国鉄改革について



日本国有鉄道(国鉄)は、1949年に国有の公社として発足し、基幹的輸送機関として大きな役割を果たしてきた。
しかしながら、日本の高度成長を通じ、モータリゼーションの急速な進展等により、それまでの国鉄中心の輸送構造に大きな変化が生じた。旅客、貨物とも、伸びつづけていた輸送量が70年代前半をピークとして減少に転じた。国鉄は時代の変化に即応した経営の改革を行うことができず、経営的には64年に赤字に転じて以降、悪化の一途をたどり、86年には、運輸収入3.2兆円に対し経常損失1.4兆円、繰越欠損金15.5兆円と実質破綻状態に至った。
その国鉄を市場競争に耐え得る事業体に変革し、鉄道事業の再生を図るべく、87年に国鉄改革が実施された。

1.国鉄の状況
@ 道路整備・自動車の増加、空港整備・航空旅客の増加に伴う鉄道のシェア、  輸送量(旅客、貨物の双方)の低下
○旧国鉄の旅客輸送は1960年までは、全旅客輸送量の1/2以上を占めていたが、道路の整備や自動車の増加により近距離輸送については自動車が大きな役割を果たすようになった。その結果、国鉄の旅客輸送の全旅客輸送に占める割合(シェア)は低くなった。
○また、旧国鉄の貨物輸送についても1955年までは、全貨物輸送の1/2以上を占めていたが、その後は産業構造の変化や自動車輸送の増加により、鉄道による貨物輸送量そのものも減少傾向にあり、シェアを大幅に落としていた。

図−1 各輸送モード別の旅客輸送に関するシェアの変遷

図−2 各輸送モード別の貨物輸送に関するシェアの変遷

A 経営の悪化とその原因
○旧国鉄は1964年に初めて赤字を計上し、以降毎年赤字が続いた。
特に1980年代は毎年1兆円以上の赤字を計上し、政府から多額の(1985年は、6000億円)補助金を出したが、金利さえも賄えない状況であった。
○原因として以下のようなことが考えられた。
・1960年頃から自動車や航空との競争が激化し鉄道の優位性が失われたにもかかわらず、この変化に対応した経営の効率化等が行われなかった。
・経営が悪化した1970年代、国鉄運賃の改定には法改正が必要であり、公共料金の目玉として常に抑制の対象となったため、適時適切な運賃改定が行えなかった。
・国鉄という組織が約40万人の職員を抱える巨大な組織でありかつ全国一元運営の経営形態であるため、きめ細かい経営を行うことが困難であった。
・労使関係が不正常なものとなりがちで、労使とも生産性向上意欲やコスト意識が希薄であった。
・国鉄は、運賃・人事・投資計画等様々な面で国の規制を受けており、経営者の自主的判断の余地が少なく、経営責任が不明確になり、経営者は自主性を無くしていた。
・1981年以降、赤字解消のために運賃の値上げを繰り返し、それが、さらなる国鉄離れを加速した。

2.国鉄改革の基本的考え方
・政府機関の効率化等について議論していた政府の「臨時行政調査会」は1982年、国鉄について、従来の組織や運営方法の延長線上ではその改革は不可能であるとの認識の下に、公社制度を抜本的に改め、国鉄を民営化するとともにいくつかの地域社会に分割するという方針を報告・発表した。
・さらに、この調査会の報告を受けて「国鉄再建監理委員会」が設置された。この委員会は、2年間にわたり検討を行い、1985年7月新しい鉄道の形態案として「国鉄改革に関する意見−鉄道の未来を拓くために−」をとりまとめ、内閣総理大臣に答申した。
・この答申をもとに、政府は国会に8本の関連法案を提出し、国会での審議を経て、1987年4月に分割民営化を実施した。

図−3 国鉄改革の概要

(1987年4月時点)


@基本的な経営形態(分割・民営化)
1)6つの旅客会社と1つの貨物会社の設置
答申の中では、旅客輸送について6つの株式会社にすること、すなわち、北海道、四国、九州の3つの島については、それぞれ独立した会社として、本州については、旅客の流動実態、列車の運行形態、経営管理上適正な規模であるかどうか等の事情を総合的に勘案して、3つの会社に分割し、全部で6つの旅客会社とすることとした。
また、貨物鉄道については、全国にまたがって列車が運行されているため、地域分割は行わずに全国一つの会社とすることとし、レールは貨物専用線を除き旅客会社から借り上げ(旅客列車と混在)、貨物鉄道会社は車両と貨物施設を所有して輸送を行うこととなった。
2)株式会社化
これらの新会社は当初は、国鉄が全額を出資する特殊会社とするが、できる限り早期に純民間会社に移行することとした。
A規制緩和と経営責任の明確化
旧国鉄時代は原則として、業務を鉄道業に限定していたが、新鉄道会社については経営の自由、自主性を確保するため、会社が行うことができる事業範囲を限定せず、また、運賃・料金も大臣の認可のみで決められるようにし、経営者の経営責任をより明確化した。
B国鉄長期債務の処理
国鉄の債務は37兆1000億円にも達する巨大なものであった。これを新鉄道会社等に健全経営を損なわない程度で、JR東日本、東海、西日本、貨物会社と新幹線保有機構に11兆6000億円を負担させるとともに、残る25兆5000億円については、国鉄清算事業団において処理することとした。なお、この国鉄清算事業団の債務については、鉄道事業に必要のない土地やJR会社の株式を処分して得られる収入などを充てることとされた。そして、なお残る債務については、最終的には国において処理することとされた。

