2 開港に至るまでの経緯
首都東京の周辺に新しい国際空港を建設することの必要性は,羽田空港の処理能力の限界が懸念されるようになり,また,航空機の大型化,高速化時代の到来が必至と予想されるようになった30年代後半から,政府をはじめ航空関係者の間で強く認識されはじめた。
37年から空港適地の調査,検討が開始され,その後航空審議会,臨時新東京国際空港閣僚協議会等における慎重な検討を経て,41年7月4日,その位置は干葉県成田市三里塚を中心とする地区に決定された。
以来,その建設は新東京国際空港公団により進められ,当初,46年4月の開港を目途に作業が進められてきたが,用地買収の難航,航空機燃料の確保問題,妨害鉄塔の除去等の諸問題により,当初の予定より大幅に開港が遅れざるを得なかった。
一方,この間予想にたがわず,航空輸送需要は急激な伸びを示し,羽田空港の状況からして,一日も早い新空港の開港が急がれていた。
政府・空港公団においては関係各方面の協力を得て,早期開港に努めてきたが,52年1月,内閣総理大臣から早期に開港するよう指示がなされ,政府・空港公団において開港のための施策を一層強力に推進してきた。
(1) 航空機燃料の確保
新空港で使用する航空機燃料は,当初千葉港頭から空港までパイプラインにより輸送する計画であったが,早期開港を図るため,暫定的に干葉港及び鹿島港から鉄道により成田市土屋まで輸送,そこからパイプラインにより新空港まで輸送する方式によることとした。しかし,特に鉄道による輸送について沿線市町村の合憲を縛る必要が生じ,鹿島ルートについては52年4月に,千葉ルートについては52年9月に,それぞれ沿線市町との間に合意が成立し,これにより航空機燃料は確保されることになった。
(2) 妨害鉄塔の除去
空港反対派が4,000メートル滑走路南側延長上に設置した12基の妨害鉄塔は,航空法第49条違反の物件であることから,空港公団は52年5月2日千葉地方裁判所に妨害物除芸仮処分命令申請書を提出し,これが容れられて5月6日大きな混乱もなく妨害鉄塔は除去された。翌5月7日から航空保安施設の完成検査(フライト・チェック)が始められ,開港への準備は大きく前進した。
(3) 地元要望の解決
新空港は,内陸部に位置しているだけに周辺地域住民の生活や産業に与える影響には十分配慮する必要がある。このため政府は,新空港の位置決定の際「新東京国際空港の位置決定に伴う地元対策について」を閣議決定し,用地補償,騒音対策,道路,鉄道,用排水,新都市計画等の各種の施策を推進してきた。
開港が近づいた51年末から52年始めにかけて地元自治体から開港に関連して,アクセス対策,住民対策,騒音対策,航空機燃料暫定輸送対策等について広範多岐にわたる要望が次々と出されたが,政府は新空港と地元が゛共存共栄する"ことを第一に,これらの要望について一つ一つ誠意をもって対応してきた。そして,運輸大臣と千葉県知事をはじめ関係自治体の長との数次にわたる会談の結果52年11月12日関係自治体との間に地元要望事項に対する処理方針について合意が得られ,同時に千葉県知事から,52年度内の開港について承諾が得られた。
(4) 開港期日の決定
52年11月中旬までには開港の障害となっていた問題は解決を見ることができ,開港期日を決定する条件は整った。
52年11月25日,運輸大臣は閣議において新空港の開港期日について報告し,了承を得て,新空港の開港期日を53年3月30日とすることを発表した。
開港期日が決定されたことにより,これに向けて諸準備が開始された。12月3日にはノータム(航空情報)が発出され,全世界に開港が通知された。53年1月20日には空港事務所が開設され,また同日には京葉道路のバイパス的機能を果たす東京湾岸道路大井ふ頭〜幕張間が開通した。
3月に入ると航空機燃料の備蓄も始められ,開港への準備は着々と進めちれた。
(5) 開港期日の延期と保安体制の強化
このような動きの中にあって,空港反対を叫ぶ過激派は開港期日が迫るにつれて,ゲリラ活動や様々な妨害活動を行った。そして,53年3月26日,過激派集団が空港内に乱入し,その一部が空港管理棟16階にある管制室に入りこみ,機器類を破壊するという事件が発生した。
幸い破壊された機器類は端末機器類であったため,大事には至らなかったものの,政府はこの際,管制塔を含む空港内外の保安体制を強化すべきであるとの考えから,開港期日を一時延期し,改めて4月4日に新東京国際空港関係閣僚会議を開き,「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を決定し,この中で新空港の新たな開港期日を53年5月20日と決定するとともに,空港内外の安全強化,極左暴力集団対策及び地元の支持と世論の喚起に関する施策を強力に推進することを決定した。
国会においても衆参両議院において極左暴力葉団の暴力を非難し,政府に対してこのような暴力を防止するための措置を講じることを要請する「新東京国際空港に関する決議」を採択した。さらに議員立法による「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」が5月13日に公布,施行され,同法に基づき運輸大臣は,5月16日新空港周辺の2つの団結小屋を暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することを禁止する命令を発した。
このようにして,新東京国際空港は国民が注視する中で,53年5月20日開港日を迎えたのである。
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