第I部 活き活きとした地域づくりと企業活動に向けた多彩な取組みと国土交通施策の展開 

1.地域の取組み

(1)街並みの景観を活かした事例

 
埼玉県川越市 〜歴史を活かした活性化〜


 川越市は、東京都心から30km圏内に位置する人口約33万人の埼玉県西部の中核都市であり、江戸時代から江戸との交流で栄えてきた。江戸文化を吸収し、これを今に伝える川越は「小江戸」と称されている。

 川越では、明治26年の大火により町の中心部の大半を焼失したが、その後近隣からの延焼を防止するための店蔵が次々と建築され、蔵造りの商店街が形成された。
 しかし、昭和40年代以降、商業の中心は利便性の高い駅周辺に移り、空き店舗が増え、商店街は徐々に衰退していった。一方で、蔵造りの街並みの文化財的価値は専門家の注目を集めるようになり、市による蔵造りの町家の文化財指定や「蔵造り資料館」としての整備等もされたが、街並み全体の保存の具体化には至っていなかった。

 そのような中、若手商店主や研究者、建築家など川越の蔵造りの街並みの行方に関心を持つ広範な人々によって、昭和58年に「川越蔵の会」が発足した。会では、蔵造りの街並みを保存するためには商店街の活性化が必要との考えから、勉強会を開始し、これを受けた一番街商店街でも、蔵を前面に打ち出したまちづくりに動き出した。
 一番街商店街では、蔵造りを活かしたまちづくりのための自主的な申合せとして「町づくり規範」を制定し、店舗の改修等を行う場合には「町並み委員会」の審査を受けることにした。委員会は、商店街と地域住民、専門家、行政で構成されている。この方式は隣接する川越銀座商店街でも導入され、平成6年に「大正浪漫委員会」が発足している。市は、こうした動きを受けて、文化財、商工、都市計画等の関係分野が連携して、文化財指定による保存、商工振興としての改装に対する補助、都市景観条例の制定(平成元年施行)とこれに基づく補助、電線類の地中化等の道路整備などにより支援している。

 
<一番街商店街>



 さらに、平成5年には自治会を中心としたまちづくり組織も発足し、より規範性の高い手法による街並み保存への機運が高まり、11年に伝統的建造物群保存地区の都市計画決定が行われた。また、川越蔵の会は、建物の改装からまちづくりまで幅広く市民の相談に乗る「町並み相談所」の運営、様々なイベントの開催などにも取り組んでおり、街並みの専門家集団、アドバイザー集団として、時には行政と対峙し、また時には行政と協力しながら活躍している。

 このように、川越市における住民、商店街、専門家、行政による歴史的街並みを活かしたまちづくりは着実に進んでおり、一番街商店街や大正浪漫夢通りに加え、昭和初期に菓子の製造・卸売があったという菓子屋横丁も歴史を感じさせる場所として人気が集まるなど、昭和50年代半ばには年間約260万人であった観光客が約400万人となっている。

 
<菓子屋横丁>



 さらに、現在、市が取得した蔵や緑地を残す酒造会社の跡地の活用に向け、川越蔵の会が全国都市再生モデル調査として検討を行うなど、活発な検討が行われている。

岡山県倉敷市 〜倉敷市美観地区町並み保存〜

 倉敷市では、昭和43年に倉敷市伝統美観保存条例を制定するなど、全国でも早い時期から住民と行政が協力して町並み保存に取り組んでおり、補助金による伝統的建築物の保存修理は昭和58年から平成14年までで457件に上っている。市は、町並み保存への一層の理解を深め、町並みが良好なかたちで後世に引き継がれていくよう、建物自体やその意匠などではなく、景観の維持に貢献している「人」を対象にした「くらしきまちや賞」を創設している。

