表1 東京圏の工業集積地(東京・神奈川・埼玉・千葉)

 

工場集積地域

工業地としての特徴

市街地の状況

遊休地化の動向

その他
(関連動向、計画等)

@



・荒川右岸

(北・板橋区)

・明治9年開設の陸軍造兵廠等の官営工場により、素地が形成。

・第2次大戦中に、城東の軽工業、城南の機械工業の移動、新規立地。

・精密機械、1次金属、化学工業等が集積。

・板橋区に住工混在地域を形成。

・板橋区の荒川、新河岸川沿いには比較的大きな工場が集積。(大手、中堅の鉄鋼メーカー工場等)

・軍需工場から発展した大規模な化学工場等の地域外移転または撤退による遊休地発生。

・98年、北区のキリン東京工場(約6.5ha)の閉鎖。売却。

  

A



・隅田川・荒川沿い
(台東・江東・墨田・荒川・葛飾・江戸川・足立区)

・江戸時代、日本橋、神田などの職人仕事や家内労働による消費財生産が隅田川方面に拡大

・明治になり、隅田川沿いに官営工場、民営工場が集積、戦中、戦後にかけ外延。

・深川木場の木材、本所の繊維(メリヤス)等の伝統産業の他、消費財工業が主体。 

・墨田区、葛飾区、足立区に、住工混在地域が広がる。(特に、墨田区は家族的規模の零細層が多い)

・比較的大きな工場は、荒川、中川等の河川沿いに立地。

・墨田区では、昭和40年代後半から工場数の急速な減少が進行。葛飾区では昭和50年代末。

・アンケートでは、生産設備の地方移転計画に伴って遊休地化が見込まれる大規模工場(約20ha)の事例あり。

・墨田区による昭和50年代以降の中小企業対策中小企業振興基本条例(昭和54年)、産業振興会議(昭和55年以降)、すみだ中小企業センターなど

・共同受注グループ「ラッシュすみだ」

B







・武蔵野地域
(武蔵野、三鷹等)

・多摩中央地域
(八王子、立川等)

・多摩西部地域
(青梅、羽村等)

・江戸期から昭和40年前後まで、八王子、青梅の和装織物業を基幹産業として展開。

・戦前、戦中、昭和40年前後に京浜から大規模工場群が疎開。(首都圏整備法等による)

・昭和50年代中頃以降、量産工場から研究開発工場、母工場への転化、ベンチャーの登場。

・河川敷の大規模工場、昭和40年代以降に集積する中小企業の分散立地、自治体間に跨がる工業団地。

・分散立地の小規模工場だけでなく、工業地域や準工業地域の工業団地(八王子)への住宅立地による住工混在化の進行。

・三ツ原、三吉野等の工業団地整備、圏央道のポテンシャルによる大規模工場増加の一方で日産武蔵村山工場の閉鎖などもある。

・アンケートでは、多摩西部の工業団地内で、倉庫機能を他工場へ移転集約し、遊休地化した事例あり。

・昭和50年代にベンチャー型企業を受け入れた在来織物工場跡地、貸工場。

・三鷹市、調布市、府中市における大規模工場跡地等へのオフィス立地。

C



・目黒川〜多摩川間
(品川・大田区)

・明治10年に、機械製作を目的とした赤羽工作分局の開設後、芝周辺に機械工場が集積。

・1931年(日華事変)以降、大森、蒲田に、目黒川、品川から電気機械等が進出。

・高度加工技術を備える膨大な数の中小零細工場が集積。(ナショナルテクノポリス)

・大田区には、零細工場が多いことから、広く住工混在地域が分布。

・大田区の工場数は、昭和58年の9000をピークに減少し、平成6年には7000を割り込んだ。

・有力企業の海外展開、分工場化の広域展開の一方で、中小零細企業は移転困難で停滞。

・アンケートでは、施設の老朽化により遊休地化が見込まれる約1haの工場の事例あり。

・高度成長期、大森一帯の漁業権放棄による海苔干場跡を活用した貸工場の展開

・近年のJR蒲田駅周辺の高層マンションへの中小システムハウスや設計型企業の入居

D





・多摩川沿い

・1930〜40年代、京浜の川崎、鶴見地区の影響を受け、南武線沿いに工場立地進行。

・高度経済成長期、京浜臨海部の後背地として高津等への工場集積が進行。

・昭和50年代以降、マイコンシティ、かながわサイエンスパークが具体化。

・比較的大規模な工場が、市街地内に単独で立地しているものが見られる。

・周辺の市街化に加え、生産機能再編にともなう工場の移転、流出が想定される。

・98年、東芝多摩川工場の閉鎖。試作機能を全国4ヵ所の量産工場に分散。

 

