地方振興

大隅地域(宮崎県、鹿児島県)

大隅地域

地域の概況等

 本地域は、宮崎県の日南市(南郷区域)、串間市、鹿児島県の鹿児島市(東桜島地区、桜島区域)、鹿屋市、垂水市、曽於市、志布志市、大崎町、東串良町、錦江町、南大隅町、肝付町の7市5町で構成された、九州東南端の南に突き出した半島であり、その面積は、2,540.96㎢、人口は286,972人(平成22年国勢調査)で、宮崎、鹿児島両県の総面積の15.0%、両県総人口の10.%を占め、人口密度は、両県全体の人口密度167.9人/㎢を大きく下回る113.0人/㎢となっている。
 気候は、概して温暖多雨(年平均気温17°C前後、年降水量2,952mm)で、日照にも恵まれており、常緑広葉樹林、亜熱帯植物群落等生物資源の豊富な地域となっている。
 本地域の大部分が肝属、高隈、鰐塚の山地と、シラス(軽石凝灰角礫岩)からなる台地によって占められており、土地はやせている。半島は、霧島の山麓から細長く南北に伸び、佐多岬を最南端として東岸は日向灘に連なり、西岸は鹿児島湾に面しており、笠野原をはじめとする広大な畑台地や、森林、高原等利用可能な土地資源を多く有する地域となっている。また、鹿児島湾内では、桜島が大正3年の大噴火の際流出した溶岩で大隅半島と地続きとなっている。河川は、霧島山麓に端を発する大淀川の上流が、北部を東進して宮崎県側に流れ込み、高隈山地の小渓は、肝属平野で合流して肝属川等となり鰐塚山地からの福島川等とともに志布志湾に注いでいる。
 鹿児島湾岸の雄川、神之川流域及び志布志湾岸に、縄文、弥生時代の遺跡や古墳も数多く存在するほか、大化の改新頃は、熊襲あるいは隼人の本拠地といわれたところでもある。その後幾多の消長を経て、中世島津氏により統一され、藩政時代も大部分は薩摩藩の所領として明治維新に至っている。また、藩政時代から肝属平野、笠野原、野井倉原などの開拓、用水が行われているが、シラス、ボラの特殊土壌に阻まれ、所得、生産性の低い地域であった。こうした状況を打開するため、大隅熊毛総合開発計画(昭和23年)、全国総合開発法に基づく南九州特定地域総合開発計画(昭和26年)、地域住民との長年にわたる意見交流を踏まえて策定された新大隅開発計画(昭和55年)などに基づき、国、県による地域振興のための取組が行われてきている地域である(大隅地域半島振興計画抜粋)。

半島振興計画(平成27年度~令和6年度)

大隅地域半島振興計画(宮崎県、鹿児島県)

お問い合わせ先

国土交通省国土政策局 地方振興課 半島振興室
電話 :(03)5253-8111(内線29554)
ファックス :(03)5253-1588

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