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 国土審議会第5回調査改革部会議事概要
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  1. 日時
     平成16年2月25日(木)14:00〜16:00

  2. 場所
     ホテルグランドヒル市ヶ谷「瑠璃の間」

  3. 出席委員(敬称略)
     中村部会長、池谷、井上、岩崎、大西、奥野、齋藤、佐和、島田、杉岡、須田、高木、高橋、田中、堤、寺澤、中川、中村(徹)、西垣、森地、八島

  4. 議事(概要)
     (1)開会
     (2)議事(1)小委員会報告について
      事務局より資料説明後、質疑応答
     (3)議事(2)「国土の総合的点検」とりまとめへ向けて
      事務局より資料説明後、質疑応答
     (4)閉会

  5. 主な発言内容(順不同)
     【日本の国のかたちについて】
    • 日本をどういう国にするのかということについての基本コンセプトが今はない。戦争中の戦争に勝つということから、復興、所得倍増という時代は、そこに向かって結集し、こういう計画を作りやすかった。構造改革は手続きの話であって目標でない。国をどうするのかについての基本論があるといい。したがって、国土計画、国づくりの方策をつくるとき、国をどうするのか、これを機会に国でおおいに議論してもらって、21世紀の日本のコンセプトを出してくれと提言することができれば非常に意義のあるものとなろう。
    • 資料5の1、枠内下から2行目「構造改革後の「国のかたち」」とあるが、構造改革は方法であり、国のかたちは次元が高い話。ものごとが矮小化されていないか。
    • 資料5のフローチャートの1番右で「相互連携と対流原理に基づく計画づくり」という方向をここでハッキリ書ければという議論をしている。「目指すべき国のかたち」のところにも、「高い効率、豊かな生活、美しく快適な環境を実現し」といった類のことをうまく書いていければと思っている。

     【「国土の均衡ある発展」について】

    • 「均衡ある発展」や多軸型等について、前と同じという書き方をしない方がいい。間違いではないけれど手垢がついたので、という論理はわかりにくい。過去を否定するのは難しいだろうが、そこは書かずに今回の新しいポイントを言うのがいい。特に、「国土の均衡ある発展」の言い換えがこの審議会のポイントではないかと思っていたが、しかし、その単語が「特色ある地域振興」では寂しい。特色を出すのは当り前で、何が抜けていたかというと、各委員会からでてくるポイントは「選択と集中」と国際的視点。空港が各県にできたのは国際的視点がなかったからではないか。各県に1こづつ空港をつくるのが均衡であり、そのとき抜けていたものをここにぜひいれて欲しい。各論から演繹的にでてきているものは、選択して集中して国際的にこれくらいのものがないと日本として全部がローカル空港になってしまうというような部分だと思う。国際的視点は随所にでてくるので、それを今までと同じ国内的視点だけで「特色ある地域振興」だと何をいっているのかまったくわからない。ここが総論の目玉と思う。必ずしもワンフレーズだけでなくていい。もう少し国土づくりの理念を残すべき。
    • 資料5について、多軸型国土構造、「国土の均衡ある発展」を過去ずっとやってきたわけだが、そういう言葉でなくて、新しいもので捉えてもいいのではないか。
    • 「均衡ある国土の発展」と東京への集中の問題については、美しく住み心地のよい国土と均衡は矛盾するという気もする。その辺の議論もしてもらうとよい。