 
<美観地区>



 
福島県会津若松市 〜七日町通りのまちづくり〜


 会津若松市は、人口約12万人の旧城下町である。その街並みの形成の契機は古く、豊臣秀吉による奥州仕置きで会津を拝領した豊臣家臣の蒲生氏郷による近代的な城郭の整備が始まりである。江戸時代までの街並みは戊辰戦争により大きな被害を受けたが、鶴ヶ城や白虎隊が自刃した飯盛山などの観光資源に恵まれた観光都市となっている。

 市の中心部に位置する商店街である七日町通りは、古くから市が立ち、問屋、旅籠、料理屋などが軒を連ね、明治以降も市内一の繁華街として繁栄を極めた。しかし、昭和30年代を境に、イパスの開通など道路事情の変化や郊外店への消費者の流出などの影響を受け、次第に来街者が減少していき、それとともに廃業した空き店舗が目立つようになり、ついには商店会の解散、商店街連合会からの脱退にまで追い込まれた。大物演歌歌手による歌謡ショーや売出しの効果もなく、多くの商店主が、商店街の空洞化はもはや時代の流れとあきらめた状況にあった。

 このような状況を打破するために、若手商店主有志が、外装は近代化されていたものの、通りには明治・大正・昭和初期に建てられた蔵や洋館、木造商家など歴史的な建築物が点在することに着目し、「大正浪漫調」のまちづくりを基本理念に、歴史的な建築物を保存した特色のある商店街の再生への取組みができるのではないかと考えた。個々の商店主への働きかけを行っていく中で周囲の理解を得ることができ、平成6年に「七日町通りまちなみ協議会」が発足した。

 
<七日町通り>



 新聞やテレビなどの地元マスコミ、旅行雑誌への積極的な広報活動など協議会が誘客に努力した結果、初めに改修を行った会員の店舗が改修工事を行っても収支が成り立つ成功をおさめたことから、トタンやサッシなどの新建材等を取り除き建物本来の魅力を引き出す修景などによる、建物の改修の取組みが広がっていった。協議会では、建物所有者による改修を促すため、家賃収入により工事費を回収できるよう出店者を紹介したり、会員である個々の商店主への助言や支援を行っている。

 市においても、「七日町通りまちなみ協議会」の取組みを支援するため、中心市街地の活性化対策やまちなか観光の推進事業として、歴史的建造物の改修工事や空き店舗改装への助成を行うとともに、路地のレンガ舗装化やイベントの開催場所となる市民広場の整備などの支援を行っている。
 平成16年1月までに、41件の建物修景の助成が行われ、街並みが形成されてきている。また、大正浪漫調の街並みを観光に活かすため、まちなかを着物で歩く「着物しゃなりウォーク」や骨董市、ジャズフェスティバルなど、街並みにあわせたイベントの開催や、レトロ調のボンネットバスで街なかを周遊する循環バス「ハイカラさん」の運行、玄関口となるJR七日町駅の大正浪漫風の洋館への改修など、観光客を誘致するための取組みが進められている。こうした取組みにより観光客などまちなかを散策する人が増加して賑わいが戻り、多くの空き店舗が解消されてきている。また、同様の取組みが近隣にも広がっている。
 
<七日町駅>



 また、平成15年には、会津地域の公共交通機関の利用促進と広域的な観光の促進を目指して、東北運輸局、地元地方公共団体、交通事業者、観光関係者が連携して、「福島県西部広域都市間公共交通活性化プロジェクト」に取り組み、会津13市町村の鉄道・バス共通フリー乗車に観光施設等の割引特典を付し、低廉な価格で提供する「会津ぐるっとカード」の導入や、会津若松市の主要観光地を巡る周遊バス「ハイカラさん」の利便性向上、JR東日本と地方鉄道(会津鉄道)の相互直通運転化などが実現した。
 この取組みが、会津地区の各市町村の広域的な連携の強化につながり、地元市町村等63団体からなる「あいづ広域連携観光交流推進協議会」が結成され、同協議会を主体として観光交流空間づくりモデル事業に取り組んでいる。

