第3節 将来を見越す

コラム 式年遷宮に見る技術継承と技術者確保

 2013年は日本を代表する神社の一つである三重の伊勢神宮で20年に1度の式年遷宮が行われ、多くの参拝客が訪れました。「式年」とは定められた年を意味し、「遷宮」とは新しい社殿を造って御神体を遷すことをいいます。
 伊勢神宮の式年遷宮は飛鳥時代の690年に始まり、約1,300年の歴史を有します。戦国時代に中断された時期はありましたが、現在に至るまで20年ごとに内宮・外宮の正殿等、正宮・別宮の全ての社殿と御装束・神宝の造り替えが繰り返し行われ、2013年は第62回目の式年遷宮を迎えました。社殿には檜の素木造りで堀立柱と萱(かや)の屋根等を特徴とする「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」という日本最古の建築様式が用いられており、当時から変わらぬ姿を今も見ることができます(図表2-3-56)。
 
図表2-3-56 正殿(内宮)
図表2-3-56 正殿(内宮)

 神宮には内宮・外宮ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿を交互に新しく造り替えます。この造り替えによって生じた古材は、可能な限り再利用されています。例えば、内宮と外宮の正殿の一番太い柱である棟持柱は、削り直したうえで、神宮の表玄関である宇治橋の内側と外側の鳥居として20年間利用され、その後は三重県亀山市の「関の追分」と桑名市の「七里の渡」の鳥居としてさらに20年間利用されています。このほかにも、古材は内宮・外宮の摂社・末社の修繕・造り替えに使用されたり、全国の神社に無償で提供したりしています。
 また、遷宮にかかる費用については、古代には朝廷、鎌倉時代には鎌倉幕府、江戸時代には徳川幕府、明治以後戦前までは政府によって賄われてきましたが、戦後は伊勢神宮が民間の宗教法人となり政府の手を離れ、以降は国費の投入はなく伊勢神宮の自己財源により賄われています。今回の遷宮による事業費は約550億円と公表されています。
 遷宮がなぜ20年に一度と定められたか、その理由には諸説ありますが、その説の一つに「技術継承説」があります。20年という期間は、当時の寿命でも2度は遷宮に携わることができ、初めて遷宮を経験する次世代の技術者へ技術を継承していくのに合理的であるという理由です。実際に伊勢神宮ではどのようにその建築技術が受け継がれているのでしょうか。
第61回式年遷宮が行われた1993年から、第62回式年遷宮が終わる2016年までの伊勢神宮の技能者の雇用状況と作業内容について概要を見ていきます(図表2-3-57)。
 
図表2-3-57 伊勢神宮が雇用している技能者の推移と作業内容
図表2-3-57 伊勢神宮が雇用している技能者の推移と作業内容

 式年遷宮は正宮の遷宮が終わった後に別宮の遷宮があるため、2年間は約160名の技能者の雇用が続きます。別宮の遷宮終了後、若手や技能優秀者30名ほどを神宮の常勤職員として残し、その他の技能者は解散となり、以後12年間、30名の技能者は摂社・末社の修繕・造り替え等を行います。
 本殿の遷宮終了後15年目に、次の遷宮のための木材加工が始まりますが、この頃から作業量や進捗に応じて全国から技能者を雇い入れていきます。この時、遷宮を経験している30名が新たに参加する技能者の教育を行います。この20年の周期によって、多い人で3回の遷宮に携わることができます。

 特筆すべき点としては、最低限技能を伝承するのに必要な技能者(30名)を遷宮終了後も常勤職員としてその雇用を確保していることです。一方で、ピーク時に雇い入れる技能者は、特に宮大工のみを採用しているわけではなく、一般の大工等を採用した後に必要な技能を教育しています。このことは、中核となる技能者を継続雇用し維持・更新業務に従事させることによって技術力が維持されているゆえに可能となっているといえます。

 このように、伊勢神宮の式年遷宮においては、次回の遷宮を見越して、人材の確保(ピーク時に向けた弾力的な雇用)と技術伝承(中核的な技能者の雇用維持)の取組が実践されています。社会インフラの維持管理・更新の担い手不足が大きな問題となっている昨今、1300年前から続いてきたこの仕組みから学ぶべき点も多いのではないでしょうか。
 
図表2-3-58 社殿造営の様子
図表2-3-58 社殿造営の様子

(参考文献)
 伊勢神宮式年遷宮広報本部公式ウェブサイト http://www.sengu.info/index.html
 (株)野村総合研究所「NRIパブリックマネジメントレビュー(2011/4月)」


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