1990年初からの株価急落が契機となったバブル崩壊以降、失われた10年あるいは20年といわれる経済低迷・低成長時代を迎えることとなりました。経済の成長が鈍り、節水努力も加わって水需要の伸びは鈍化し、国全体の水使用量は1998年頃まで横ばいの後、減少に転じています。
我が国の公共事業関係費は、景気を下支えする観点からバブル崩壊以降も増加傾向が続きましたが、税収が低迷する一方で、社会保障関係費は増加の一途をたどり、財政が悪化していったことから、1998年度予算が公共事業関係費のピークとなり、それから10年間連続で削減が続き、公共事業にとって厳しい冬の時代となりました。
1996年に誕生した橋本内閣は行政改革に取り組み、公共工事・行政コストの縮減、中央省庁の再編などを進めました。2001年1月におこなわれた省庁再編の結果、建設省・運輸省・国土庁・北海道開発庁を統合した国土交通省が発足しました。
1995年のダム等事業審議委員会からダム事業の見直しが始められ、2000年には与党3党が「公共事業の抜本的見直しに関する三党合意」を発表、長期化し進捗しない事業を中心に、ダムを含む公共事業全般について見直しが実施されました。
2003年、小泉内閣で進められた特殊法人改革の結果、水資源開発公団は独立行政法人水資源機構に改組されました。
2009年9月に誕生した民主党政権は「コンクリートから人へ」を掲げ、大幅な公共事業見直しを実施し、それまで減少が続いていた公共事業関係費がさらに大幅に削減されました。
建設中の宮ヶ瀬ダム
建設中の宮ヶ瀬ダム(夜灯)
民主党マニフェストで中止対象とされていた
2009年12月、前原国土交通大臣は「できるだけダムにたよらない治水」への政策転換を発表、事業中の全国の所管ダム事業について検証を行うこととしました。
図-3は国土交通省所管のダム建設事業数の推移です。最も事業の多かったのは1995年ごろであり、その後は大幅に減っています。
ダム検証については、個々のダムについて詳細な検討がなされ、順次、継続もしくは中止の決定が行われました。八ッ場ダムについては、最終的に2011年に事業継続が決定されました。
この時期に完成したダムは、国土交通省によるものとして、
試験湛水中の温井ダム
建設中の長島ダム
建設中の湯西川ダム
湯西川ダム全景
味噌川ダム全景
琵琶湖総合開発(大同川水門・排水機場)
琵琶湖総合開発(湖岸堤姉川地区)
また、技術開発や再開発、新型式のダム等において、新しい展開が見られました。
良好なダムサイトが減少する中、洪水調節や水供給機能を拡充するため、既設ダムの再開発事業が本格的に行われるようになってきました。既設ダムの嵩上げ(2001、
新桂沢ダム断面図(既設ダムの嵩上げ)
津軽ダム(下流により大規模なダムを建設)
複数ダム間での機能再編 鳴瀬川総合開発事業
放流設備を新設・増強 天ヶ瀬再開発
技術面では、コンクリートダムで一層の高速・連続施工を行うものとして、巡航RCD工法が開発され、
さらに、全く新しい形式のダムとして台形CSGダム技術が開発され、これにより
2011年の東日本大震災を経験し、低頻度だが巨大な被害をもたらす事象への対応が課題となり、地域全体としての多重防護や「粘り強い構造物」が重視されることとなりました。2013年12月には国土強靱化法等が成立し、国として国土の強靱化、防災対策を進めることとなりました。