その後の債務処理
 旅客鉄道の本州3社と貨物会社は、実質的には国鉄改革時に新幹線保有機構が引き継いだものも含めて14兆5,000億円の債務を負担しており、現在も返済中である。
 一方、国鉄清算事業団が引き継いだ残りの債務については、旧国鉄の土地や旅客会社の株式の売却により返済してきたが、地価高騰時の土地売却見合わせ、株式市況の低迷による上場の遅れ等により、土地・株式の売却が思いどおりにすすまなかったことから、従来の返済スキームが利払等により破綻した。1998年に国鉄清算事業団債務等処理法が成立し、新たな枠組みで債務の処理をすることとなり、現在は独立行政法人鉄道・運輸機構がその業務を承継している
(国鉄清算事業団は1998年10月22日解散)。

C収益性の低い新会社に対する措置
新しい会社への移行時(1987年4月)には、全国一律の運賃水準を距離比例による運賃算定方式は従来どおり維持することとした。しかしながら、北海道、四国、九州の3社は旅客数も少ないため大幅な赤字経営になることから、3社に「経営安定基金(3社で1兆2700億円)」を持たせて、この基金の運用による収益を収入として、安定的な経営ができるようにした。
D新幹線の取り扱い
新幹線は大きな収益力を有するため、特別の法人を設置し、そこに保有させ、路線毎の収益力に応じた貸付料を設定し、貸付料で国鉄の債務の一部を償還させることとした。
(その後、1991年に各新幹線は、各線の収益力を勘案して設定した価格で、各社に売却された。)
E職員数の適正化
国鉄の職員数は最も多い1965年頃で46万人を越えていたが、その後順次合理化を進め、民営化前年の1986年には27.7万人となっていた。そのうち20.1万人は新会社に採用され、残りの7.6万人は、再就職のあっせん等により、政府機関や民間会社へ再就職した。

図−4 国鉄職員数の変遷

F旅客サービスの維持
分割により、全国同一の組織が複数の組織になることになったが、飛行機やバス等他の交通機関との競争等を勘案すると、旅客サービスの低下は許されないことから、全国が同一組織の場合と同様のサービスを維持することとした。
・複数の会社にまたがった乗車をする場合の運賃の計算については、通しで計算することとした。
・全国のどこの駅でも、他社の分も含めて切符を購入可能とした。
・利便性を考慮し、複数の会社にまたがって運行する列車を従来レベルで設定した。


4.分割・民営化の成果
@国鉄時代に伸び悩んだ輸送量は、運賃の据え置き(1996年、北海道、四国、九州の平均6.6%の値上げのみが例外)、サービスの改善等により、分割民営化後は順調に増加している。
 旅客輸送量(人キロベース)の伸びは改革前の5年間は年平均0.6%であったのが、改革後の7年間は年平均3.4%と大幅に増加した。
※86年度2,046億人キロ、96年度2,517億人キロ(約1.23倍)、
            03年度2,411億人キロ(約1.18倍)
利用者からも国鉄時代と較べて@運転回数が増えた、A従業員の旅客に対する態度が格段に改善された、B駅や車両がきれいになった等の評価を得ている。

図−5 国鉄(JR)国内旅客輸送人キロの推移

A生産性の向上、運賃の据え置き
業務内容の徹底した見直し、機械化・コンピューター化の推進等により生産性が大幅に向上した。
 ※86年度 91万人キロ/人、 96年度 134万人キロ/人(1.47倍)
03年度 160万人キロ/人(1.76倍)
そのため国鉄時代には、毎年のように上昇していた運賃は、JRになってからは物価上昇があるなかでもほぼ据え置かれている。

図−6 国鉄及びJR運賃の変化(本州3社)

  ※1980年の運賃を100とした場合

B経営状況は、生産性の大幅な向上等により、政府予想を上回り好調に推移した。
・国鉄末期には、国が多額の補助金(85年で6,000億円)を投入しても、なお1兆円を超える赤字を計上していたが、JR7社で2003年度には約3,700億円の黒字となり、国及び地方自治体に対し、法人税等として約2,300億円(2003年度)を納めるまでになった。

図−7 国鉄及びJRに対する国からの補助金額の推移

図−8 国鉄及びJR7社における経常収支の変化

C事故件数の低下
・安全投資への積極的な投資を行った結果、事故が大幅に減少した。
(JRの運転事故件数 88年度900件、02年度468件)

D関連事業の拡大
・国鉄時代に制限されていた、ホテル、物販、飲食、旅行業等の関連事業への進出が可能となり、これら関連事業を鉄道事業と並ぶ重要な柱と位置づけて積極的に進出している。

E各社毎の特色の創出
・国鉄時代には全国レベルで画一的であった車両が、分割民営化後は、旅客ニーズ、地域特性等を反映し多様化し、速達性、大量性、アメニティ等各社の特色を反映した車両が登場した。
・企画切符
年齢、価格、目的等様々な旅客ニーズに対応した切符が発行されることにより、新たな需要を生み出すこととなった。