茨城県真壁町 〜歴史的資源を活かしたまちづくり〜

 真壁町の中心市街地では、歴史的建造物の取り壊しが進んでいたが、住民の間から歴史的景観を後世に残そうとする声が高まり、町では平成11年度から登録文化財制度を用いた歴史的建造物単体での保存・活用を始めた。住民の間に保存の必要性が浸透したことから、現在では、住民と町、県が協力して、面的な保存に向けた検討・調査を進めている。また、歴史的景観を活かしたまちづくりを進めるため、住民によるボランティアガイドや伝統芸能の継承などの取組みも行われている。
 
<歴史的建造物>



愛知県犬山市 〜犬山城下町の歴史のみちづくり〜

 犬山市では、国宝犬山城を中心とした城下町地区において、歴史的・文化的に価値の高い建物や史跡等を活用し、住民と行政の協働による「歩いて暮らせるまち・歩いて巡るまち」の形成に取り組んでいる。住民と行政との度重なる意見交換を踏まえ、道路の拡幅計画を見直し、現在の幅員のままでの道路の美装化等による歩行者優先の道路整備、伝統的建築物の修理・修景、空き店舗対策等に取り組んでおり、観光客も増え、空き店舗も解消されつつある。
 
<犬山城下町>



 
山形県金山町 〜街並み(景観)づくり100年運動〜


 金山町は、林業の歴史が脈打つ人口約7,400人の町である。
 町では、昭和38年に提唱した「全町美化運動」を中心に、美しい環境づくりが取り組まれるようになり、58年策定の「新金山町基本構想」において、100年をかけて自然(風景)と調和した美しい街並みを創る「街並み(景観)づくり100年運動」を基幹プロジェクトとして位置付け、明治初期に英国人イザベラ・バードが「ロマンチックな雰囲気の場所」と讃えた街並みを現代によみがえらせようとしている。

 金山町の街並み(景観)づくり100年運動は、町全体を対象に自然と調和した美しい居住環境を構築しようとするものである。
 その街並みは、地場産の金山杉を活用し、こげ茶または黒の切妻屋根、白壁または自然色の塗り壁、杉板張りの外壁をもつ伝統的工法に基づいた「金山型住宅」を軸に形成されている。町は、昭和53年から「金山町住宅建築コンクール」を毎年開催し、金山町の街並みにふさわしいと思われる「優良な住宅」を表彰している(現在は金山町商工会に委託)。59年には、コンクールでの事例の蓄積を踏まえ、HOPE計画(地域住宅計画)で金山型住宅のモデルを提示し、街並みづくりの方向性を示した。さらに、61年には「金山町街並み景観条例」を制定し、建築物の基準を明確にするとともに、新築住宅への助成を行うこととした。

 
<伝統的な金山型住宅>



 
<現代的な金山型住宅>



 このような取組みに当たっては、地元にゆかりのある建築専門家が当初から一貫して関与し、地域の伝統的デザイン、風景を活かした景観づくりを実践、誘導している。
 また、平成4年から14年まで住民と町の職員による海外の視察研修を行うなど、住民の啓発にも継続的に取り組んでいる。

 金山型住宅への助成は、昭和61年度から平成14年度までの17年間で累計739件となっており、近年では、年間の新築建物のうち金山型住宅が8割程度に上るまでになるなど、多くの住民の参加による景観づくりが展開されている。また、金山型住宅の普及は、街並みの形成とともに、地元の建築職人の技術向上と後継者育成、林業の振興にも寄与している。さらに、景観づくりの展開に伴い園芸が盛んになり、花木の栽培農業の活性化へとつながっている。
 町は、金山型住宅の普及に加え、土蔵を再生した街並みづくり資料館「蔵史館」や近代建築物の旧郵便局舎を再生した「交流サロンぽすと」の整備、生活道路の砂利道風舗装、公園や広場の整備などを行い、町民活動の拠点を整備するとともに点から線への街並みづくりへと誘導している。

