1 バミューダ体制の見直し


(1) バミューダ体制をめぐる各国の動き

  現益,国際航空運送に関する基本的事項は,二国間協定によって定められているが,1946年の米英航空協定(通称バミューダ協定)が,その後締結された多くの二国間協定のモデルとされたため,戦後の国際航空体制をバミューダ体制と呼んでいる。
  このバミューダ協定締結に際しては,航空に関し,自由競争主義を主張するアメリカと,制限主義を意図するイギリスが対立し,特に輸送力問題と航空運賃について両国間で激しい論争があった。輸送力問題については,イギリスが事前審査主義(ある期間の提供輸送力をあらかじめ航空当局間等において需要予測等に基づいて決定する方式)を主張したのに対し,アメリカは事後審査主義(当該路線を運航している企業が輸送力増強を必要と認めた場合は,独自の判断で輸送力増強を行い,一定期間後に当該輸送力増強が必要であったか否かを審査する方式)を主張した。また,航空運賃問題については,イギリスが国際航空運賃はIATAを通じて合意され,かつ両国の航空当局間で認可される必要があると主張したのに対し,アメリカはかかるIATAの運賃決定機能に否定的であった。バミューダ協定はこうした米英両国間の妥協の産物として生まれ,輸送力について事後審査主義を採用する一方,IATAの運賃決定機能を承認した。
  近年,大型機導入による輸送力の大幅な増加の結果,輸送需要の停滞期には大幅な供給力過剰が生じ,国際航空運賃についても著しい混乱が生じるなど,輸送力問題は深刻化している。事後審査主義の下では,数多くの強大な航空企業を有するアメリカが結果的に有利となっており,特に各国ともアメリカとの関係においては,路線権,以遠権等がアメリカに有利に取極められており,これらを春景とした複数のアメリカ企業による輸送力の一方的増大に対し,不満を抱いている。このため,各国がアメリカとの航空協定は現在の航空事情に適合しないとして,その見直しを進めている。
  イギリスは1976年6月,米英航空協定の廃棄通告(年後に協定失効)を行い,その後年間にわたる交渉を経て,協定失効寸前に新協定(バミューダIIと呼んでいる。)を締結した。この結果,北大西洋路線の輸送力の増加については,両国が事前に協議することになり,また,アメリカ企業のロンドン及び香港以遠の以遠権が漸次削減されることとなった。

(2) アメリカの新国際航空政策とそれに基づく諸外国との航空協定の締結

  バミューダIIに対しては,アメリカの国内ではイギリスに譲歩しすぎであるとの批判が多く,アメリカはこの新協定を例外的なものとして,再び自由競争主義に基づいて,78年3月,オランダとの航空協定を改定した。この協定改定により,オランダはアメリカ国内新乗入れ地点を獲得したが,低運賃,輸送力の制限排除等に合意した。
  また,アメリカは78年8月,自由競争主義を強く打ち出した新国際航空政策を発表し,以後,各国との交渉は,そこで述べられている巨標達成を目指して行われるべきであるとした。新国際航空政策の具体的目標としては,@競争的運賃の導入,Aチャーターの自由化,B定期輸送における輸送力,便数,路線権等の規制の排除,C複数のアメリカ企業の自由な指定等を掲げ,このような競争機会の拡大が消費者の利益につながるものであるとしている。
  アメリカは,この新政策発表の前後に,オランダに続き,イスラエル(78年7月),韓国(同年9月),西ドイツ(同年11月),ベルギー(同年11月),シンガポール(79年3月),タイ(同年6月)等と次女に交渉を行い,アメリカの上記主張を大幅に受け入れさせた形で,二国間協定を改定した。
  アメリカの唱える国際航空における自由競争主義については,@航空のように各国の権益のからむ公益性の高い分野において,無制限にこれを認めることには疑問が強いこと,A運賃,輸送力の自由化により過当競争や資源の浪費につながる恐れがあること。Bとりわけ我が国においては,燃料,環境問題,管制問題等による物理的制約が存在すること等の理由からかかる徹底した自由化政策をそのまま受け入れることは困難である。

