3 国際環境の変化と船員制度の改革


(1) 概説

  近年,我が国の外航海運の担い手である日本船員を取り巻く国際的な環境の変化には著しいものがある。
  即ち,昭和40年代の後半から船員費を中心とした船舶コストの上昇により日本船の国際競争力の低下が顕著となった。
  これに対応して,我が国の海運企業は,競争力を回復するため,機関の無人運転が可能なMゼロ船の導入を始めとして,船舶の設備面における自動化等の技術革新を積極的に推進してきた 〔2−2−4表〕。しかしながら,このような技術革新の進展にもかかわらず,海運企業は,便宜置籍船を中心とする外国用船への依存傾向を強め,それに伴って我が国の外航船員数は減少の一途をたどってきた。外国用船への依存傾向がこのまま進むと日本船員の職域がますます縮小するばかりでなく,安定した海上輸送の確保のため,日本商船隊の中核として日本船員が乗り組む日本船の一定船腹量を確保しなければならないという要請にも対応できなくなるおそれがあり,日本船の国際競争力の回復が急務となってきた。
  また,42年に英仏海峡において発生したリベリア籍タンカー「トリーキャニオン号」の座礁事故を契機として,船員の資格,技能について国際的な最低基準を定めるべきであるとの要請が高まった。これを受けて政府間海事協議機関(IMCO-57年5月にIMOに改称)において検討が進められた結果,53年7月に「1978年の船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約」(STCW条約)が採択されるに至った。
  このような内外の環境の変化に対応して,日本船員がその優れた技能を十分に活用し,意欲的に職務を遂行することができるような新しい職務体制を確立するとともに,これにより,日本船員が運航する日本船が国際海運界において比重を増し,日本船員の職域が確保される条件を整備することを目的として,官労使及び学識経験者の協力の下に,船員制度の近代化の検討が進められ,また,STCW条約についても,その国内実施を図るための検討が行われてきた。

  船員法及び船舶職員法の改正については,上記の検討の成果を踏まえた船員中央労働委員会及び海上安全船員教育審議会の答申を受けて,57年3月第96回国会に,船員制度の近代化の円滑な推進及びSTCW条約の国内実施のための「船員法及び船舶職員法の一部を改正する法律案」が提出され,4月23日可決成立し,5月1日に公布された。また,STCW条約の締結についても同じく,57年4月23日国会において承認され,5月27日1MOに加入書を寄託し,我が国は同条約の18番目の締約国となった。
  今後は,上記改正法の適切な施行を図るため,関係政省令の制定,事務執行体制の整備等を進めるとともに,新しい船員制度に対応した船員教育訓練体制を充実強化していく必要がある。
  以上のほか,商船における労働条件,生活設備等について一定の水準を国際的に確保することを目指す「商船における最低基準に関する条約」(ILO第147号条約)が56年11月に発効したこと等にかんがみ,海運国である我が国としても同条約の締結について早急に検討を進めることが要請されている。

(2) 船舶の技術革新に対応した船員制度の検討一船員制度の近代化

  船舶の技術革新に対応して,新たな船員の資格及び船内乗組体制を確立することは,日本船員の乗り組む日本船の国際競争力の回復及び日本船員の職域確保を図る上での条件を整備するためにも必要不可欠である。
  こうした観点から,52年4月船員制度近代化調査委員会が設置され,54年4月には同調査委員会を船員制度近代化委員会に発展的に改組し,新しい船内職務体制の試案についてその実行の可能性及び妥当性を検討するための実験を進めることとした。
  即ち,54年度には甲板部及び機関部という従来からの船内の縦の壁を取り払い,それぞれの部に属する船員が互いに他部の業務を行う「横の連携」並びに同一部内における職員及び部員という上下の壁を超えて部員が職員の業務を行う「縦の連携」を組み込んだ新しい就労体制の下での船舶の運航を内容とする総合実験を開始した。
  更に,同委員会は,55年5月に実験を効率的に推進するための目標として「仮設的船員像」を策定した。これは「将来の目標としての仮設的船員像」とそれに至る過渡的段階の「移行過程としての仮設的船員像」とからなっているが,後者においては,甲・機両部にわたる職務を行う新しいタイプの船員として,部員レベルでのデュアル・パーパス・クルー(D.P.C.),職員レベルでのウオッチ・オフィサー(W/O)を導入することとしている。これを受けて56年2月から「移行過程としての仮設的船員像」に沿って,三等航海士と三等機関士が相互に連携して甲・機両部の航海当直を中心とする業務を行う実験に着手し,56年10月にはその実験結果を踏まえて,今後の船員制度の近代化の推進に関する第一次提言を行った。
  第一次提言は,これまでの実験によりD.P.C.,W/Oについて有効性が検証されたこと,今後更に,二等航海士・機関士レベルでの共通技能の習得の実験を進めるべきこと,近代化を推進する上での制度的な制約要因を除去する必要があること等を内容としている。
  この提言をもとに,運輸省としては,57年度以降引き続き,船員制度近代化委員会における審議を踏まえて,「移行過程としての仮設的船員像」に沿って,二等航海士・機関士レベルにおいてもこれらの職員が相互に連携して航海当直を中心とする業務を行う実験を進めるなど,船員制度の近代化を推進していくこととしており,これまでの実験を含め,実験の成果の段階的実施を容易にするために必要な制度上の措置を講ずることとして,船員法及び船舶職員法の改正を行ったものである。

