも結構です。よろしくお願いします。
 
○新米母 30歳代女性(専業主婦)
 私も興味あります。よく小学校のとき、友達のお母さんが学校の先生で、入学式や卒業式がだいたいどこの学校も同じ日なので来てもらえず、代わりにおばあちゃんが来てたりってことありましたよね。まあ一職業ですからとやかくは言えないですけれど、そういうバランスってどうやって取ってるのか等、知りたいです。
 
○のの 20歳代女性(学生)
 私の母は教員ですが、家では理不尽なところも多々あるごく普通の母親です。教育を生業としているからといって、教育の理論を生かして理性的に子供を育てられるというわけではないように思います。
 
○遊戯王 40歳代男性(金融)
 子供を「育てる」とは、「教えて育てる」ものと思いがちでしたが、「個が自ら育つ」ことへの手伝いが「育てる」ことなのだと思い直しました。そこで、こう思います。子供が小学生時代は、世の中の色々なことを紹介して「自ら育つ」ことを手伝う。中学生以降は、親の背中を見せて「自ら育つ」ヒントをつかんでもらう。いかがでしょうか?
 
○サラリーマン 30歳代男性(製造)
 理想的ですね。でも、物理的というか時間的になかなか接する機会が取れないというのが正直なところですよね。皆さんはお子さんと頻繁に遊びに行ったりしてるんでしょうか。仕事が忙しいと、ちょっと難しいですよね…
 
○名無し 30歳代男性(サービス)
 仕事に時間をとられ子供と接する時間が少ないがゆえに、“積極的に教える”のではなく、たまに会っては“勝手に育っているのを確認する”のが実情ですね。結果として個が育つのを見守っているのですが、本当に良いことかどうかは疑問ですが、、、
 
○うちのこのファンクラブ会長 30歳代女性(専業主婦)
 子供といる時間が欲しくて、先月ついに仕事を辞めました。今は毎日子供と一緒にいてあげられて、とってもハッピーです。今は、子育てや家事が外で働くことよりも下に見られがちなところもあると思いますが、自分で子育て中心の生活を始めてみて、そうではないと実感しています。実は子供のために一緒にいてあげるというより、自分が子供と一緒に過ごさせてもらって、子供にいろいろなことを教えてもらっているのだと思います。
 
○もみじ 30歳代女性(医療)
 私は仕事を辞めずに子育てすることを選んだ母親ですが、悪い選択ではなかったと思っています。うちは三世代同居の大家族だからかもしれませんが、教え込まなくても、子供なりに周りの大人をみて、自分なりの基準で比較したりして、ちゃんと自分なりの考え方をつくりあげているみたいです。親が一生懸命働いているところを見せることも、子供にとって決してマイナスにはならないのでは、と思います。
 
○扇風機 30歳代女性(専業主婦)
 一緒に育つことではないでしょうか。自分の思うように「ああなってほしい」「こうなってほしい」と作り上げるものではなく、ひとりの人間が成長するさまを一緒に見つめるというように。皆さんのいろいろなご意見をうかがいたいです。
 
○自称教育人 30歳代男性(官公庁)
 同感です。ゆとりがどうの、偏差値がどうのとかいう理念での教育行政にはもううんざり。先生と子どもが熱くぶつかる。このなかでお互いに育っていく。そういったことが可能となるような、画一的ではない現場からの発想が大切ではないか。
 
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