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HERO's STORY 01 橋に憧れた少年たちが 世界第4位の 長大吊橋を完成させるまで 株式会社IHI 取締役 常務執行役員 川上 剛司さん 株式会社IHIインフラシステム 建設部 工事西第3グループ 担当課長 折⼾ 宏⾏さん

約1,480万人の人口を抱えるトルコ最大の都市・イスタンブール。ボスポラス海峡で二分されたこの地は、海峡の間に道路橋が3本、道路トンネルが1本、鉄道路線が1本しかなく、慢性的な交通渋滞に悩まされていました。この状況を改善するインフラ政策の一環として実施された、トルコ初の橋梁を含む道路BOT事業であるイスタンブールとトルコ第三の都市イズミールを結ぶ高速道路建設事業の中で、移動時間短縮に大きく貢献した「オスマン・ガーズィ橋(イズミット湾横断橋)」プロジェクトをEPC※1コントラクターとして担ったのが株式会社IHIインフラシステムです。 学生時代から抱き続けた大型橋梁建設へのロマンを、遠い異国の地で実現させた2人の日本人のストーリーに迫ります。

※1:Engineering, Procurement and Constructionの略語。設計・調達・建設の一連の工程を請け負うことを指す。

2人の中学生が見た夢

オスマン・ガーズィ橋の建設により、これまでフェリーで約1時間、湾岸の陸路で約1.5時間かかっていた区間の所要時間が約6分に短縮。その経済効果も含め現地メディアからは「トルコ国民の誇り」と賞賛されました。今回のヒーローは、事業の責任を一手に担った当時のプロジェクトマネージャー・川上剛司さんと、現場の最前線で施工管理を取り仕切った当時の上部工サイトマネージャー・折戸宏行さんです。

ボスポラス海峡で東⻄に⼆分されているトルコの⾸都・イスタンブールとオスマン・ガーズィ橋の架橋位置

「橋に興味を持ち出したのは中学2年生のころ。修学旅行のときに見た関門橋や、家族旅行で見た当時施工中の大鳴門橋をきっかけに、橋を造る仕事に興味を持ちました」(川上さん)

大学・大学院では土木工学を学び橋梁の講座も専攻した川上さん。長大橋の風洞実験を行う中で、当時、明石海峡大橋の耐風安定性の検討を担っていた株式会社IHIを志望します。面接でも同工事への参加を熱烈に希望し、無事内定を獲得。入社後は、日本最長級の鋼斜張橋・名港中央大橋(愛知県名古屋市)の工事に設計から架設完了まで関わるなど、橋梁建設のスペシャリストとして、海外プロジェクト部門、橋梁・エンジニア部門の部長、IHIインフラシステム設立後は技術本部プロジェクト部長などを歴任してきました。

学生時代の川上さん(前列中央)
入社当時の川上さん(左から2番目)

一方の折戸さんも橋造りに興味を持ち始めたのは中学生のころ。家族旅行で瀬戸大橋、大鳴門橋を渡ったことがきっかけでした。

「父は鳴門の渦潮を見せようとしたのだと思いますが、私は橋の壮大さや美しさに目を奪われました。それ以来、吊橋が好きで将来はこういうかっこいい構造物を造る仕事に就きたいと思っていました」(折戸さん)

大学では機械科を専攻したものの、就職活動では橋梁関連の会社に一本化。川上さんと同じく新卒でIHIに⼊社しました。以来、橋梁建設に携わり、5年ほど海洋構造物の製造部門を経て、再度橋造りのため株式会社 IHIインフラシステムへ移ります。

愛知工場に勤務していた当時の折戸さん

そんな2人がタッグを組んだ今回のプロジェクト。話は川上さんがプロジェクトマネージャーに任命された2011年にさかのぼります。

「それまでも海外のプロジェクトにはいくつか携わってきたものの、これほど大規模なものを当社だけで施工するのは初めてのこと。正直かなり不安はありましたが、こんなチャンスも自分にとって最後だろうと思い引き受けました」(川上さん)

