淀江町(現米子市の一部)は、中国地方の秀峰大山(だいせん)の山麓に位置し、清浄な湧水が豊富で、下流の淀江平野はかって淀江潟であったといわれています。
また、昔、この潟港を目指して朝鮮半島より大山に寄りそうように立っている孝霊山をめざして数多くの渡来人が寄港し、古代の日本海航路の拠点として栄えたといわれています。
町の東部には、数多くの竪穴住居跡や岩屋古墳を始めとした約400基の古墳が、4世紀から7世紀にかけて密集して築かれています。当時、今より少ない水田でこれらの古墳群を造営する大集団を賄うことができそうになく、海上交通のもたらす経済力により栄えたのではないかといわれています。
町内には多くの湧水があり、本宮の泉・天の真名井(あめのまない)・湯口(いぐい)の泉を水源として水田の保全管理がなされ農作物が育てられてきており、また、生活用水として古くから利用されてきています。
現在、天の真名井から流れる川は、野菜、米つきの水車や洗い場等に利用されるとともに、昭和19年に竣工した昭和用水によって、宇田川平野の流域をうるおしています。
本宮の泉の水源地域はうっそうとした森林に包まれ、鳥取県西部では唯一の亜熱帯植物クリハランの自生地で生物学上からも貴重であり、清涼飲料水の原料としても活用されています。
天井川ではホタルが生息するように護岸工事が行われました。
このように古い歴史をもった清涼な水を、地域住民と行政が大切に守りながら町おこしや特産物として積極的に活用しています。