     【東京問題について】

    • 東京問題について、いわゆる工場分散的な考え方は、現在も大都市圏から工場が分散するという動きはほとんど止まっているし、それを現状以上に強化するといってもあまり有意な結果をもたらさない。むしろアジアに工場がでているのが現状。
    • 生活圏としての東京ということを考えると、急速な高齢化が進むということではないか。具体的な試算を紹介すると、たとえば多摩ニュータウンでは、2020年の70歳以上の人口は2000年の約3.1倍で、これは現在の鹿児島県十島村とほぼ同じ高齢化率。武里団地のある春日部市は3.3倍で、これは現在の奈良県吉野町と同じ比率。千葉の南から神奈川県東あたりで、通勤する人の10%が東京23区に行くという地域をとると、兵庫県浜坂町と同じ比率。現在の趨勢で人口移動も勘案した上での数字であり、団塊の世代も含めてこれから高齢化する人は必ずしも地方に戻らない人もいるという前提である。ここまでいかないにしてもこういうことがおこると、社会インフラの問題や福祉の関係で費用が非常にかかる。東京も今は勢いがあるし人口が集中しているが、人口の中身が変わるのでいろいろな問題があるという視点も東京問題にいれておいてほしい。
    • 東京圏に集中するという考え方は大変危険。持続的発展ということからしたら、地方に財政面も含めて分散をしていく必要がある。
    • 地域ブロックが自立して世界で競争する構造と、東京に引き続き高次都市機能を集積するということは相反する。競争とあるが、共存ではないか。世界と共存していくという思想を日本が発信してもよいのではないか。
    • 資料5の3。東京問題と2の「自立広域圏連帯型国土」との関連はどうか。制度的には東京に関しては「自立広域圏連帯型国土」の枠外という取扱いもありうると考える。

     【ブロックについて】

    • 今後、地方ブロックの作業が非常に大きなウェイトをもつ。地方ブロックの作業と国の作業と対流しながら一つのものをつくるという共同作業となる。そういう理念が地方には未だぴんときていない。今度の計画は、理念の変わるまったく新しいものができるということと、地方の作業がこれまで以上にウェイトを増す、国と地方がいっしょにやるということについて、何らかの格好で地方を啓蒙していく必要がある。地方に準備をさせる、皆さんも参加するのですよという気持ちを明らかにしていただくと作業が進んでいく。ただ、国の地方支分部局の力を相当借りないといけない。理念がないとまわっていかないと思うのでそれを明らかにしてほしい。
    • 地方分権を念頭においた場合のブロックとして考えられるのは、国の行政の権限、責任を受けとめられる程度の地方ブロックだろうと、そのことと、住民の利便のためのブロックは分別して考える必要がある。そして、前者は相当大きくなくてはいけない。国土軸の議論をしたときも、行政ブロックとしては考えられていなかったのではないか、少なくともそのような議論はあまりしていなかったのではないか。今後大きなブロックができても、国土軸的な歴史、文化を共通にして問題意識を同じにしているという軸は厳然としてあるので、それにそれぞれのブロックがどういう対応をしていくのか考えなければならない。それは主としてソフトの問題だと思うがよく議論しなければならない。
    • ブロック化とはどういうイメージか。どういう規模でどういうイメージでブロック化していくかハッキリする必要がある。各ブロックが金太郎飴ではなく、特色あるブロックになっていけばいいわけであり、そういうことをやる施策を明示していったほうがいい。
    • ブロックという従来の都道府県より広域的な枠が経済活動等の単位に実質的になっている。そういう既に形成されている枠組みを更に重視していくべきということと、一方で、生活の場ということを中心に考えると、今合併が進んでいるような新たな枠組みの市や実質的な生活圏が単位としてあり、それをいろいろな意味をこめて「ほどよいまち」と呼んだ。これは、適当にという意味あいもあるが、一生懸命それぞれの地域で模索するが、日本の人口減少傾向等を考えていくと、これまでの50年のようなドラスティックな地域変化が起こりにくいのではないか。逆に人口減少していくということについて危機意識をもたなければいけないという意味で、ほどよいところまでもっていくのが大変だという認識が必要かもしれない。
    • 資料5の2、枠内上から2行目「これからの我が国が活力を維持するためには、都道府県を越えたある程度の経済的まとまりが必要である」とあるが、目的となるのは、活力だけでなく、国のかたちをどう変えていくかという大きなところにつながってくる。もう少し書き込んだほうがいい。また、経済的まとまりだけでなく、行政的まとまりについてもいろいろ議論があるので、両方含めるべき。