そのころ、国内の現場で橋梁建設に携わっていた折戸さん。ある日の夜、すでにトルコへと渡っていた川上さんからの国際電話を受け取ります。

「『トルコに来ないか?』とのことでした。ただ、国内工事の技術者としてまだまだ未熟。トルコのプロジェクトも途中参加になってしまうので、一旦お断りしたんです。しかし、こちらの煮え切らない態度に『もう一回考え直せ』とお叱りをいただきまして……(笑)」(折戸さん)
「彼の吊橋への思いの強さは知っていたし、海洋構造物担当時代の外国人のお客様にしっかり対応する姿も見ていたので、任せてみたいなと。『こういうチャンスを逃したら、次はいつ来るかわからないぞ』と説得しました」(川上さん)

当初抵抗はあったものの、繰り返し熱心な説得を受け、ついに折戸さんも挑戦を決意。同社の歴史に刻まれる一大プロジェクトが本格始動しました。

ドライドッグで打ち合わせをする川上さん
組み上がったキャットウォークに立つ折戸さん

トップの立場で感じた重圧

今回のプロジェクトは、トルコ・イタリアの建設企業5社が独自に調達した巨額の資金で道路・橋梁の設計・施工・運営までをトータルに行うBOT形式※2。同社はオスマン・ガーズィ橋(吊橋)の設計・施工までを担うEPCコントラクターとして参画しました。海峡の向こう側に丘が見えるだけの更地の現場からすべてがスタートします。責任者の川上さんにかかる重圧は相当のものでした。 「弊社としても全体のパッケージで行う工事はいくつかありました。しかし、上物の橋だけでなく、海中の基礎から造らなければなりませんし、当時世界第4位の長大橋ということで、さすがにここまでの大規模工事は経験したことがない。自分がプロジェクトマネージャーとしてやりきれるのか不安ではありました」(川上さん)

※2:Build Operate Transferの略語。民間事業者が橋梁などの公共施設建設を行い、維持・管理・運営し、事業終了後に国や地方自治体へ施設所有権を譲渡する事業方式。

着工前の北側サイト
着工前の南側サイト

規模もさることながら与えられた工期も約3年半と短く、約10年を要した明石海峡大橋の1/2以下という非常にタイトなスケジュールでした。工程を縮めようとすれば、かかる費用は当然増し、工期が遅れれば1日に約2億円のペナルティが課せられます。1日2日の迷いも許されないスケジュールの中、川上さんは日々全体の進捗確認と重要な決断に追われました。 また、海外の工事では「ジ・エンジニア」と呼ばれるコンサルタントマネージャーが現地との仲介をしますが、その存在が川上さんにさらなるストレスを与えます。

「当初のジ・エンジニアは『今までお前はどんなプロジェクトをやってきたんだ?』『海外経験は?』『プロジェクトの実行プランを書類できちんと示せ』と厳しく迫ってきて、こちらが答えるたび小バカにしたように振る舞うんです。レクチャーしてくれることもあるんですが『こんな英語じゃ通じない』とさらに詰められる。時間がないのに承認が得られず、設計段階から話が進まない状況が続きました」(川上さん)

しかし、当初のジ・エンジニアが異動したことにより、なんとか事態は収束。現場経験豊富な新しいジ・エンジニアが入ったことでプロジェクトはようやく好転していきます。

「新しいジ・エンジニアからはいろんなことを教わりました。考え方のスケールが大きいし、決断もとにかく早い。100万円、200万円単位の費用で悩んでいると『お前の悩みは小さいピーナッツのようなものだ』と言われるんです。最終的に1億円単位でもピーナッツと言われたときは、さすがにどうかと思いましたが(笑)。日本とオスマン帝国、それぞれに生まれた人間のスケールの差を感じましたね」(川上さん)

川上さん(左端)と新しいジ・エンジニア(右端)

現場の最前線で感じたジレンマ

同じころ、オスマン・ガーズィ橋南工区の工区長として現場の施工管理を行っていた折戸さん。スーパーバイザーとして参加した日本人橋梁とび職人1人に対し、現地のトルコ人スタッフが5人ほど付いて1グループとなり、それが各工区10グループ前後で作業を行います。折戸さんはそれらを束ねる現場のトップとして、工程の管理から労務の管理まで行っていました。

