3 経営のかげりと長期不況への突入


  こうして順調に拡大を続けた我が国造船業も,40年代後半には新たな局面を迎えることとなった。
  造船需要については,40年代後半に入っても依然として順調に推移していたが,他方それまでの市場拡大に呼応して,造船施設の建設が過熱気味となり,ようやく近い将来における供給過剰が懸念されはじめるようになった。このため,我が国の造船行政も40年代後半には供給規模の拡大に対して引き締め基調に移行し,46年5月の海運造船合理化審議会の答申を受けて,将来の造船需給の均衡を図ることを目標として,船舶建造施設の調整が進められた。こうした調整は,企業の自主性を尊重しつつ,スクラップアンドビルドにより在来施設の廃止縮小を行うとともに,企業間の協調に留意して,大手造船事業者と中手造船事業者との間の技術,業務提携等について指導する等の形で行われ,こうした成果もあって,先行き不安を含みつつも,48年秋までは我が国造船業は活況を続けた。
  この間,我が国造船事業者の経営はおおむね好調であったが,46年及び48年には,後に述べる造船不況に先立ち,国際的な要因によって経営面で深刻な影響を与える事態が発生した。即ち,46年のいわゆるニクソンショック後及び48年の円の変動相場制への移行後,2度にわたってこおむった大幅な為替差損がそれである。
  まず46年の円の対ドル相場の上昇の際には,我が国造船業は実質約2,400億円の為替差損をこおむった。この巨額な差損が企業経営に与える影響が極めて大きいと判断されたため,政府は,租税特別措置法の一部改正による税金の支払の繰り延べ,日本輸出入銀行への返済猶予,46年8月16日以前契約の外貨建て手持工事に対する協調融資の拡大配慮を行うことにより,当面の資金繰り難を緩和する等の措置をとった。
  一方,造船各社は,為替リスク回避のため可能な限り,円建て更には現金支払での契約をする等の対策を講じた。
  更に,円切り上げからほぼ1年後,国際通貨情勢は再び悪化し,48年2月,我が国は,円の変動相場制への移行を余儀なくされ,為替レートは1米ドル308円から48年6月には1米ドル265円へ移行した。
  このため,我が国造船業は,実質1,630億円に達する為替差損を再度こおむった。
  これら二度にわたる為替差損は,政府の講じた税制上及び金融上の措置により,そして何よりも,当時の活発な造船市況の下で各企業の手元資金に余裕があった事により,重大な事態をひきおこすことなく処理し得たが,我が国造船業の為替変動に対する体質の強化の必要性が強く認識されることとなった。
  こうした中で,48年のいわゆる第1次石油危機が始まり,それまで活況を呈していた世界景気は急速に冷え込みを見せはじめた。これにより,海運市況が急速に低落し,大型タンカーを中心として大量の船舶が過剰となり,これに伴い,我が国造船業も新造船受注量の激減,既契約船の大量キャンセルをこうむった。この結果,造船業の景気の先行指標である新造船手持工事量も急激に減少し・我が国造船業は,一転して深刻な不況に直面することとなった 〔2−3−12図〕


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