(3) STCW条約への対応

  STCW条約は,SOLAS条約が船舶の構造,設備等の物的側面における安全基準を定めているのに対して,船員の知識・技能・当直基準等人的側面における国際基準を定めることにより,船舶の航行の安全を確保しようとするものである。
  その主な内容としては,@船長,一等航海士,機関長,一等機関士,当直担当職員等の資格を与えるために必要な知識及び海上航行履歴の要件,A知識・技能のレベル維持のための要件,B甲板部,機関部における当直を維持するための基本原則,C甲板部,機関部における当直担当部員の要件,Dタンカー乗組員のための特別の要件,E救命艇手の要件,F締約国政府による海技免状の裏書制度,G入港国における監督手続等が定められている。
  先進海運国である我が国としては,早期にこの条約を締結し,国際的な船員の資質の向上とそれによる航行の安全の確保に資する必要があるとの考えに立って,今般,同条約の締結の手続きをとったものである。
  なお,この条約は,25か国以上の国が締結し,その保有船腹量が世界の船腹量の50%以上となった日から1年後に発効することとなっているが,57年9月末現在21か国(合計保有船腹量57%)が締結済みであるので,発効要件はあと4か国の締結で満たされる状況である。

(4) 船員法及び船舶職員法の一部改正の概要

 ア 船員法の一部改正

 (ア) 航海当直の実施に関する改正

     a 船長は,省令で定めるところにより航海当直基準に従って適切な航海
      当直の実施を確保しなければならないこととした。
     b 船舶所有者は,航海当直を担当する甲板部又は機関部の部員を乗り組ませる場合には,年齢,業務の経験等に関し一定の要件を満たす者をもって充てなければならないこととした。

 (イ) タンカーに乗り組む船員の要件

      危険物を輸送するタンカーに乗り組む船長及び主要な職員は,危険物の取扱いに関する業務経験を有するとともに,専門的な訓練を受けた者でなければならないこととした。

 (ウ) 外国船に対する監督措置の創設

      外国船が我が国の領海又は内水において衝突,乗り揚げ等を引き起こした場合で,その船舶がSTCW条約に定める航海当直基準に従って当直を実施していなかったと認めるときは,その船舶の船長に対し航海当直基準に従って当直を実施するよう文書により通告することができ,更に一定の場合には,その船舶の航行の停止を命じ,又はその航行を差し止めることができることとした。

 (エ) 航海当直体制の特例

      一定の設備を有し,甲板部,機関部両部の航海当直を行うことのできる部員が一定数以上乗り組む船舶のうちから運輸大臣が指定した,いわゆる近代化船については,航海当直体制についての特例が適用されることとした。
      航海当直体制の特例とは,従来のように甲板部の部員は甲板部の航海当直を,機関部の部員は機関部の航海当直を行うという体制ではなく,前記の部員が甲板部,機関部両部の航海当直を実施するという体制をいう。