     【少子化、人口減少について】

    • 少子化が進み、人口減少が進み、このままで本当にいいのか。ゼロに向かってずっといくと日本の国土、日本はどうなるのか。日露戦争後の日本の膨張主義に対する批判から、人口は増えすぎた、当時の人口に戻せばいいという安易な考え方もあるが、当時の日本人口と世界人口の比較、今の日本人口と世界人口の比較とどうだと。いずれにしても、人口がどんどん減って栄えた国はない。力がどんどん衰えていく。力が衰えて、美しくて住み心地のよい国土づくりができるのか。人口が減るのは自然減少、必然の流れと思っている人もいると思うが、私は、適切な政策をとれば人口減少は止まると思っている。適切な財政、税制政策、子どもを産む女性を助ける、育児後の社会復帰を容易にする、そしてあまり不利な扱いにならないようにするといった政策をとった場合、人口の減少トレンドは止まるし、変わっていく。そういうことをやれば、国土計画もつくりやすくなる。そんなことをどこかに入れられないか。
    • 人口減少を所与として扱っている印象を受けるが、そういう前提から導き出されたものでいいのか。少子高齢化は大きな問題かもしれないが、それを前提とした国土づくりはさびしい。国土と人の暮らしをどうするかというところをどうつないでいくかが重要。人口減少という前に、子どもを育てる空間としての国土、地域空間はどうあるべきかという視点があまり感じられない。国土で暮らしていく人の暮らし、特にこれからの子どもが何を見てどう育っていくか。最近政策決定者が東京出身者や東京の大学出身者が多くなり、自然、里山がどうなっているかという感覚がなく日本が進んでいく。子どもが自然の中でどういう暮らしをしていくかという観点も必要。人口減少というのではなく、人口を増やせというのでもなく、人の目線から次の世代がどう育っていく空間を作っていくか、それは今の世代の責務であるという視点が必要。
    • 少子高齢化の問題は所与でどうしようもないという面もある。60〜70年代、ヨーロッパのいくつかの国で少子化が進んでどうするかということが国家的な問題になった経験がある。移民政策や子どもの養育費の国家負担を増やす等いろいろあった。2006年に人口がピークを迎えて減少していくということで、20〜30年はどうしようもない。そういうなかで、日本の経済社会が活力を保っていくためには、ある量の労働力の確保が必要になる。外国人労働者をどうするかは非常に難しい問題だが、それより前に女性の働きやすい環境を社会全体でつくる必要がある。アメリカでもヨーロッパでも日本に比べ、育児をしながら女性も働く、社会的責任のある仕事をどんどんしている。育児所、地域、企業、政府のいろいろなサポート、法律だけでなく制度、環境、設備が日本より充実している。北欧、アメリカ、ヨーロッパの女性の社会進出が日本以上に進んでいるということで、日本の子どもをもった女性、育児後の女性の社会復帰への配慮がとても必要。
    • 人口問題については、今後どうするかを考えるときに非常に重要。東北では高齢化比率が非常に高い。少子化対策が上手くいっても生産年齢に達するには20年かかるので、それまでどうするか。そのために日本の産業構造、経済構造のビジョンを具体的にどう描いていくのか。人口が少なくなるにしたがって縮小均衡で満足するのか、あるいはもう少しがんばっていくのか。
    • 人口減少の方は、ブロック単位での国際競争と、人口30万人くらいで都市的サービスをなんとか享受できて、国土を維持するための人口が定着するというのが一つのかたち。しかし、そこに入らないところが広大にある。特に北海道にたくさんある。そういうところについて、さらにブレイクダウンすると、白川など、人口に関係なく魅力的なところで、安定的な生活が営めて魅力的な国土そのものになっているところがある。ここはそれなりに問題がない。北海道の帯広など、非常に密度は低いが国際的に生産力ある農業や観光が展開しているところがあり、密度が低いところのバックアップができればそれなりの展開がある。それ以外の残ったところは、今までの条件不利地域についての施策、半島法や豪雪法等だけで、つまりバックアップや公共投資の自己負担だけでうまくいくのではなく、そこの社会の仕組み全体を変えることを考えなければいけない。詳細はもう少し議論してから道を見つけるべき。
    • 外国人の受入問題については、人口減少すると当然出てくる問題。外人のプロをいれる必要があるということも理解できるが、入れることによって日本人はどうなのか。入れることによって逆に使われてしまうような文教政策では困る。マネジメント能力、知的レベルの高い日本人を作っていくことが必要。

