はじめに 

はじめに

 2011年3月11日、戦後最悪の大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震と大津波が発生した。四面環海の我が国において、豊穣をもたらし、憩いを与えてくれる美しい海とともに暮らし、豊かな伝統や文化を育み、紡いできた地域が壊滅的な被害を受け、数多くの人々の尊い命や暮らしを一瞬にして奪い去った。

 いにしえより幾度となく災害による被害を被ってきた我が国は、その犠牲を教訓に、先人から学び、災害への備えを積み重ねてきた。それでも、毎年、多くの災害により人命が失われてきた。いずれの災害においても、お亡くなりになった方々一人ひとりの人生、被災された方々の失われた暮らしには、計り知れない重みがある。その中にあっても、今般の東日本大震災は、我が国で初めての原子力緊急事態と相まって、広範囲にわたる被害の規模、態様において、未曾有の大災害となった。

 我々は、1995年の阪神・淡路大震災により死者・行方不明者6千人超といった甚大な災害を経験するとともに、2004年には、スマトラ島沖地震・インド洋大津波による死者・行方不明者20万人を超える未曾有の被害を目撃した。
 もとより、三陸沿岸地域を中心に、これまでにも1896年の明治三陸地震津波、1933年の昭和三陸地震津波、1960年のチリ地震津波等により甚大な被害が繰り返され、その都度、災害対策を強化し、災害文化を伝え、防災訓練が繰り返されてきた。
 そうした教訓が今般の大震災に活かされ、救われた命も多数あった。しかしながら、万全ではなかった。

 最愛の人を失った人々の心の悲しみは計り知れない。津波により住まいを流された方々、原子力発電所事故によりふるさとから離れざるを得なくなった方々、乳児からご高齢の方まで、様々な事情を抱える被災者にとって、大震災は今なお続いている。被災者の方々一人ひとりでは解決できないことを、地域が、国民が助け合い、支え合う取組みもまた続いている。

 政府を挙げ、国土交通省を挙げて、地震・津波の発生直後から、人命救助を第一義として救急救助に取り組み、被災者の支援を続けている。そしてまた、一日も早い被災者の生活再建、被災地の復興に向け、前例にとらわれない取組みを加速させている。
 東日本大震災の前から、我が国は、大きな岐路に立たされていた。人口減少、少子高齢化、膨大な財政赤字、国際競争の激化など、我が国の経済社会を取り巻く構造的な変化の中で、持続的な新たな成長の実現と深刻化する地域の疲弊からの脱却を模索してきた。この大震災においてもその状況を見据えながら、被災地が旧に復するのではなく、地域の新たな活力を芽生えさせる復興が求められている。
 国土交通省においても、被災者とともに、被災地とともに、そうした歩みを進めていく。
 地震や津波には終わりはない。日本列島周辺は4つのプレートの境界に位置し、いつまた巨大地震や大津波が起こってもおかしくない。東海地震、東南海地震、南海地震といった海溝型の巨大地震や首都直下地震など、その切迫性が指摘されている。
 「天災は忘れた頃にやってくる。」自分には降りかかってこないであろうとの油断、これで万全だと過信する心を戒める寺田寅彦の言葉は、災害対策の基本をなす。災害に強い国土づくりは、国土交通省の最重要の使命である。無念の犠牲を無にすることなく、災害からの被害を最小限に食い止める対策に総力を挙げて取り組んでいく。

 戦後目覚ましい発展を成し遂げ世界有数の経済大国になった我が国は、その間も石油危機、阪神・淡路大震災等の幾多の試練を乗り越えてきた。今般の国難ともいうべき未曾有の国家的危機を我々日本人は総力を挙げて克服し、未来を見据えた復興を成し遂げなければならない。先祖から受け継いできた美しい国土を未来の世代に引き継いでいかなければならない。
 東日本大震災に際し、冷静さと不屈の精神を失わなかった我が国国民に対し、世界中から称賛が寄せられ、多くの支援をいただいた。こうした温かい支援を糧に、必ずや早期に被災された方々の生活再建、ふるさとの復興を成し遂げ、未来に向け希望に溢れる安全・安心な国土をつくりあげていく。朝の来ない夜はない。


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