E




・川崎・鶴見臨海

・横浜南部臨海
(金沢・横須賀)

・横浜開港直後の1860年代に横浜と横須賀に製鉄所が建設。1913年(大正2)、鶴見川河口から川崎にかけて埋立工事が開始。

・高度経済成長期、重化学工業を中心に京浜工業地帯の発展を担う。埋立地、約4000ha。市街地工場移転による金沢工業団地の形成。

・臨海部第1層(産業道路からほぼ内奥運河まで)は、工業専用地域と工業地域で、既成市街地に隣接。

・第2層(内奥運河から京浜運河まで)は、ほぼ工業専用地域。第3層(京浜運河から海側)は、海側に準工と商業地域を一部含む。

・鉄鋼、石油化学等の基礎素材型工場等をはじめ、遊休地の発生。

・アンケートでは8件(内、横須賀1件)。

・「京浜臨海部特定工場に対する遊休地調査」(平成8年6月)によれば、回答した90工場の内、遊休地は8、遊休施設は5工場。

・平成8年に、神奈川県、横浜市、川崎市で、「京浜臨海部再編協議会」設立。

・研究開発拠点(横浜市末広町地区)の理化学研究所、横浜市立大学大学院の誘致。

F





・鶴見川沿い
(綱島・新羽・港北IC周辺)

・昭和50年代以降、城南、京浜臨海部からの移転用地として、東横線沿線の綱島地区にベンチャー型企業、鶴見川遊水池の新羽地区には公害型重装備の企業が集積。

・工業団地として、ニュー港北工業団地(84年造成)、白山ハイテクパーク(86年)。

・新羽地区では、都市計画上の配慮がないままに、短期間に工場集積が進み、住工混在化。

・新羽からの工場流出、それにともなう住宅立地の進行により、住工混在問題が進行。

・アンケートでは、鶴見川南側の準工地域で工場再編で将来、遊休地化が見込まれる工場(約0.7ha)の事例あり。

・鶴見川を挟み新横浜の対岸にある新羽地区の業務・研究開発機能集積地区としての位置づけ(区画整理事業による基盤整備等)。

G





・東海道線沿線
(戸塚・大船等)

・1930〜40年代、京浜の川崎、鶴見地区の影響を受け、東海道線沿いに工場立地進行。

・高度経済成長期、京浜臨海部の後背地として戸塚から大船、藤沢等にかけて工場集積。

・90年、保土ヶ谷に横浜ビジネスパーク完成、95年、舞岡に横浜市立大学生物研究所。

・比較的大きな規模の工場が多く、市街化の進行により、市街地内に単独立地しているものが見られる。

・日産の不振を受け、98年に戸塚の橋本フォーミングの本社工場、横浜工場が閉鎖。 

・アンケートでは、市街地に隣接する調整区域に位置する工場(約20ha)が、周辺の市街化により移転した事例あり。

・バイオテクノロジー等の研究開発機能の集積を図る舞岡リサーチパークの整備。(第1期事業9ha、第2期事業17ha計画中)

H






・相模川沿い内陸
(相模原・厚木・座間・伊勢原等)

・海岸寄り地域
(茅ヶ崎・平塚等)

・相模原、厚木に旧陸軍施設と関連工場集積。

・1960年代以降、神奈川県内陸部に多くの工業団地が造成。自動車部品電気機器製造等の中規模工場が立地。団地形式以外も多い。

・昭和50年代、R16号、246号沿い、厚木、相模原等でハイテク化が進行。森の里など。

・工業団地、市街地フリンジの工業集積地への中大規模工場立地。市街化の進行により、住工の隣接化が進行。

・97年日産座間工場、98年平塚のコマツ電子金属、99年厚木の旭化成マイクロシステム等の閉鎖。

・アンケートでは、郊外の工業地域に立地する資材センター(約1.9ha)が施設統合で遊休地化が予定されている事例あり。

・西湘テクノパーク(小田原、30ha)、伊勢原(22ha)、秦野(28ha)等の工業団地の計画。

I



・城東、城北地域の拡大
(川口、和光、草加等の外郭環状道路周辺)

