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近世の道 五街道の道路整備と維持管理
Ⅲ.近世の道
五街道の道路整備と維持管理
1605(慶長10年)年 徳川秀忠の命により、下記のように街道を整備
標準幅員は約9m(山間部等では約4~7mに縮小)
1里毎に塚を築く(一里塚)
並木を植える
1630年代には一定の路面整備がなされた
砂利と砂による路面固め
「街道には眞砂をしき、土のあきまなければ、土くじり(土埃)はいづくをか吹からん、町しづかなり。」
(『慶長見聞集』1630年頃の記述)
徹底できず、人々は雨が降ると高下駄を履いて泥道を歩いた
「江戸の道、雨少ふりぬれば、泥ふかふして往来安からず」(同上)
破損のひどい箇所に関しては道中奉行の指示により、該当する道路の代官・大名が「御普請」を実施。
幕府の財政悪化に伴い、町人等の請負工事を控え、出来るだけ百姓の自普請でやるよう指示が出される。
さらに、周辺住民が共同で維持管理する組合の結成を促す。
日々の維持管理は沿道・近隣の村々が負担。
負担するのは概ね街道から20km以内の町村と規定。
1612年、幕府は「覚」として道路整備に関する命令を出した。
水溜まりや泥濘の所は砂石で敷き固めよ。
道の脇に水が流れるようにせよ。
提などの芝をはいではならない。
よい道に土をおくな。
悪い橋の修復は代官が申し渡せ。