第3節 日本人の感性(美意識)の変化

■1 平成以前の日本人の感性(美意識)

(1)日本人が昔から持つ感性(美意識)(古代から近代まで)
 日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、また、研究もなされているが、本節では、それらのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)を取り上げて、考察する。
 なお、国土交通省が実施した日本人の感性(美意識)に関する「国民意識調査」注18においても、高度経済成長期より前の日本人の感性(美意識)として上記の4項目が上位となっている(図表I-1-3-1)。
 
図表I-1-3-1 日本の伝統的な感性(美意識)
図表I-1-3-1 日本の伝統的な感性(美意識)
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(義理がたさ)
 日本人は、古来より、自分のことを多少後回しにしてでも他者を尊重する、思いやりや礼儀を大切にする感性(美意識)を有していると言われている。
 例えば、明治時代に、新渡戸稲造は、こうした日本人の感性(美意識)を整理し、「武士道」としてまとめている。この中で、日本人には「義(正しさ)」「仁(情け)」「礼(敬意)」「誠(誠実さ)」等の徳(人としての優れた精神性)があると述べている。この文献は、1900年当初は、アメリカにて、英文で刊行され、米国大統領のセオドア・ルーズベルトやジョン・F・ケネディ等に影響を与えている。また、英語以外の言語にも翻訳され、世界中で広く知られている。なお、日本語訳版も1908年に出版され、日本人の間でも読まれるようになっている。

(伝統・文化)
■伝統的な文化や風習
 日本では、例えば、明るい知的な美を「をかし」、しみじみとした情緒美を「もののあはれ」と表現するなど、「美」に対して、ニュアンスの異なるきめ細やかな感覚を有していた。その中において、特に、日本人は、「大きく、力強いもの」よりも、「小さく、愛らしいもの」や、「縮小されたもの(小さくまとまったもの)」に対して「美」を感じてきた。こうした感性(美意識)により、盆栽や箱庭、弁当等の「縮小した世界観」が生まれ、国内において文化として根付いただけでなく、現在、広く世界に知られるようになっている。
 また、日本人の奥深い感性(美意識)として、度々取り上げられる「侘び・寂び」は、簡素で静寂な中に美しさを感じるという意味で使われている。さらに、「侘び・寂び」は簡素だけでなく、明白にせず曖昧に暗示することによる美しさや、古いものの内側からにじみ出てくる(外装に関係しない)美しさ等を表現した言葉でもある。「侘び・寂び」を具現化するものとして、特に、東山文化を代表する慈照寺銀閣、茶道(侘び茶)、桂離宮等が有名である。
 こうした「侘び・寂び」のような感性(美意識)は、明治時代、岡倉天心の「茶の本」において、茶道を通して欧米向けに紹介されている。また、国際的にも高く評価されており、例えば、桂離宮については、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、簡素な美しさを絶賛し、日記に「泣きたくなるほど美しい」と記したと言われている。
 
図表I-1-3-2 桂離宮
図表I-1-3-2 桂離宮

■異なる文化の受け入れ
 日本人は、伝統を守り続ける一方で、新しいものを取り入れ、自国の文化に発展させることに長けていると言われている。歴史的に見ると、古代から中世までは、中国を中心としたアジアの近隣諸国の影響を、そして明治以降は、欧米からの影響を強く受けつつ、それらの文化の受け入れと取捨選択を繰り返し、日本の伝統的な感性(美意識)と融合させ、独自の文化として発展させている。
 例えば、茶道は、茶を飲む習慣や茶の製法が中国(唐)から伝来した後、盛大な茶会や闘茶という遊芸となり、華やかさを有する文化として広まった。しかし、室町時代には、茶をもてなす主人と客との精神的な交流が重視されていき、華やかさではなく「侘び・寂び」等を体現する独自の文化として発展している。

(和)
 調和や協調を重視する姿勢も、日本人の特徴的な感性(美意識)であると言われている。こうした感性(美意識)は、例えば、江戸時代の長屋における生活に見受けられる。長屋では、共有する井戸の周り(井戸端)が女性たちのコミュニケーションの場となり、食材、台所用品、食器等の生活必需品の貸し借りや、他の人の育児への協力等が日常的に行われていた。長屋は、一つのコミュニティとして、つながりや支え合いといった相互扶助の精神により成り立っていた(図表I-1-3-3)。
 
図表I-1-3-3 十返舎一九「東海道中膝栗毛」に描かれた井戸端の様子
図表I-1-3-3 十返舎一九「東海道中膝栗毛」に描かれた井戸端の様子

 また、近代以降においても、松下幸之助が、日本人は、「和を貴び、平和を愛し、お互いに仲良くしあっていこうとする国民」であり、会社経営においても社員の知恵を尊重し、助け合うといった「和の精神」が大事であると述べている。
 なお、「和」には、調和と協調のみならず、身分を問わず広く議論して決めるという意味も含まれており、こうした考え方は、7世紀初頭の聖徳太子(厩戸王)によって作られたとされる「十七条憲法」や、1868年に明治政府によって出された「五箇条の御誓文」にも見られる。

