リレートーク

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古川 尚幸(香川大学経済学部教授)

古川 尚幸

成長の場は瀬戸内海

香川県出身の私が、大学入学のため、宇高連絡船に乗り四国を離れたのは、1988年3月終わりのことでした。その後、大学生となって初めてのゴールデンウィークで帰省した際には、すでに瀬戸大橋が開通し、そのとき初めて瀬戸内海を鉄道で渡りました。瀬戸内海を渡るためにかかる時間は、当時、宇高連絡船で1時間のところが、瀬戸大橋では鉄道で十数分。それまで遠く感じていた本州がとても近くなったことに驚きを感じました。

それにも増して心に残っているのは、初めて瀬戸大橋の橋上から見た穏やかな瀬戸内の海とそこに浮かぶ島々。それまで船上からの瀬戸内海の景色は見慣れていましたが、初めて見た橋上からの景色はいまでも脳裏に残っています。その後、いまで言うUターン就職で、香川大学経済学部に商品学の担当教員として職を得て香川県に戻ってきましたが、のちに瀬戸内海の島々やそこに住む人びととこんなに親しくなるとは、当時はまったく想像していませんでした。

それまで連絡船や瀬戸大橋から、瀬戸内海の島々を眺めることはありましたが、実際に渡ったことがあるのは小豆島ぐらい。島々とは無関係な日常生活を送っていましたが、私にとって商品学の母である、いまは亡きМ先生からのお誘いで、2005年春に直島に行ってから、私の人生が大きく変わったと言っても過言ではありません。香川県が好きでUターン就職しましたが、それまでまったくと言っていいほど島々に興味や関心はありませんでした。それが、直島で出会った島民の温かさに触れ、当時の直島がおかれた環境を知るなかで、直島はもちろんのこと、瀬戸内海の島々、さらに地元である香川県のことが好きになっていきました。当時の直島は、すでにアートの島や環境の島として、アートや建築に関心のある方々の間では知られた島でしたが、瀬戸内国際芸術祭のスタートまであと5年、現在ほど多くの観光客が訪れる島ではありませんでした。

プライベートで直島に通うようになり半年。2005年秋に当時の3年生ゼミで、直島の飲食店や休憩できる場所の少なさについて、学生たちに話しました。いまでこそ多くのカフェがある直島ですが、当時、直島本村地区にはカフェが1軒のみ。観光客がお昼ごはんを食べられるお店がほとんどないことに、この状況を教えていただいた直島島民が観光客に対して申し訳なさを感じていることを学生たちに伝えました。当時、地域で活動することなどまったく考えていなかったので、「誰かカフェでもやればいいのに。」と何となく言った私の一言を受けて、「自分たちでカフェをやってみたい。」と言うゼミ生たちが現れました。ここから香川大学直島地域活性化プロジェクトが始まり、17年経ったいまでも続く、学生たちが運営するカフェ「和cafe ぐぅ」が始まったのです。直島での活動を始めたばかりの頃は、カフェ運営が中心でしたが、学生たちと直島島民の交流が深まるなかで、地域の運動会やお祭りへの参加、小学校のこどもたちとの交流、観光ボランティアガイドなど、歴代の直島町長をはじめとする直島町役場や直島町観光協会、ベネッセアートサイト直島、そして直島島民のみなさまのご支援をいただき、いまだ十分とは言えませんが、プロジェクトも、そしてプロジェクトに携わる学生たちも成長を遂げることができました。

この直島地域活性化プロジェクトを皮切りに、小豆島や沙弥島、男木島など瀬戸内海に浮かぶ島々、盆栽や和三盆糖、養蜂など瀬戸内の自然が育んだ地場産業、高松市北浜地区や多度津など瀬戸内海に面した港町、いま新たな問題として注目されている海洋プラスチック問題の解決に資する海ごみ拾いなど、地域課題の解決に向けた学生プロジェクトが香川大学では続々と誕生しています。まさに、これらの学生プロジェクトは、瀬戸内海が与えてくれたプロジェクトと言っても過言ではないでしょう。
私を育ててくれた瀬戸内海。学生たちに成長の場を与えてくれる瀬戸内海。これからも瀬戸内海の恵みに感謝しながら、高松そして香川で学生たちとともに成長していきたいと思います。

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