5 新空港開港の推進


  新空港は,当初,46年4月の開港を目途に建設されてきたのであるが,用地買収の難航,航空燃料の確保の問題等により開港が遅れ,現在に至ったものである。一方,羽田空港は,30年代の予測にたがわず著しい航空需要の増加によって,その処理能力の限界に達しており,増便等が不可能な状態になっている。このような状態を一刻も早く打開するためにも,新空港の早期開港が強く望まれ52年1月,内閣総理大臣が早期開港を指示し,政府,空港公団は一丸となって早期開港に向けて努力してきた。
  4,000メートル滑走路の延長上に反対派によって設置された航空法違反の2基の妨害鉄塔については,千葉地方裁判所の仮処分決定により52年5月6日に撤去された。
  また,航空燃料輸送の問題については,将来は千葉港頭から空港までパイプラインによって輸送することとしているが,当面は50年8月の閣議決定に基づき,開港後3年間に限り,鹿島地区及び京葉地区から成田市土屋まで鉄道により輸送することとし,そこから空港まで暫定パイプラインで輸送する暫定措置で対処することとして,各ルートの鉄道沿線市町の了承を得るべく努めた結果,51年7月の鹿島ルート側茨城3町(鹿島町,神栖町,潮来町)に引き続き,52年4月に至り,千葉県内の同ルート沿線市町(成田市,佐原市,下総町,神崎町)の了解が得られ鹿島ルートは解決をみた。京葉地区からの千葉ルートについては,52年6月3日,佐倉市,四街道町,酒々井町の了解が得られ,7月12日には市原市そして9月14日には千葉市との間で合意が成立し,これにより,航空燃料暫定輸送問題は,全面的解決をみた。
  一方,開港に関連して地元公共団体から出されているアクセス対策等の要望事項についても,運輸大臣と千葉県知事等が会談を重ねた結果,52年10月1日に至り,大綱について合意に達した。
  今後,飛行場及び航空保安施設の完成検査,飛行ルートの決定,供用開始の告示,各国に対する航空情報の提供等の所要の手続を経て開港という段取りになっている。


表紙へ戻る 目次へ戻る 前へ戻る