リレートーク
穴吹 英太郎(邸宅ホテル「穴吹邸」オーナー)

故郷とツーリズムと私
みなさん、こんにちは。
宿泊施設経営者の穴吹英太郎です。高松市内にある祖父の代から受け継いだ実家をリノベーションして、一棟貸しホテルとして妻と二人で運営しています。
1970年に建築された祖父の家
私の住む高松市はお城の城下町として栄えた歴史を持ち、今もそのなごりが日本一長いと言われる商店街に残っています。
商店が軒を連ねる賑やかな商店街
そんな立地もあり、私の同級生には商店の息子や娘が多く、週末の商店街はいつも子供たちの遊び場でした。下校途中には友達やそのお父さんお母さんの顔が見え、寄り道せずには帰れない毎日が楽しかったことを今でも懐かしく思い出します。
高松の街から見る島々
もう一つの特徴は海に近接している街だということです。私の学校には、海を隔てた向かい側にある女木島から通う同級生がおり、フェリーに乗って通学している彼らをいつも羨ましく思ったものです。
フェリーから見る高松の街
今では瀬戸の島々には現代アートの作品が点在し、それを鑑賞しに国内はもとより海外からも観光客がやってくる時代となったのだから、当時の島民なら、どんなに驚くことでしょうか。
男木島の歩く方舟
しかし、良いことばかりでは無く、課題もあります。
例えば、オーバーツーリズム(旅行者の急激な増加)による地域住民の暮らしへの悪影響は、観光業に携わる者として決して無視できない課題です。
特にインフラが整っていない離島では、混雑して船やバスに乗れない、持ち込まれるゴミが増えることは死活問題です。
例えば、オーバーツーリズム(旅行者の急激な増加)による地域住民の暮らしへの悪影響は、観光業に携わる者として決して無視できない課題です。
特にインフラが整っていない離島では、混雑して船やバスに乗れない、持ち込まれるゴミが増えることは死活問題です。
一棟貸しホテルへと生まれ変わった実家
「この街に育てられた子供」の一人として、その現状をどうにかしたい、その想いで今は自分の仕事に向き合っています。
観光業界は、長く続いたコロナ禍の影響で3年間の停滞を余儀なくされ大きく疲弊してしまいました。しかしこれをポジティブに捉えると、これまでの「量」を求めるビジネスモデルから「質」を重視したビジネスモデルへ転換する転機となったのも事実です。
高松市を「地域住民」と「旅行者」の両者にとって優しい街へ、私は観光業の側面から持続可能なまちづくりに貢献していこうと思います。
観光業界は、長く続いたコロナ禍の影響で3年間の停滞を余儀なくされ大きく疲弊してしまいました。しかしこれをポジティブに捉えると、これまでの「量」を求めるビジネスモデルから「質」を重視したビジネスモデルへ転換する転機となったのも事実です。
高松市を「地域住民」と「旅行者」の両者にとって優しい街へ、私は観光業の側面から持続可能なまちづくりに貢献していこうと思います。