 このようにして形成されつつある美しい景観は、来訪者の増加へとつながっており、町民の誇りや愛着が醸成されてきている。
 また、住民の地域づくりへの意識の高まりにより、自然と農村の体験学校「四季の学校・谷口」や都市住民との交流の場である「共生のむら・すぎさわ」、地元の野菜や山菜を加工し販売する「産直グループ夢市」の取組み等も行われ、交流人口の拡大に寄与している。
 

<家並み>



三重県上野市 〜歴史的街なみを活かしたまちづくり〜

 上野市は、武家屋敷や伝統的な町家等歴史的建造物が多数残り、また、伊賀流忍術発祥の地、松尾芭蕉の生誕地として知られている。これらの歴史的資源を活かしたまちづくりを進めるために、市は、まず、景観大賞や景観探訪ウォークの実施等を通じて市民の景観意識の醸成を図り、その後、条例を制定して景観形成への誘導を図っている。住民の中からも、空き町家の有効利用や人材育成等に取り組む動きも出てきており、行政、住民、NPOが一体となった体制の構築も進められている。さらに、地域資源を活用した健康づくりなど、景観のみならず様々な視点による歴史的資源の活用が検討・展開されている。

 
<町屋調査>



京都府京都市 〜京町家の保全・継承〜

 京都市は、長い歴史を通じて育まれてきた京町家をはじめとした伝統的な建築物とこれらにより形成されている町並みの景観の保存・継承を図るため、住民による自主的な防火に対する取組みというソフト面の評価も含む景観に配慮した新たな防火基準による「京都市伝統的景観保全に係る防火上の措置に関する条例」を制定し、防災と両立した形での伝統的景観の保全・継承を可能とした。市民においても、京町家を活用したまちづくりを進めるため、京町家の所有者と利用希望者の橋渡しや、空き町家での起業支援などの取組みが行われている。

 
<京町家の町並み>



 
大分県豊後高田市 〜昭和の町づくり〜


 豊後高田市は、国東半島西側に位置する人口約1.9万人の都市で、市の東部から南部にかけて両子山や日本三叡山の一つである西叡山がそびえ、北には周防灘が広がっている。

 豊後高田市の商店街は、周辺地域を代表する商業地として栄えてきたが、郊外型大型店の進出、過疎化による購買力の低下、後継者不足等とともに、寂れた商店街となってしまった。
 このことに危機感を抱いた商店街有志が、商店街の街並みの実態調査を行ったところ、昭和30年代以前に建築された建物が7割以上も残っていることが判明した。この点に注目し、商店街に活気があった昭和30年代をテーマとした「昭和の町」づくりに取り組むこととし、講演会やシンポジウムを開催し、意識の広がりを図った。

 まず、商店街では、余計な装飾を取り外し、建具や看板を木製やブリキ製に変更するなど、「昭和」に合った店舗外観の修景を行っており、平成15年度までに22店舗で取り組まれている。また、高価ではなくともその店の歴史を物語る「一店一宝」を展示する「昭和のお宝まちかど博物館」や、その店自慢の一品を開発する「一店一品」にも取り組んでいる。さらに、商店街のおかみさん達による「おかみさん市」も開催されている。

 
<一店一宝>



 市においても、商店の景観統一等の取組みに補助を行うとともに駐車場を整備した。また、昭和10年代に建てられた農業倉庫を昭和の町の拠点施設「昭和ロマン蔵」として整備し、昔懐かしい駄菓子屋のおもちゃを多数展示する「駄菓子屋の夢博物館」を誘致している。
 さらに、商工会議所が、「昭和の町」全体の調整に当たるとともに、「昭和ロマン蔵」の運営・管理、ボランティアガイド(昭和の町ご案内人)による街並みの案内なども行っている。
 こうした取組みにより、これまでまったく観光客等の姿がなかった商店街が再生し、年間25万人を超える観光客が訪れるようになり、町の中に賑わいが出てきている。

 
<昭和の町の街並み>



 

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