・明治初期には、在来工業としての川口の鋳物、草加の皮革等。昭和10年代、軍需関係発展。

・戦後、1952年の県工場誘致条例で、和光の本田技研、朝霞の積水化学等を誘致。

・1960年代には、城東、城北と連坦し、京埼工業地域として発展。草加に工業団地を建設。

・城東、城北と連坦した産業ゾーンであり、川口のように、土地利用上も住工混在化したところが多い。

・城東、城北と同様に工場数の大きな減少傾向がうかがわれる。川口市では、86年約3300をピークに97年には約2400まで減少している。

・生産機能再編、老朽化、住宅との混在化による移転、遊休化の動向が想定される。

・川口での研究開発型拠点の整備。

J


西


・関越自動車道セクター南部
(所沢、川越、東松山周辺)

・在来工業としては、所沢、川越等で、八王子方面からの技術伝播を通して綿織物が発展。

・1960年代には、京埼地域とともに、川越、所沢、狭山、入間等の南部で工業化進行。狭山 と川越に工業団地。東松山の工業団地等、北部へ展開は70年代以降。

・京埼地域とともに、川越や所沢等の南部では急速な市街化の中で、住宅と工場の混在化が見られる。

・京埼同様、住宅との混在化等による工場の移転、遊休化の動向が想定される。

・北部の「比企地域テクノグリーン構想」。嵐山等の工業団地整備の他、研究開発型企業や先端技術産業立地の促進、研究開発の拠点施 設整備。

K





・高崎線・国道17号セクター
(浦和・大宮〜鴻巣・吹上)

・在来工業として浦和の綿織物。1894年、労働者1000人超える日本鉄道大宮工場設立。

・工場誘致条例で大宮に片倉ハドソン誘致。高度経済成長期の60年代、京埼地域とともに工業発展。大宮、上尾等に工業団地建設。

市街化と工業化が同時に急速に進行したことから、工場地が市街地内に取り込まれたもの、市街地のフリンジに位置するもの多い。

・高崎線、国道17号沿いに形成された市街地内に介在する工場の移転が想定される。

・アンケートでは、鴻巣駅直近にあり、他の工場に統合され、工場閉鎖した事例あり。

・「さいたまYOU And Iプラン」。与野、大宮、浦和、上尾、伊奈において、高次都市機能を集積し、中枢都市圏を形成。

L





・東北自動車道セクター
(越谷・春日部〜行田・羽生)

・在来工業として、南部の春日部、岩槻に桐材工業、北部の行田、羽生、加須に衣服。

・工業団地の建設は、60年代に春日部、行田、加須、70年代に久喜、鷲宮、春日部、80年代以降に幸手、岩槻、大利根等広域に展開。80年代に東北自動車道沿線で先端化の進行。

・北部では、工業団地を市街地と分離して集約配置しているところが多いが、南部の越谷、春日部あたりになると工場と住宅地の混在が結構見られるようになる。

・市街地の住工混在化による工場移転の他、生産ライン再編にともなう工場移転等が想定される。

・アンケートでは、北部の工業団地内の企業で、全国の工場の統配合によって工場閉鎖した事例あり。

・北部の「利根地域テクノグリーン構想」。メカトロニクス系技術拠点として、行田、加須羽生、騎西、栗橋等に工業団地造成の他、デザイン研究拠点施設の整備。 

M



・関越自動車道・高崎線周辺
(熊谷、深谷、本庄等)

・熊谷の製糸、深谷のかわら等の在来工業。明治に熊谷に製糸工場、深谷にレンガ工場等。

・熊谷では59年に工業振興条例制定、同じく深谷では大工業団地造成で企業誘致。

・70年代から80年代前半にかけて、本庄、児玉等を含め、関越自動車道沿線の工業集積。

・市街化の進行により、工場集積地が市街地に取り込まれたり、市街地と連坦したものが多くなっている。例えば、70年代初頭に深谷市の端に建設された100ha程の工業団地は、隣接する熊谷市の市街化と合わせて連坦した市街地の中に取り込まれている。

