リレートーク

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古川 康造(高松丸亀町商店街振興組合 理事長)

古川 康造

100年を見据えて

私の生まれ育った高松市は、かつて瀬戸の都高松と呼ばれ港町として、また四国の中枢管理都市として隆盛を誇りました。瀬戸大橋の開通後、街は大きく様変わりし、商都高松の中心的役割を担っていた市中心部の商店街も、衰退を余儀なくされました。430年の歴史を誇る丸亀町では、生き残りをかけた再生計画がスタートし、その中でも特にこだわったのが、広場の整備でした。

 ヨーロッパの古い町並みはほぼ例外なく、街の中心に大きな広場を持っていています。その広場はまさに地域の方々の集いの場であり、憩いの場であり、情報交換の場であり、出会いの場でした。そして日本にも同じような「場」がありました。それが「札の辻」と言われるものです。この「札の辻」は江戸時代に官の制札を立てた辻であり、それは現在、多く地名として全国各地に残っています。それは町の中心部にある大きな広場であったり、街道の基点であったり、お城の正面玄関前の場所で、最も多くの人々の集まる場所でした。今回の丸亀町再開発で作られたドーム下の大きな広場も、讃岐の各街道の基点でありまた、古にはお城の正面入り口前でした。  そう、まさに「札の辻」と呼ばれる、都市計画上も重要な役割を担う場です。この広場が大きく整備され、現在、多くの市民の皆様が休日ごとにこの広場を上手く活用し、現在、年間で250本を超える持ち込みのイベントが開催され、賑わいに大きな役割を果たしています。そして、この広場こそが向こう100年、市民の皆様の相集う市のシンボル的な広場になってくれれば、と思っています。

後に続く、僕達の子や孫に、僕達は何を残してやれるのだろうか・・・?市中心部にかつてのように、たくさんの市民の皆様が住み、そして賑わいが復帰し、憩いそして出会う、向こう100年を見据えたまちづくりをしなければなりません。

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