     【持続可能性について】

    • 国土計画の基本は、長期的かつ総合的にみて、開発と保全のバランスを保ちながらよりよい形で次世代にわたしていく、つまり、持続的なところが大変重要となる。しかし、約40年ほど前からはじまった全総計画以来、ずっとバランスがうまくとれてこなかった、つまり、持続性が欠けていた。そういうことから、とりまとめのイメージにおいて、「高い効率、豊かな生活、美しく快適な環境の実現」についても、ベースとして「持続的な」がつかないとまた違うところにいってしまう。持続的な範疇の中の高い効率、豊かな生活、美しく快適な環境という視点が根本的に必要。それをふまえて「ほどよいまち」になってくるかと思うが、この辺のことを考えると日本においても100年先のグランドデザインをどう描くのかを、地域地域によって違うのだろうが、そこをきちっとしていくことが今後大変重要と感じる。
    • 国土の総合的点検とりまとめのイメージのなかに、「環境問題の顕在化」とあり、「限界に達した廃棄物の処理」「荒れる森林と耕作地の放棄」とあるが、根本的に違う。限界に達したのは地球資源、生物多様性がなくなってきたということがベース。
    • 資料3のタイトル「持続的発展」は「持続可能な発展」と違う意味でつかっているのか。資料4では「持続可能性」「持続可能な」という言葉がたくさんでてくるが、基本的に並ぶ資料であるので、「持続的」と「持続可能な」という言葉を使い分けていくのか、どちらかに統一するのか考えて欲しい。また、サステイナブル・デベロップメントのデベロップメントを開発とするか発展とするか。ここでは国土形成や国土開発という言葉をしょっちゅうつかっているので、「持続的開発のための国土基盤のあり方」のほうがいいのか、それとも単に「持続的な経済発展」ということを意味しているのか。その辺が今ひとつ意味がハッキリしない。
    • 資料4の27ページの2段落、「人間の活動と自然との間に調和を図り」と書いてあるが、「間に」は要らない。その次に「他国、他地域、後世代に過度の負担をかけない」とあるが、「過度の」はとったほうがいいのではないか。負担をかけないということが、本来のブルントラント委員会のサステイナビリティの意味。