・深谷等、60〜70年代に建設された工業団地には機械工業の集積が多く、施設の老朽化、生産施設の集約化等による遊休地の発生が想定される。

・大里・児玉地域の「テクノグリーン構想」。熊谷、本庄、深谷、寄居等の工業団地整備、熊谷市にテクノグリーンセンター整備の他、技術交流の拠点施設整備。

N






・浦安・市川・習志野臨海

・千葉・市原・袖ヶ浦臨海

・木更津・君津・富津臨海

・昭和初期、商工省による東京の工場分散計画によって、船橋、市川に機械工場立地。1940年、内務省の臨海工業地帯計画で埋立進行。

・53年に軍需工場跡地に川崎製鉄、57年に東京電力火力発電所が稼働。59年、県は京葉工業地帯造成計画を策定し、市原以南を工業化

・市川、船橋あたりは臨海部の工業地と市街地が混在化している。

・習志野では湾岸道路、千葉から袖ヶ浦にかけては、京葉線ないしは国道16号によって工業地と市街地が比較的明瞭に区分されている。木更津、富津も同様。

・京浜同様、基礎素材型工場の遊休地化が見込まれる。川崎製鉄では、6基の溶鉱炉の内、既に4つが休止。他、98年に橋梁業界大手の横河ブリッジ千葉工場が閉鎖。

・木更津、袖ヶ浦においても、アンケートで、鋼材、製紙等の工場閉鎖2事例あり。

・県のビッグプロジェクトである「千葉新産業三角構想」として、「幕張新都心構想」「かずさカデミアパーク構想」による千葉と木更津の業務核都市の形成。 

O





・東葛
(松戸、柏等)

・国道16号周辺
(千葉内陸、八千代等)

・在来産業として、野田、流山等のしょうゆ醸造業が発展。第2次大戦前には金属が新興。

・1960年以後、県の内陸工業化政策により、松戸、柏、八千代、流山等に工業団地出現。

・柏市に、98年に総合産業支援施設の東葛テクノプラザのオープン。

・市街化の進行により、工業団地のような面的工業地も含めて、市街地に取り込まれたもの、ないしは隣接するものが多くなっている。

・戦前からの工場集積もあることから、工場再編にともなう遊休地の発生が想定される。

・八千代で99年1月に鉄鋼関連の2社が相次いで工場閉鎖、売却を決定したものあり。

・アンケートでは、野田で醤油工場の閉鎖事例がある。

・東葛飾北部地域における核都市の整備。柏の東葛テクノプラザ、東京大学等。

P





・東関東自動車道沿線及び成田空港周辺
(成田、四街道等)

・戦後の内陸工業化のすう勢の中で、主だった展開は見られない。

・78年開港の成田国際空港、東関東自動車道の開通(85年成田まで)を背景に、周辺10・圏域に8つの工業団地を整備。(現在、内6つが稼働)

・基本的に工業団地と市街地は分けて形成されている。一部、成田の市街地に60年代に立地した工場が残されたものがある。

・基本的に工業団地は新しいものが多く、ここでの遊休地化はまだ想定されないが、市街地内に取り込まれた工場については、その可能性がある。

・県のビッグプロジェクトである「千葉新産業三角構想」のひとつである「成田国際空港都市構想」による成田業務核都市の形成。

Q





・九十九里浜平野
(茂原〜東金〜銚子一帯)

・1935年、国内最初の天然ガス会社の大多喜天然瓦斯が茂原に進出。戦前、戦後の工業化を促進。60年代、茂原、東金、松尾等で工業団地が立地。

・成田と木更津をつなぐ圏央道等のポテンシャルの高さから、各地で工業開発進行中。

・市街地外(あるいは田園、山林地)に立地しているものが多い。ただし、茂原や銚子等の市街化の早く進んだところでは、市街地内に工場地が取り込まれたところも見られる。

・茂原、銚子等、県内でも古くからの工場立地の見られた地域であり、施設の老朽化に伴い遊休地化する可能性も想定される。

・茂原、東金を中心都市とした「長生・山武地方拠点都市地域」の整備。東金の千葉東テクノグリーンパーク等。

注)表中「アンケート」とあるのは「遊休地実態調査」(平成11年6〜7月)。