(自然)
■自然を愛でること
 日本は、国土の大半において春夏秋冬が明確にわかれている国であり、人々は四季の移ろいに敏感で、自然に対する感受性が鋭いと言われている。自然を題材とした、または、自然の美しさについて記した書物は、古来より多数書かれている。例えば、鎌倉時代、「徒然草」の作者である吉田兼好は、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と記し、自然の美しさは、満開の花や満月だけではなく、これから咲くつぼみや雨の中の月など不完全なものの中にも存在するということを述べており、自然の様々な姿を愛でていたことがうかがわれる。
 さらに、江戸時代には、浮世絵に、花を愛でる描写や、自宅やその庭で盆栽等の植木を育てる描写があること等から、花見や園芸の文化は庶民にまで浸透していたことが分かり、人々は、身分を問わず、広く自然を楽しんでいたと考えられる(図表I-1-3-4)。
 
図表I-1-3-4 浮世絵に見る江戸時代の自然を楽しむ風景
図表I-1-3-4 浮世絵に見る江戸時代の自然を楽しむ風景

 また、明治・大正期の著名な地理学者である志賀重昂(しがしげたか)は、「日本風景論」において、日本人は欧米人や中国人と比較して、自然現象に対して敏感であるなどと述べている。

■自然との調和
 日本人は、自然を愛でる対象としてとらえる一方で、人間は自然の一部であるという独自の自然観を持ち、自然との調和(共生)を図ってきた。
 庭園等では、周囲の景色を活かしながら景観をつくりあげる「借景」の技法が取り入れられ、景観を楽しむとともに、周囲との一体感を醸成していた。例えば、室町時代の鹿苑寺金閣や、明治時代の無鄰菴(むりんあん)(山県有朋の別荘)の庭園等が、借景庭園として知られている。
 また、障子に見られるように、建物の内部と外部をはっきりとは遮断せず、自然との連続性を持つことも好まれていた。このような感性(美意識)は「空間の連続性」を大切にするという意識にもつながっており、平安時代や鎌倉時代の絵巻において、その物語を、場面によって区切ることをせず、連続したものとして表現していること等にもうかがえる。

(2)高度経済成長期以後の日本人の感性(美意識)
(高度経済成長期における変化)
 1955年頃から1973年まで、急速な経済成長を遂げたこの時期は、社会生活が大きく変容し、日本人が持つ感性(美意識)にも多大な影響を及ぼしたと考えられる。
 高度経済成長期は、欧米に「追いつけ、追い越せ」の精神により、経済性や機能性を重視し、人々はデザイン等個性にこだわらず、大量に生産された画一的な物を消費していた。「大きいことはいいことだ」という言葉に象徴されるように、人々は、より大きな物をたくさん所有し、また、次々と買い替えていくという「物質的な豊かさ」を追求していたと考えられる。
 急激な経済成長は、人口分布にも変化を及ぼし、経済発展の中心である都市への人口集中による過密化と、地方における人口流出による過疎化が顕著となった。都市では、増加した人口の受け皿としてニュータウンが建設され、住民のつながり等は、地方よりも弱まっていくとともに、類似した商業施設や看板の乱立等により街の景観は画一的なものとなっていった。一方、地方においても、人口流出により昔のようなコミュニティを維持することが困難となり、以前よりも人のつながりが弱まっていったと考えられる。
 また、この時期の経済発展により、公害等の環境問題が発生した。急速な工業化の過程で、自然が破壊され、工場から排出される有毒廃棄物等は、周辺住民に健康被害をもたらした。また、大量生産・大量消費の経済構造が進み、ごみが急速に増え、その総排出量は、高度経済成長期の当初(1955年)からの20年間で約7倍に増加した(図表I-1-3-5)。
 
図表I-1-3-5 ごみ(一般廃棄物)の総排出量の推移
図表I-1-3-5 ごみ(一般廃棄物)の総排出量の推移
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 このように、高度経済成長期は、「和」や「自然」等の日本人が昔から持つ感性(美意識)に比べ、特に「物質的な豊かさ」が重視されていたと考えられる。

(高度経済成長期の後の変化)
 1970年代、オイルショックにより急激なインフレが発生し、旺盛な経済活動にブレーキがかかったことにより、高度経済成長期は終焉を迎えた。これを契機に、人々の価値観には、消費を美徳とすることから、節約を美徳とすることへと変化が芽生え、商品を選択する際には、個性(自分らしさ)を重視するようになっていった。「量から質へ」と日本人の意識は変化していき、「物質的な豊かさ」を追求する傾向は徐々に弱まっていったと考えられる。


注18 2019年2月に全国の個人を対象にインターネットを通じて実施(回答数1,000)
性別(2区分:男、女)、年齢(5区分:20代、30代、40代、50代、60代)、居住地(2区分:大都市圏、地方圏)の計20区分に対して均等割り付け(各区分50人)


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