1 激動の1970年代を経て
我が国の造船業は,高度経済成長期におけるおう盛な海上輸送需要の伸びに支えられ,昭和40年代中頃までは我が国有数の産業として順調な発展を遂げてきた。この間,納期の確実性や製品の信頼性等から,また,超大型船建造への早期の取り組みもあって,船舶の輸出量も飛躍的に増大し,我が国は,世界造船受注の過半を占める世界第1位の造船国としての地位を占めるに至っている。
こうして順調に発展してきた我が国造船業も,40年代後半には重大な試練を迎えることとなった。その最大のものは,いうまでもなく,48年の第1次石油危機以降の世界的な景気後退下の急激な造船受注の落ち込みであり,それまで未曽有の活況を呈していた造船業界は,一転して長期的な構造不況の波にさらされることとなった。この間の経緯及びこれに対する対応については以下詳述するが,我が国造船業界は,強力な政府援助のもとで,極めて短期間に全体の35%強という大幅な設備能力の削減を果たし,更に不況カルテルを結成してこの長期不況を乗り切ろうとしている。
40年代後半から50年代前半における第2の新たな動きは,輸出規模の拡大に伴って,国際的な要因により,様々な形で我が国造船業が強い影響を受けるに至ったことである。その最初の徴候はまず企業財務面に表われた。即ち,46年のいわゆるニクソンショク後及び48年の円の変動相場制への移行後の二度にわたって,急速な円の対ドル相場の上昇により,膨大なドル建て輸出延払債権について大幅な為替差損をこおむったことがそれである。これに対しては,政府は各種税制上及び金融上の救済措置を講じ,また当時の造船市況が依然として好調であったことから,各企業の手元資金に余裕があったこともあって重大な事態には至らなかった。しかしながら,国際的な通貨不安要因は,現在に至るも未だ完全に解消されたわけではなく,他方,造船業は,輸出決済が長期にわたるために通貨変動の影響を受け易い体質であることから,円建て輸出の拡大や外貨資金の取り入れ等,各種為替リスクヘッジ策を講じて経営の安定を図っていく必要性が強く認識されるようになった。
こうした動きに加え,前述の世界的な造船不況を背景として,我が国と海外造船国との間のあつれきが強まり,国際協調の立場から受注活動について様々な配慮を必要とするに至ったことも,40年代後半から50年代前半にかけての特徴の一つであろう。特に,51年秋頃から日本とEC間の貿易不均衡問題が生じ,その一環として西欧造船諸国より我が国の造船受注活動について強い非難が寄せられたことは記憶に新しく,これを契機として,我が国において,国際協調の必要性が強く認識されることとなった。
以上のように,40年代後半から50年代前半にかけて顕在化した様々な要因に加え,高齢化,高学歴化が進む中での労働力の確保の問題や,低廉な労働力を武器に台頭しつつあるいわゆる第三造船国との競争環境は,年々その厳しさを増しており,我が国造船業は,今後,かつての高度成長期の如く一本調子の拡大を続けることは困難となってきている。そうした意味で,我が国造船業は現在重大な転換期にあり,安定的,持続的成長を果たしていくためその体質を早急に改善し,今後予想される経済・社会条件に適確に対応していく必要があろう。
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