2 我が国のエネルギー消費動向


  我が国は,昭和55年度を石油代替エネルギー元年と位置付け,同年5月に成立した「石油代替エネルギーの開発及び導入の促進に関する法律」に基づき「石油代替エネルギーの供給自標」を閣議決定し,65年度における我が国の一次エネルギー供給に占める石油代替エネルギーの割合を約50%に引き上げるべく,官民合同で環境保全に留意しつつ脱石油対策に取り組むこととなった 〔1−5−9表〕

  我が国の55年度の実質経済成長率は3.8%増,鉱工業生産指数も4.6%増であったが,これに対し,55年度の石油輸入量は,IEA,東京サミットにおける輸入上限値である540万バーレル/日(以下「B/D」と記す)(暦年)を10%近く下まわる488万B/D,対前年度比10.5%の減少となった。これは,民生,産業,運輸各部門における省エネルギー対策が浸透したこと,また,産業界を中心に石油からの燃料転換が進んだためと考えられる 〔1−5−10表〕, 〔1−5−11表〕

  このような官民あわせての省エネルギー,石油代替エネルギー導入の推進による石油需要の大幅な低下を背景に,56年5月に告示された「昭和56〜60年度石油供給計画」においては,60年度の石油輸入量を,東京サミットにおいて合意された630万B/D(暦年)を大きく下まわる571万B/Dと設定した。
  しかし,55年度から56年度を通じた石油消費の大幅な落ち込みは,石油化学,紙・パルプ,非鉄金属等の素材型産業の景気の停滞があったこと,また,電力,鉄鋼等のエネルギー多消費産業においてエネルギー転換が進んだことなどによる。しかしながら,なお,産業部門においては,省エネルギー対策,脱石油対策が進んだのは比較的短期間でエネルギー投資が回収できる分野にとどまっているとも考えられ,今後一層これら以外の分野にもエネルギー節約を進めるには,これまで以上のリードタイムとエネルギー投資が必要になるであろう。また,民生,運輸部門における実効ある省エネルギー政策を進めるには,国民各層の意識に負うところが大きいため,今後とも息の長い広報活動等を実施することが必要であろう。


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