側径間と中央径間ブロックの同時架設現場

「私の役割はいわゆる“現場監督”。ただ、国内でやっていた管理業務と比べ、施工の部分よりも人的なマネジメント色が強いんです。給料を上げろとか、昼食がマズいとか、トルコ人スタッフからの要求が多く、本来やるべき仕事の時間も奪われてしまう。正直、ジレンマはありました」(折戸さん)

働き方が違えば文化も違う。今回はトルコの国家プロジェクトとして扱われたこともあり、大統領や首相が出席するイベントを組み込まれることも。ただでさえ厳しい工程の中、様々な公開日程をピンポイントで指定されました。 日本の現場にはない雑音に翻弄されつつも、当然ながら各グループの作業手配、作業員の安全性確保、品質の確保など、施工のマネジメントも同時に求められます。しかも折戸さん自身、吊橋の施工管理は初めての経験。目に見えない不安を多く抱え、川上さんとは異なる重圧を感じていました。

「そんな中でも川上さんは妥協してくれない。正直『えー!そこまで要求します!?』ということもありました。でも、川上さんは私がアピールするまでもなく現場の状況を深く理解してくれていたし、ご自身が一番矢面に立って私たちを守ってくれていた。その上で言ってくるんだから、私も含め先輩や上司も、よしやろう!という思いでした」(折戸さん)

キャットウォーク上で作業をチェックする折戸さん(左から2番目)
現場で共に汗を流した日本人&トルコ人スタッフのみなさんとの集合写真(川上さん:前列左から4番目の人の真後ろ、折戸さん:川上さんの右隣り)

支えられた情熱 気付かされた言葉

様々な困難に立ち向かう川上さんと折戸さんを支えたのが、日本からスーパーバイザーとして参加した橋梁とび職人のみなさんです。2人と同じく、橋造りに誇りと情熱を持つスペシャリストたちの存在が、ギリギリのプロジェクトを確実に前へと進めました。

「本当に橋造りが好きな人たちばかりで、一生懸命やってくれました。世界で4番目の長さの橋を架ける機会は彼らにとってもそうはないですからね。『この仕事を達成できたらオリンピックの金メダル級だよ』と励ましながらお互いに頑張りました」(川上さん)
「厳しいスケジュールの中、文句も言わずに常に前向きな姿勢で働いてくれる。同じ気持ちを持った人たちと1つのベクトルに向かって働けたことで、私たちも前向きになれました」(折戸さん)

その情熱は徐々に現地のトルコ人スタッフにも伝わっていきます。最初はアルバイトの延長線上のような感覚で働いていた彼らも、スーパーバイザーからの日本語混じりの指示を懸命に理解し、業務を遂行。お互いの信頼関係が深まるにつれ、スキルも着々とアップさせていきました。

「トルコ人スタッフから『リーダーはどんな時も笑顔で前を向いていてくれ。絶対に下を向いてはいけない』と言われたことがあり、その言葉は今でも大切にしています」(川上さん)

桁閉合を桁上で祝うスタッフのみなさん
桁閉合を祝し胴上げされる川上さん

途中、計画上のミスや思いがけない事故でたびたび危機を迎えた今回のプロジェクト。そのたびに川上さんの信念である「ネバーギブアップ」を合言葉として困難を乗り越えました。全長2,682mの吊橋は、着工から準備工6カ⽉を含むわずか48カ月という短期間で完成。これは、長大吊橋の施工速度として今もなお世界第1位の記録です。

完成したオスマン・ガーズィ橋全景

未来へつなぐ思いの架け橋

今回のプロジェクトを通して川上さんが常に意識していたのが若手の育成です。

「最近、この業界も若い方は海外で働きたくないという方が多いんです。でも、次の海外プロジェクトに向けて経験のある人材を増やしていく必要もある。若いうちに現場に立つと、意識も変わると思うんです」(川上さん)