 イ 船舶職員法の一部改正

 (ア) 「旗国主義」の採用

      STCW条約の定める旗国主義に従い,外国法人等に裸貸しされた日本船に対しても船舶職員法を適用することとした。

 (イ) 「運航士」の制度の創設

      設備等が一定の基準に適合した,いわゆる近代化船において,航海当直を中心とした職務を行う「運航士」という新たな船舶職員を創設することとした。

 (ウ) 資格制度の再編

      海技資格を,1〜6級海技士(無線部は1〜3級)に再編し,これらの資格についての知識要件をSTCW条約に対応させることとした。

 (エ) 免状の更新制の導入

      海技免状の有効期間を5年間とし,更新の際,一定の乗船履歴を有し,かつ,身体適性を有すること等を必要とすることとした。

 (オ) 乗組み基準の政令への委任

      船舶所有者が,その船舶に船舶職員として乗り組ますべき海技従事者についての基準は,従来の法律の別表でなく,政令において定めることとした。

 (カ) 外国船に対する監督措置の創設

      日本の港にある外国船について,乗り組んでいる船舶職員がSTCW条約に合致した免状を有しているかどうかの検査を行い,要件を満たしていないと認めるときは,その是正を通告することとし,更に一定の場合には,その船舶の航行の停止を命じ,又はその航行を差し止めることができることとした。

 ウ 改正法の施行

      この改正法は,58年4月から施行されることが予定されている。このため,現在,関係政省令の制定,外国船舶の監督体制の整備,海技従事者免許登録事務処理体制の強化等,法施行のための準備作業を推進しているところである。

(5) 船員教育体制の今後の方向

  船員制度の近代化の推進に当たっては,新しい船員制度を志向する実船実験要員の養成のための船員再教育訓練の実施とともに,新制度への円滑な移行を図るため,従来からの階層区分及び縦割り職務区分の枠を超えた新しい船内職務体制に対応した先行教育の実施が不可欠な課題として船員制度近代化委員会から提起されている。
  こうした要請に応えて,海技大学校において,55年9月から甲板部員及び機関部員に対し,その反対部門の知識・技能を修得させることを目的とするD.P.C.教育を実施するとともに,56年5月からは,航海士,機関士及び船舶通信士に対し航海,機関関係の当直業務を中心とした共通の知識・技能を修得させること,及び部員に対し当直業務に従事する船舶職員として不可欠な知識・技能を修得させることを目的とするW/O教育を実施している。また,57年5月1日に「船員法及び船舶職員法の一部を改正する法律」が公布され,新たに運航士の制度等が創設されたことに対応して,これらの養成のための教育内容について,更に一層の充実を図る必要がある。また,新人教育機関である商船大学及び商船高等専門学校においても,運航士の養成について検討する必要がある。
  一方,STCW条約において船舶職員となるための要件とされている消火,レーダー,救命等に関する知識・技能については,前述のように,講習の形でその知識・技能を確保すること等の船舶職員法の改正が行われており,これに対応して,船員養成における教育訓練カリキュラムの見直し,関連施設,機材の整備等,教育訓練体制を充実させることが必要となっている。
  このため,現在,海上安全船員教育審議会において,船員教育訓練制度全般にわたる総合的な検討を進めているところである。

(6) ILO第147号条約の締結の促進

  近年,便宜置籍船の普及等にみられるように海上企業の活動が複雑化していることに対応して,船内における労働条件や生活設備について一定の水準を国際的に確保することが必要であるという認識が高まっており,ILOにおいては,このような認識の下に,51年10月にILO第147号条約が採択されている。
  この条約は,商船の乗組員に関し,船内の安全基準,労働条件,生活設備等について国際的な基準を定めるとともに,その実行を確保するため,自国の港に入港する外国船に対し,その国が,この国際的な基準に基づいて一定の監督を行ういわゆるポート・ステート・コントロール等について規定しているものである。同条約は,56年11月に既に発効しており,現に欧州諸国は,同条約等を監督基準とする統一的な検査指針に基づくポート・ステート・コントロールを57年7月1日から実施している。このポート・ステート・コントロールは,欧州諸国の港に入港する外国商船について57年7月1日から3年以内に入港隻数の25%を目標として,監督基準となる諸条約に定める要件に適合しているかどうかを検査し,欠陥が発見された場合には,船舶の抑留を含む必要な措置をとるというものである。
  我が国としては,ILO第147号条約を締結していないことにより我が国外航船の円滑な運航が妨げられることのないように,同条約締結上の問題点の速やかな解決を図ってその早期締結を目指すべきものと考えられる。同条約の早期締結については,労使双方からも強く要望されており,現在,関係省庁と締結のための検討を進めているところである。


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