リレートーク

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西成 典久(香川大学経済学部教授)

西成 典久

世界で唯一の

うみじろまち海城町

 香川・高松

皆さん、こんにちは。香川大学の西成と申します。
この度、G7都市大臣会合関連イベントで開催される「学生サミットin香川・高松」にて、コーディネーター役を務めさせていただくこととなりました。
東京生まれ東京育ちの私ですが、仕事のご縁をいただき、2009年に香川大学に着任いたしました。専門は都市計画・景観デザインという分野で、現在は「歴史と文化をいかしたまちづくり」や「公共空間のデザインとマネジメント」等を主要なテーマとして研究・実践に取り組んでいます。

夕暮れの高松港 夕暮れの高松港

さて、約30年東京で暮らしていた私にとって、香川・高松は自然が豊かで食もおいしく、瀬戸内海と讃岐山脈に恵みを与えられた、まさに理想郷のような場所だと思っています。なかでも、現在住んでいる高松という町は、海に臨む城下町として、日本の城郭史上、稀有な町の形成過程をたどってきました。そして、その形成過程は日本で、いや世界で唯一ともいえる町の特徴を持っているのです。ここでは、その内容を少しだけご紹介させていただきます。

私は香川の県都・高松を「世界で唯一の海城町(うみじろまち)」と紹介しています。では何が唯一なのか、整理すると以下の3点となります。

①高松には「日本で最初で最大」と称される海城が存在した点
②城が海に対して正面を向き「海―城―町」が一直線に並ぶ均整のとれた都市構造をもつ点
③江戸時代に海城によって開かれた海域が現在でも港として活用されている点

海城町の都市構造 海城町の都市構造

まず、1点目、香川高松に「日本で最初で最大と称される海城」が存在していたことについて、地元の方々もほとんどの方が認識されていないのが現状かと思います。高松城は1588年に築城が開始されますが、この時代は豊臣秀吉がほぼ天下を手中におさめた時代で、日本各地に城と城下町が一体となった「近世城郭」がつくられていきました。高松城もその1つで、特に重要な役割を担ったのが、瀬戸内海の交通と治安を管理することでした。そのため、高松城の外堀は巨大な港としての機能も果たし、結果的に「近世城郭」として日本でも最初期で最大規模となる海に対して開かれた海城が高松に築かれました。

高松城周辺公園化構想図 高松城周辺公園化構想図

続いて、2点目は「高松城下図屏風」を見ていただければわかるように、海と城と町が一直線上に並ぶような都市構造をとっています。こうした都市構造により、城が海に対して正面を向き、その背後に城下町が形成される、ダイナミックな海城景観が生み出されました。これは他の海城では見られないほど、特徴的な景観となっていました。
最後の3点目ですが、高松は現在でも海と城の距離が近く、海城によって開かれた交易の場が、現在でも引き継がれています。これも他の海城にはない特徴で、多くの海城は近代化の過程で埋め立てが進み、城跡は市街地の中に埋没していく経緯を歩んでいきました。しかし、高松は近代化以降、海城前に巨大な港がつくられ、それが現在まで埋め立てられずに現役で利用されてきました。その結果、高松城は海との距離が近い状態を保てており、これは他の町にはない強烈な個性を発揮できる点だといえます。
以上、3つの特徴でみてきたように、香川の県都・高松は他の城下町にはない海城としての特異な特徴を持っています。こうした、高松にしかない個性をしっかり把握したうえで、他の都市では体験できない高松オリジナルの魅力を生み出していく必要があると考えています。そのためにも、町の個性を最大限活かすことができる骨太の「まちのビジョン」が求められており、具体的には「港-駅-城-商店街」を魅力的に回遊できるウォーカブルなまちづくりがこれからの高松にとって重要な役割を担うと考えています。

さて、来る7月にはG7都市大臣会合がここ高松で開催されます。地元としては、都市大臣会合のテーマである「持続可能な都市づくり」を目指して、今一度、香川・高松にしかない都市の魅力を世界的な視点で見直す契機としたいですね。

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