懇談会の詳細

 
上山 信一委員
 
●ショートスピーチ
「教育改革は、各地の学校経営の見直しから」
-米国からの問題提起-
 私は、家族4人で米国(東海岸、ワシントンDC近郊)で暮らしています。渡米以来2年間、慣れない英語で戸惑う2人の子供たちと一緒に教育についてずいぶん考えさせられました。長男は私立高の1年、次男は公立小学校の5年生です。個人の体験をもとに、教育問題を解くヒントを探ってみます。
上山信一委員
1) 親と校長の絆が支える学校経営 まず、学校と接して感じる日本との大きな違いです。
発見1:校長の権限は絶大
  校長はほとんど毎朝、校門に立つ。私立の小規模校の校長は、自ら授業も教える。公立でも私立でも通信簿は、校長が目を通す。添削もする。それを通じて先生の指導法や個々の子供の成長ぶりをチェックする。校長は抜き打ちで授業に現れる。まるで中小企業の親父さんのように精力的に動く。
 
発見2:親と教師のホットライン
   ワシントンポストで、最近「子供の宿題が難しすぎる」という記事がでた。「親にも解けない」という。宿題は、けっこう親が手伝う。ホームワークは、家で親が教えるために出すという学校もある。理科や社会はホームページに宿題が掲示される。電子メールを使った各科の教師と親のコミュニケーションも密だ。子供を交えた教師と親の面接をみんな気軽に頼む。
 
発見3:放課後は、親がケアする
   夕方3時半以降の校庭は学校の管理を離れ、住民に開放される。子供たちの運動部は学校の枠を越え、地域のNPOが運営する。そこが校庭を借りる。コーチはお父さんたち。送迎も親。先生は関与しない。
 
発見4:数字による管理
   次男(小5)の通信簿。科目別にチェックポイントが10項目。授業参加の積極性、宿題の提出状況、理解力などの項目別に、AプラスからFまで12の数値評価がある。しかもコメントがついてくる。これが学期に2ずつ。評価の網の目は細かい。まるで勤務評定だ。ちなみに、公立は24人学級。私立は5から15人だ。少人数教育のメリットだろう。
 
2) 日本へのヒント
   日本の教育にはそれなりの良さがある。しかし、こと学校の経営に関しては、米国に一日の長がある。簡単にまとめてみよう。
 学校を特別扱いしない。ホテルやレストランなどと同様に経営する。
 教師は聖職ではない。他職種との転職も多い。失敗も許される。親も子供も、遠慮せず、おかしいことはおかしいと言う。教師もあっさり非は認める。
 校長は、経営者。店長、社長ができる人材を充てる。品質管理は、個々の教師の献身的努力だけに期待せず、校長の経営手腕で保つ。
 教育氏会の関与が少ない。現場の校長に権限を下ろす。校長は迷ったら、PTAと相談する。PTAも校長を守る。
 PTAが株主のように経営に参加する。希望すれば、カリキュラムの改訂にも親が参加できる。学校側も親にボランティアを要求。実習や遠足の引率はもちろん、親に特別講義を頼む場合もある。
 徹底した情報公開。学力テストの平均点、落第生の数(高校の場合)から予算の使い方まで、すべて情報公開される。新聞も容赦ない。よくやった先生や生徒の表彰も盛んだ。
 統一学力テストは、教育成果と学校の経営評価のために不可欠とされる。学校評価の要は偏差値ではない。学力の伸び率だ。「一年間の生徒の学力の伸び率が、前年実績値より劣っていないかどうか」を重視する。
 こどもは個々に違う。だから、能力別編成は当然で、飛び級もある。しかし子供同士の優劣比較はしない。”Everyone is different. We respect it. We expect it” という標語がある。「子供は百人百様。それを理解し、尊重しよう」という意味だ。

 さて、こちらからは、日本の教育論議がどうみえるか。有識者を集めた抽象論ばかりしていていないか。現場の改善策が見えない。問題は、私たちの子供、個々の学校をどうするかなのだ。学校教育の在り方は、地域で親と教師が考える。各地で実験をやる。教育改革は、足元からだ。
 
