4. コミュニティとプロセスが生むゆとり
◎ 日本の雑然とした都市景観に対しては、多くの批判があるが、どのような景観が望ましいものであるのか、価値観が多様化している中で全員の合意を得ることはきわめて困難。 ◎ 地域コミュニティが、じっくりと時間をかけた話し合いのプ
ロセスを経て、美しい景観という公益について合意形成に努めるなど、都市景観についての共通意識を醸成していく取り組み の強化を図ることが必要。 |
暮らしの中で日々使う場所が美しいということは、潤いのある生活を送る上で非常に大切な要素である。また、環境が人をつくることからも、美しい景観が必要である。
しかしながら、日本の都市景観に対しては、雑然としている、醜いといった批判がある。例えば、日本の都市景観を醜くしているものとして、沿道の看板、宣伝用ののぼり、コンビニエンスストア、自動販売機、余分なガードレールなどが挙げられる。
景観においては、ジグソーパズルと同じように、一つのピースが全体を台無しにすることがある。例えば1軒のガソリンスタンドが非協力であったり、不釣り合いなパラボラアンテナが1基あるだけで、全体の景観が阻害されてしまう。また、公的施設の整備を急ぐあまり行政が景観を阻害するものを整備し、批判を受けることがあるのも事実である。
外国の景観は美しいと言われているが、その特徴はよけいなものが何もないことである。例えば、イスラエルの山上の垂訓教会には周辺に余分なものは何もなく、美しい景観を保っているが、法隆寺の場合、すぐ脇の店のため景観が阻害されている。
水辺に目を向けると、外国の場合、自然の状態が維持され、市民が容易に近づけるようになっており、事故に備えて柵を設けるのではなく、ロープや浮輪が用意されているだけという例もある。
フィンランドでは、建物は、外観もそれほど凝らず、あっさりと街並みに溶け込むような形でつくられている。ただ、中が非常に美しく、インテリアデザインを大切にしているし、中庭をパーティーや物干しなどの生活に活用するなど、古い街並みの保全といいながらも、今も生きた形で保全している。また、地下にプールを設けるなど、地下空間を活用して、逆に地上では豊かな自然環境の保全に努めている。
このようなことから、美しい景観づくりを進める上では世代間のサスティナビリティという考え方が重要であり、生活の仕方、インテリアデザイン、建物の外観が一体となった良質なものを残すべきである。そのような意味では、子どもが安心して遊べる路地といった微小な空間も重視しなければならない。
より広い都市空間についても、まちの昔の層を生かした形で設計し、昔から住んでいた人たちの空間とある程度連続性を持たせた形にすることが必要で、こうした工夫により、高齢者にとっても外に出やすく生活しやすい都市となろう。
日本においては、高度成長期を通じて、新奇なものや個人の好み、個人の役割があまりにも強調され、価値観も多様化してきた。こうした中で、美しい景観とは何かということに関して性急に合意形成を図ることはきわめて困難である。こうした問題については、先を急ぐことは得策でない。それぞれの「私」をもとに自分たちできちんと調整していき、本当に何がよいのかということを自分たちで決定するというプロセスから美しい景観という「公」ができていくという、「公」のつくり方をじっくり時間をかけて実践していくことが必要である。
なお、このプロセスにいわゆる「公」がどのように関わっていくのか、「教育」がこのプロセスにどのように寄与すべきか、検討すべき課題は多い。