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国土交通白書 2021

第2節 過去の危機と変化

■1 関東大震災

( 1 )危機の概要

 1923年9月1日にマグニチュード7.9と推定される関東大地震が発生した。これは、近代化した首都圏を襲った唯一の巨大地震であり、南関東から東海地域に及ぶ広範な地域に被害が発生した。死者数は105,385人、全潰全焼流出家屋数は293,387棟に上り、電気、水道、道路、鉄道等のライフラインにも甚大な被害が発生した。

( 2 )危機による変革

(区画整理事業の広がり)

 震災前、東京市(当時)は急速に人口が増加し、市街化が進展していた。丸の内には都心業務街が生まれ、山手には都心に向かうサラリーマン向け一戸建て貸家が、下町には工場周辺に労働者向け長屋や成金職工の戸建て借家が増加。建設費が高騰し、住宅不足・高家賃を招いた。都市計画法、道路法、借地法、借家法等の都市・住宅関係の法令が相次いで制定され、都市計画は動き出したが、市街地の改善にはまだ実績がなかった。

 このような中で震災が発生し、災害復興は、事前から国土や都市をデザインしていた方法を基に展開された。この災害復興により近代都市計画が実体化し、これを先例とした土地区画整理事業や幹線道路整備事業が全国の都市に広がっていった。また、この復興事業においては道路や宅地の整備が中心になったということが先例になり、今日の復興事業にもつながっている。

(地震力規定の制定)

 震災発生当時において、政府・民間ともに大規模地震に対する備えはほとんどなされていなかった。震災により米国流や煉瓦造りのビルが倒壊したのに対し、日本流の耐震設計のビルの被害は軽微であった。これを受け、震災の翌年1924年、市街地建築物法の構造強度規定が改正され、世界初の法令による地震力規定が誕生した。

(町内会の結成)

 震災後の救援や相互扶助において町内の住民組織が大きな役割を果たした。これを踏まえ、平時・緊急時ともに機能し、地域生活の基本組織となる町内会の結成が促進された。