国土交通省 メールマガジン

国土交通省 メールマガジン 平成22年3月24日

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                         2010/3/24  第365号
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◇目 次◇
 1新着情報
  ・本日の報道発表
  ・大臣会見要旨(3月19日)
 2現場レポート
  ・関門海峡整備100周年
    ~2010年 関門航路は整備開始から100年~


◆新着情報[3月24日発表分]
【報道発表】※各URLで内容を見ることができます。
○情報化施工推進会議(第7回)の開催について
  http://www.mlit.go.jp/report/press/sogo15_hh_000031.html

○第4回CM方式活用協議会・第4回CM方式の契約のあり方に関する研究
 会合同会議の開催について
  http://www.mlit.go.jp/report/press/sogo13_hh_000073.html

○第7回 今後の治水対策のあり方に関する有識者会議の開催について
  http://www.mlit.go.jp/report/press/river03_hh_000228.html

○第21回国土交通省独立行政法人評価委員会都市再生機構分科会の開催
 及び傍聴について
  http://www.mlit.go.jp/report/press/house01_hh_000024.html

○平成22年度「回生電力貯蔵装置導入計画認定申請」の公募について
  http://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo09_hh_000016.html

○平成21年度第2回「安全かつ効率的な国際物流施策推進協議会」開催
 について
  http://www.mlit.go.jp/report/press/tokatsu01_hh_000046.html

【前原大臣会見要旨(平成22年3月19日)】
  http://www.mlit.go.jp/report/interview/daijin100319.html

※観光庁、気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁の報道発表資料は、以下の
 URLからご覧いただけます。
 観光庁 http://www.mlit.go.jp/kankocho/news_index.html
 気象庁 http://www.jma.go.jp/jma/press/index22.html
 運輸安全委員会 http://www.mlit.go.jp/jtsb/houdou.html
 海上保安庁 http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/kouhou/h22/index.html


◆現場レポート
○関門海峡整備100周年 ~2010年 関門航路は整備開始から100年~
 (九州地方整備局 関門航路事務所)

 関門海峡は、本州西端の山口県下関市と九州北端の福岡県北九州市を隔てる
海峡です。その歴史は古く、日本書紀に登場しているほか、遣唐使などの使節
がこの海峡を航路とし、源平が雌雄を決し、幕末には馬関戦争が勃発するなど、
日本史の節目を刻んできました。

 着工当時の関門海峡は、下関港・門司港・若松港など日本の黎明期を支えた
重要港湾を背後に抱えていたうえ、明治政府が推し進める富国強兵策により、
輸送体制の確立と貿易促進が急務と位置づけられたことによって、通峡船舶数
は増加の一途をたどっていました。しかしながら、急速な潮流(最速時約10
ノット以上)に加え、狭隘で曲がりくねった海峡の中に浅瀬が数多く点在して
いたため海難事故が後を絶ちませんでした。

 このような情勢を背景に、明治40年(1907年)に関門海峡は下関港・門司
港を含めて第一種重要港湾に指定され、明治43年(1910年)8月から内務省
直轄工事として第一期改良工事が開始されました。

 整備開始にあたり、最初に取りかかったのは岩礁の除去でした。関門海峡は
船乗りたちが「念仏岬」と呼んで恐れた海の難所であり、豊臣秀吉が朝鮮出兵
の前線基地から大阪城へ帰る途中、船が座礁して遭難しかけたという与次兵衛
岩の話などは、知っている方も多いかと思います。その他、浅瀬が下関市長府
沖に群をなしていた金伏群礁や彦島沖の鳴瀬、高瀬といった岩礁は、明治44
年から昭和4年まで足かけ18年にわたって工事が行われ、徐々に浅瀬は取り
除かれていきました。

 その後、戦前までは国策として強力に整備を推し進めていましたが、満州事
変、日中戦争の勃発を経て軍部の発言力が強まると、関門海峡の整備も軍部の
意向を強く受けたものに変化します。予算は通常のものではなく、臨時軍事費
という名目で大幅に増加しました。当時軍部の関心はアジア大陸へと向いてお
り、関門海峡は重要な航路と目されて当時の内務省港湾予算の約半分が関門地
区で費やされたと聞きます。性急な浚渫作業は戦艦大和・戦艦武蔵を通すため
だったといわれ、そのため、航路の深さは軍事機密とされました。
 
 第二次世界大戦中、関門海峡には機雷4,500個あまりが米軍によって投
下され、触雷して沈没する船は1日平均8隻にのぼり、通航不能に陥りました。
戦後すぐに機雷を除去する掃海作業を実施した結果、昭和24年に安全宣言が
出され航路の利用が再開されましたが、現在も2,000個近くの残存機雷が
あるといわれています。航路浚渫の前には必ず機雷探査を実施しており、発見
された場合は、自衛隊・海上保安部と協議した上で、適正に処理されています。

 戦後、経済成長に伴って通峡船舶数が増加するとともに船型が大型化しつつ
あったため、当時の運輸省は、航路の増深を行うとともに航行安全確保のため
の航路の拡幅、直線化を行いました。昭和30年代の高度経済成長期以降は関
門航路整備5ヶ年計画により順調に整備が進められ、平成元年に水深12m化
が完成しました。

 関門航路は東アジア・日本・北米等の主要港湾間を結ぶコンテナ船の国際基
幹航路として、また東アジアと西日本経済圏を結ぶ貨物船の幹線航路として、
日本の産業・経済を支える大動脈となっています。輸送コスト削減の観点から
も船舶が大型化していることもあり、安全な通航が図れるよう、今後も航路整
備等に職員一丸となって取り組んでいきたいと思います。

 ■九州地方整備局関門航路事務所: http://www.pa.qsr.mlit.go.jp/kanmon/index.html

 

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