1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と書き、日本経済は年平均10%以上の成長が続きました。一方で急激な経済成長は様々な公害を引き起こし、水質汚濁や、地下水の過剰汲み上げによる地盤沈下などが問題になりました。水需要の急増と地盤沈下対策として地下水利用から河川水利用への転換に対応するために、都市用水の確保が大きな課題となりました。このため一層多くのダムが計画されるとともに、法制・組織の整備が行われました。
1957年に特定多目的ダム法が制定され、建設省直轄による多目的ダム建設が大きく進むことになりました。さらに1964年には新河川法が制定され、水系一貫の下に河川の水管理が行われるようになりました。河川法上対象となるダムの定義もここで明確にされました。
1962年には水資源開発公団が発足し、大都市圏における水資源開発が促進されました。
この時期の代表的なダムは、建設省による
電力ダムでは、関西電力が社運をかけて建設した
1960年代からはピーク電力需要に対応するための大規模な揚水発電用ダムの建設が進みました。中部電力の
農業関係では、愛知用水公団(後に水資源開発公団に一本化)による
またこの時代に特徴的なダムの型式として、重力式アーチダムと中空重力式ダムがあります。いずれも、コンクリート量を減らせることが利点となっています。
建設中の矢木沢ダム(1965年)
コンクリート打設中の鶴田ダム(左:1965年)と早明浦ダム(右:1975年)
早明浦ダム(高知県/独立行政法人水資源機構) 写真提供:独立行政法人水資源機構
建設中(左上)・試験湛水中(左下:1961年)の牧尾ダム(長野県/独立行政法人水資源機構)、現在の全景(2016年3月頃) 写真提供:独立行政法人水資源機構
重力式アーチダムの高山ダム(建設中)
高山ダム(京都府/独立行政法人水資源機構) 写真提供:独立行政法人水資源機構
重力式アーチダムの高山ダム(現在の全景)
建設中の松原ダム(1972年)
建設中の下筌ダム(左:1972年)、現在の松原ダム(右上)・下筌ダム(右下)