●ショートスピーチに対する投稿
○ヒラリン  30歳代男性(官公庁)
 私は、学校経営について、校長先生の力は今の段階でもかなり働いているように思います。でも、お話をお聞きすると、校長先生自体が、地域や行政のいろいろな会議、研究会などの氏を務め、学校にドンと座っていられないのです。
 学校と地域の連携が言われてかなりの時がたっていますが、もっと地域で教育の大切さを認識する必要があると思っています。学校の校庭を放課後地域の人が管理する、また、学校のクラブ活動を地域の人が担当するということができるのも、地域に住む人の意識がかなり高くないとできないことだと思います。
 学校の先生ともお話するときがあるのですが、子ども達に対する自分の手を抜いた結果は、かならず、クラス経営に跳ね返ってくるということで、他人の子どもを預かっている学校の先生にとってみたら、どうしても目先の子供たちのことしか考えられないというのが現状のように思います。経営というのは、すぐに軌道に乗せられるものではないと思うので、ある程度先を見越した地道な取組みが必要であり、それを職業として転勤などがある先生方に求めるのは難しい・・・。難しいからいまだに地域と学校との連携があまりうまくできていないのではないかと思います。 現場の先生方にも少しは協力を頂くようにお願いしたとしても、やはり、学校経営を支えていくのは、PTAを中心とした地域の人々と学校の管理をしている校長先生であると思います。
 現在、私の周りで、教育に関する学習会を行っていますが、PTA組織について、中心はT(先生)となっていて、P(保護者)の方は引っ張られている格好になっていることが多いという意見が多くあります。保護者の方でも、熱心な方はごく一部で、ほとんどは、それら熱心な保護者や学校にまかせっきりの状態で、PTA会費を上げるとか、学校で問題があったとなると、それら任せていた人に責任をなすりつけるように声を張り上げるのです。今まで無関心だった自分のことを棚に上げて・・・。
 PTAを保護者が中心となり運営し、保護者以外の地域の人と連携を取りながら学校経営を支えていくことができればもう少し学校経営の幅を広げることができるのではないかと思っています。
 カナダでは、親の子育てに対する教育プログラムがあると聞きました。今度の改革で、日本でも、家庭教育に国の目がいくようになりました。男女共同参画社会や少子化、核家族化が進む複雑な社会環境の中で、保護者に対する教育と地域との連携推進をすることが、学校経営を見直す早道なのではないかと感じているところです。
 
○40歳代男性(官公庁)
 最近の教育に関係する大きな課題としては、学力低下と犯罪の低年齢化が挙げられるであろう。前者においては、ゆとり教育の副作用が、後者については、道徳教育の不在が主な原因として考えられる。
 特に、前者については、詰め込み教育による落ちこぼれ発生への反省と熾烈な受験戦争に対する受験者への同情から、教育の量と質を落とす方向に向かったものと思われる。しかしながら、ここに大きな間違いと考え違いがあったようである。すなわち、生徒一人一人に個性があり能力の違いがあるのに、画一的に教育のレベルを下げれば、確かに落ちこぼれは減るであろうが、能力のある生徒を伸ばしてやることが難しくなるのは明らかである。そのため、できる生徒にとっては授業の内容が簡単すぎてつまらなくなり、学習意欲が湧かなくなるということが起こる。これは、落ちこぼれを救うことよりも、社会全体にとってはマイナスが大きいのではないだろうか。特に、科学技術立国を目指す我が国にとっては、科学的知識に対する憧憬や学習意欲が失われることは、死活問題である。
 そこで、いろいろな方面から非難されることを承知の上で、次のことを提案したい。それは、教育レベルの輪切りである。特に、小学校高学年若しくは中学生の中から優秀な生徒を選び出し、少人数(10人〜20人程度の学級が望ましい)の英才教育を施すものである。そのような学校を各県1〜2校程度設け、高校からは、各生徒の適性や希望に応じた進路を、地方単位又は全国単位で用意すればよい。極端にいえば、旧制高校の復活である。
 そろそろ、結果平等というおかしな考えから脱して、能力に応じた教育を考える時期に来ているように思う。
 
○ヒラリン  30歳代男性
 そういえば、トヨタなど3つの企業が、優秀な人材育成のために、100人規模のトップレベルの中高一環教育の学校設立に向けて動き出したようですね。政府の特別構造改革特区構想の中では、株式会社による学校経営についての提案もされているようですし、日本の様々なところで、ご提案されているような能力に合わせた教育の息吹が吹き始めているのではないでしょうか。
 でも、それには、未知の部分があって、なかなか思い切って踏み込めない。踏み込むためにはとても勇気がいるのだと思います。
 そういう意味では、特区構想によって、勇気をもって踏み出す地域など、様々な地域経営が始まり、一つの大きな変化ですべてがおかしくなってしまわないような複雑な生態系を生み出していくことが、日本の生き残る道のような気がしますし、緩やかですが、その方向に進んでいるような気がします。
 
○むむむ  30歳代男性(運輸)
 上山先生のおっしゃること、ごもっともだと思います。学校は聖域化されてこれまでほとんど改革されてこなかったと思いますが、「当たり前」のことをやるだけでずいぶん良くなるのではないでしょうか?
 私の場合、少なくとも良い先生に巡り会う機会が多かったのですが、今、改革をしなければ、我が国の若者に与える影響は道路問題よりも大きいのではないかと思います。
 
○柔道部副将  30歳代男性(卸・小売)
 日本の学校ってそんなに遅れてるのでしょうか??確かにマスコミでは学校で起こった悲しいニュースが頻繁に取り上げられていますが、ただ単に良いところがニュースで取り上げられていないだけではないのでしょうか?
 僕は自分の学校は(普通の公立ですが)とてもすばらしかったと感じているし、周りの学校もそんなに悪いって話は聞きませんでした。
 それに日本の学校には日本の良さがあると思う。アメリカの個人主義が必ずしもすばらしいとは思わないし、日本人の集団主義にも良いところはあると思います。運動会や修学旅行ってアメリカにはあるのでしょうか??そんな経験を通じて得たものはかけがえのない財産になってます。
 もちろん直すべきところも多々あるのでしょうが、「良いところ」も見なければいけないのではないでしょうか?
 
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