自身も40代後半でこのプロジェクトに携わり、人生観が大きく変わったという川上さん。会社だけでなく、土木業界全体の発展を見据え、若い人にもっと海外での経験を積んでほしいと訴えます。
実際、今回のプロジェクトでは同社の若手エンジニアだけでなく、現地トルコや日本からも学生のインターンを受け入れてきました。未来の建設業界を担う若者たちに、橋梁建設や海外建設プロジェクトの魅力を伝えるためです。

塔頂でケーブル架設を見守る川上さん

そんな若手の中に、かつて川上さんが面接し採用した1人のトルコ人エンジニアがいました。彼は子どものころ、イスタンブールの第2ボスポラス橋建設の現場を見て橋造りに興味を持ち、やがてその橋を手掛けた同社へと入社したのです。そして今回、川上さんの右腕として、受注から完成まで参加。子どものころからの夢を母国で実現させました。

「彼が現地のお客さんと折衝し、様々な摩擦を取り払ってくれました。今回の経験を活かして彼は今、ルーマニアでドナウ川にかかる吊橋建設に携わっています」(川上さん)
「彼だけでなく、今回スタッフとして働いてくれたトルコ人の若い子が、同じルーマニアの吊橋建設に今度はスーパーバイザーとして参加してくれています。厳しい現場ではありましたが、橋造りの面白さが伝わっていたのだとすればうれしいですね」(折戸さん)

川上さんの右腕として活躍したトルコ人エンジニアのトゥンチュさん
事務所で現地スタッフと協議するトゥンチュさん
開通式にてエルドアン大統領とのイフタール(断食明けの食事会)の様子

夢の先で見たそれぞれの景色

プロジェクトを終えた今、2人に感想を尋ねると、その答えは対象的でした。

「私にとっては今回がおそらく橋梁関係の最後の現場。一番やりたかった海外の吊橋で、プロジェクトマネージャーとして苦難はありましたが設計から施工までトータルに携われたことは、橋屋冥利に尽きる、の一言です」(川上さん)

学生時代からの大きな夢を叶え、満足感を語る川上さん。一方、折戸さんは反省を口にします。

「もちろん達成感はあるのですが、次はこうしたいという思いのほうが強いですね。今でも『あの時もう少しこう動いていれば』と思うことがあります」(折戸さん)

完成した橋梁を背景にトルコ人スタッフのみなさんと撮った記念集合写真

最後、2人に橋造りの魅力を語っていただきました。

「土木構造物の中でも、一番遠いところまで架けられるのが橋の魅力。よく“架け橋”という言葉を耳にしますが、今まで行けなかった向こう岸に行けることで、その周りの多くの方々の期待に応えられる。あと、トンネルと違って目に見えるところがいい。私は“吊橋は芸術”だと思っているんです。中でも今回のオスマン・ガーズィ橋は非常にいいプロポーションだと思います」(川上さん)
「一言で言えば“つなぐ”というところですね。たとえば、田舎でおばあちゃんがそれまで遠回りしないと行けなかった場所も、橋でつなぐことでスッと行けるようになる。もともと何もなかった場所を橋でつなぐことで、暮らしや風景がガラッと変わって、感謝もしてもらえる。やりがいのある仕事だと思いますよ」(折戸さん)

その後、株式会社IHIインフラシステムの代表取締役に就任した川上さん。現在は株式会社IHI 取締役常務執行役員として本社の経営に携わっています。折戸さんは、工事課長として国内の現場の管理業務を行いつつ、トルコでの経験を活かしルーマニアで建設中の吊橋工事における相談を受けるなど、土木・橋梁業界の未来を担う若手の育成にも尽力しています。

現在の川上さん
現在の折戸さん

⼯期:2013年1⽉~2016年6⽉
発注者:NOMAYG JV(BOT事業参画企業による建設施⼯監理を担う企業体)
応募者:株式会社IHIインフラシステム

関係者
設計:株式会社IHIインフラシステム/COWI
施⼯:株式会社IHIインフラシステム

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