参考資料 

I.前文

 破壊は前ぶれもなくやってきた。平成23年(2011年)3月11日午後2時46分のこと。大地はゆれ、海はうねり、人々は逃げまどった。地震と津波との二段階にわたる波状攻撃の前に、この国の形状と景観は大きくゆがんだ。そして続けて第三の崩落がこの国を襲う。言うまでもない、原発事故だ。一瞬の恐怖が去った後に、収束の機をもたぬ恐怖が訪れる。かつてない事態の発生だ。かくてこの国の「戦後」をずっと支えていた“何か”が、音をたてて崩れ落ちた。
 震源は三陸沖、牡鹿半島の東南東130km付近、深さ24km、マグニチュード9.0。規模は国内観測史上最大、世界でも20世紀初頭からの110年で4番目の規模という。宮城県北部での震度7、東北・関東8県で震度6以上の強い揺れ、東日本を中心に北海道から九州にかけて、日本列島全体が揺れた。
 太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生した海溝型地震で、大規模な津波が発生。最高潮位9.3m、津波の遡上高は国内観測史上最大の40.5m。
 人的被害は、死者行方不明者合わせて2万3千名をこえる。そして被災地におけるストックへの直接的被害額は、約16.9兆円(内閣府)にのぼる。さらに原発事故、それに伴う風評被害は止まるところを知らない。
 比較されるべき関東大震災、阪神・淡路大震災は建物倒壊と火災による被害であったのに対し、今回は津波被害に原発事故といったまったく新たな災害であることを示している。
 都市型の災害であったからこそ、関東大震災がおこった時、あるジャーナリストは、こう書いた。「九月一日は赤い日であった。」「地震と火事を経て来た人々の頭は、余りに深く赤い色の印象を受けて、他の色を忘れたのであろう。」
 では今回の震災における被災者には、果たして何色が印象づけられたであろうか。それはあるいは海岸からおし寄せた濁流うずまくどすぐろい色かもしれぬ。いやそれは津波が引いた後のまちをおおいつくす瓦礫の色かもしれぬ。パニックに陥ることなく黙々とコトに処する被災した人々の姿からは、色味はどうであれ、深い悲しみの色がにじみ出ていた。その彼等のよき振舞いを、国際社会は驚きと賛美の声をもって受けとめた。そして国際社会からの積極的支援を促すこととなった。
 そこへ、色も臭いもなく、それが故に捉えどころのない原発被害が生ずる。国内外に広がる風評被害を含めて、今回の災害は、複合災害注1の様相を呈するのだ。したがって復興への道筋もまた単純ではなく、総合問題を解くに等しい難解さを有する。
 複合災害をテーマとする総合問題をどう解くのか。この「提言」は、まさにこれに対する解法を示すことにある。実はどの切り口をとって見ても、被災地への具体的処方箋の背景には、日本が「戦後」ずっと未解決のまま抱え込んできた問題が透けて見える。その上、大自然の脅威と人類の驕りの前に、現代文明の脆弱性が一挙に露呈してしまった事実に思いがいたる。われわれの文明の性格そのものが問われているのではないか。これ程大きな災害を目の当りにして、何をどうしたらよいのか。われわれは息をひそめて立ちつくすしかない。問題の広がりは余りに大きく、時に絶望的にさえなる。その時、程度の差こそあれ、未曾有の震災体験を通じて改めて認識し直したことは何か、われわれはこの身近な体験から解法にむかうしかないことに気づくことだ。
 われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳をすませてみよう。
 おそらくそれは、自らを何かに「つなぐ」行為によって見えてくる。人と人とをつなぐ、地域と地域をつなぐ、企業と企業をつなぐ、市町村と国や県をつなぐ、地域のコミュニティの内外をつなぐ、東日本と西日本をつなぐ、国と国をつなぐ。大なり小なり「つなぐ」ことで「支える」ことの実態が発見され、そこに復興への光がさしてくる。
 被災地の人たちは、「つなぐ」行為を重ねあうことによって、まずは人と自然の「共生」をはかりながらも、「減災注2」を進めていく。次いで自らの地域コミュニティと地域産業の再生をはたす。「希望」はそこから生じ、やがて「希望」を生き抜くことが復興の証しとなるのだ。
 被災地外も同様である。たとえば、東京は、いかに東北に支えられてきたかを自覚し、今そのつながりをもって東北を支え返さねばならぬ。西日本は次の災害に備える意味からも、進んで東北を支える必要がでてくる。そしてつなぎあい、支えあうことの連鎖から、「希望」はさらに大きく人々の心のなかに育まれていく。
 そもそも、自衛隊をはじめとする全国から集まった人々の献身的な救助活動は、まさにつなぎあい、支えあうことのみごとなまでの実践に他ならなかった。そこで引き続き東北の復興を国民全体で支えることにより、日本再生の「希望」は一段と身近なものへと膨らんでいく。そしてその「希望」を通じて、人と人をつなぐ「共生」が育まれる。それは日本にとどまらず、全世界規模の広がりを持つ。あの災時に、次から次へと、いかに世界中からの支援の輪がつながっていったか。われわれはそれを感動を持って受け止めた。
 かくて「共生」への思いが強まってこそ、無念の思いをもって亡くなった人々の「共死」への理解が進むのだ。そしてさらに、一度に大量に失われた「いのち」への追悼と鎮魂を通じて、今ある「いのち」をかけがえのないものとして慈しむこととなる。
 そうしてこそ、破壊の後に、「希望」に満ちた復興への足どりを、確固としたものとして仕上げることができると信ずる。


注1 「複合災害」とは、ほぼ同時に、あるいは時間差をもって発生する複数の災害。この場合、お互いが関連することで被害が拡大する傾向がある。たとえば、地震で地盤が緩んだところに大雨が降り、大規模の土砂災害が発生する場合などが、複合災害である。
注2 「減災」とは、自然災害に対し、被害を完全に封じるのではなく、その最小化を主眼とすること。そのため、ハード対策(防波堤・防潮堤の整備等)、ソフト対策(防災訓練、防災教育等)を重層的に組み合わせることが求められる。


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