(3) オーストラリアの動き

  一方,オーストラリアは78年10月,2地点間の直行旅客に大幅な低運賃を設定し,また,運賃をIATAの場を通じることなく,二国間交渉で決定する等の独自の航空運賃政策を打ち出した。そして,英豪間での協議により,シドニー-ロンドン間に途中降機なしの低運賃を導入しようとしているが,同路線の中間地点に位置するASEAN諸国が,かかる運賃は旅客のASEAN諸国への途中寄港を排除し,自国の航空企業及び観光産業に打撃を与えるものであるとして強く反発した。以来,本問題についてオーストラリア,ASEAN諸国間で調整が行われてきたが,最近暫定的な解決に達した。

(4) ICAO及びIATAをめぐる動き

  ICAO(国際民間航空機関)の従来の活動は航空の技術的問題法律的問題に関するものが多かったが,近年国際航空において,深刻化している@輸送力問題,A不定期航空問題,B運賃設定機構問題,C運賃遵守問題といった経済的問題についても世界的なベースで検討すべきであるとの要求が高まり,77年4月,これらの問題を討議するため,特別運送会議が開催された。会議の結果,@理事会が輸送力を規制するための基準,事前審査主義を基礎とするモデル条項を作成すること,A不定期航空運送を定期航空運送から区別する定義またはガイドラインを設定するための研究を行うこと,BICAOの代表がオブザーバーとしてIATA(国際航空運送協会,各国の航空会社103社からなる協会)運送会議に出席すること,Cタリフ違反に対する罰則を設け,またタリフ違反を調査する機構をもつこと等の勧告を行った。
  他方,IATAをめぐる動きとしては,78年6月,かねてからIATA運送会議による運賃決定方式に批判的であったアメリカ民間航空委員会(USCAB)が,IATA決議及び関係協定はもはや公益に合致しないので不認可とすべきであるとの暫定的判断を下し,これに異議ある者はその理由をUSCABに対し,提出するようにとのいわゆるShowCauseOrderを発出した。これに対し,79年5月までに,我が国を含む46か国の政府,45の航空会社等が,コメントを提出したが,我が国を含む大部分のコメントは,@これまでもIATAは国際間の複雑な路線網にまたがる国際航空運賃の決定に有効に機能し,その整合性を保つのに貢献してきたこと,A現在1ATA自体も弾力的な運賃決定を目指して機構改革中であり,アメリカはその帰趨を見定めるまでは性急な評価を下すべきではないこと,B航空運賃については,各国はその置かれた立場から独自の見解と利害を有しており,各国に多角的なかかわりを持つ航空運賃に関する問題は各国間で事前に十分協議を経てから決定されるべきであり,アメリカのかかる政策を一方的に各国に対し押しつけるべきでないこと等を理由とした反対意見である。
  このような国際環境の変化に対応して,IATA自体も,より弾力的な運賃決定を行うための機構改革を進めてきたが,78年11月に開催されたIATA年次総会で同改革案が承認された。.改革案の主な内容は,@IATA現会員は,航空会社間の運賃清算,航空券の標準化等の同業組合的活動を行う「手続会議」の会員となるが,「運賃調整会議」の会員となるか否かは選択的とする,A地域別の「運賃調整会議」を設け,かつそれによる運賃決定を容易にする,B地域別の「運賃調整会議」における当事国航空会社の発言権を強いものにするというものであり,これは関係各国の認可を経て,79年10月1日を目途に実施されることが決定された。
  一方,USCABはかかる動きに対し,79年5月,IATA改革案を暫定的に認可するとともに,ShowCauseOrderに関し,各国と協議するため・79年7月末に,南米,欧州,アフリカの三地域で多国間会議を開催したが,(アジアでは参加国が少なく不成立),いずれにおいても各国はアメリカのShowCauseOrderを強く批判し,特に新IATA組織には少なくとも12か月のテスト期間を与えるべきであり,その間は一方的評価を差し控えるよう要求した。


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