     【表現の仕方について】

    • 現状の問題の分析、これからどうしていくのかというコンセプトを考えようということで、新しいコンセプトがいくつか盛り込まれている。そうしたコンセプトを言葉にしていかなければいけない。
    • 数個の言葉でうまく我々の考える方向を迫力をもって表現することがなかなかできず、苦慮している段階。
    • たとえば、「ほどよいまち」という言葉はよくわからないという指摘もあり、検討していかなければいけないところだろう。「中位のまち」と言っている委員もいるが、私は「中庸な」でいいのではないかと思っている。ドラスティックな、ラディカルな変化のないまちをつくっていくのだと。歴史的に見てこの何十年の都市はきわめてラディカルな変化をした時代で、こういう時代はそうめったにくるものではなく、その時代は過ぎようとしている。それに対して我々はどういう方向を出していくのかが今の議論の中心。こなれない言葉かもしれないが、もっといい言葉があればなおしていきたい。この前の計画も多自然居住地域や大都市のリノベーションなどいろいろ出して、最初はおかしな言葉だと批判もあったが、最近では皆言ってもらっている。「美しい国土」にしても、実際の施策として景観基本法となりいろいろな事業ともなっていく。
    • カナダは、先進国の中で唯一黒字国。どうしてそうか調べていくと、政権のビジョンを決めて、その下にプライオリティ・プランニングを行う委員会が内閣の中にあり、優先順位をどう決定していくかが政府の一番大きな役割であるとまず明確にし、その次にそれを戦略的にどう計画づくるかというのがあり、その下に実質的な政策をどうするかという4層になっている。明確なので、国民にはとても伝わりやすい。強い経済と安心できる社会をビジョンにして、そのためのプライオリティとして赤字を減らすとなり、実際の政策では選択と集中で資源配分をするというハッキリとした道筋が見える。道筋を明確にしながら組みなおすと伝わりやすいものになるという気がする。少なくとも国の考えている道筋があると意見も出やすいしわかりやすい。
    • 小委員会の報告の中で、持続可能な国土の創造小委員会については「むすび」がある。わかりやすくということを国民は求めているので、持続委員会以外の委員会についても、1枚程度の「むすび」があったほうがいいのではないか。
    • この次の目標年次をどこにおくのかにより、記述も変わってくる側面もある。
    • 資料2の51ページ。「「知的資本」を蓄積する人」は、言葉がおかしい。言い換えたほうがいい。
    • 資料5の12ページの4ポツ。「グローバリズム」は「グローバリゼーション」と直したほうが意味がハッキリする。グローバリズムは主義であり、グローバリゼーションは現象。

     【その他】

    • 地域づくりをどういうふうにしていくのかということで、特に資料2の60ページのCに集約的に書かれている。つまり、地域づくりというのは、「首長自らトップセールスを行う役割がある」という表現にあるように、地域が独自にやっていくもの。自立的、自主的な活動が必要だと何度も繰り返されている。報告書を出した意味は、従来のようにこの発展上に、たとえば国がある制度を設けて、手を上げた人に補助金が配られるということを皆が合意して想定したわけではなく、こういうことをガイドラインとして検討してもらい、それぞれの地域が目指すべき方向を模索して進んでほしいというメッセージ、ガイドライン的な意味合いが強い。しかし、最後のところで、国も「自立・安定に向けての各段階に応じた適切な支援を行うことが重要」と書いてあり、この中身については、なんらかの局面に応じては、ある期間を限定した格好での誘導、奨励的な補助制度が必要だというようなこともこれから政策手段として出てくるかもしれないが、全体としての力点は、地域の自立的展開にある。
    • 地域の自立的展開のために何が必要かというと、私見では、90年代に各地で分権化の動きが進んできた。そのなかで、土地の管理が未だ完全に分権化されていない。国では景観法を準備しているが、これは画期的な法律で、都市の専売特許といわれていた景観という言葉が農地や森林へ適用されて、縦割りを超えた格好で景観の整備が進められようとしており、これが美しい都市づくりにつながっていこうとしている。そういう意味ではそのベースにある土地の管理についても、細分化された管理の法体系から、それを超えて地域の自治体なり広域的な自治体が中心となって、十分に力を発揮できるような分権化が一層必要。特に農地、森林においてはまだそこが不十分と考える。国はそういう制度の分権化の枠組みの整理をするという役割がまだ非常に大きい。地域のなかではいろいろな計画をつくってそれぞれ地域づくりをすすめようとしているが、それがあまりにも多岐にわたってきた。自治体、市町村であれば自治法によって基本構想をつくらねばならないが、その基本構想を中心としていろいろな計画を自治体が使いやすいように再編していくことが必要。場合によっては、都市計画マスタープランも基本構想に位置付けなおすということもありうる。そういうことをして、主体的に地域づくりができるシステムを法令上、条例上、あるいは計画上つくっていく。それに財源の裏づけのある事業制度が地域の中でより使いやすく整理されていくということがあれば、それが自立・安定した地域社会の形成の基盤になっていく。したがって、こういう発想をもとにした制度の整備について、これからもっと突っ込んで議論をしていって、国土計画体系の再編のなかにそうした制度の再編が組み込まれていくといいのではないかと考えている。
    • 中山間地の扱いをどうするかが国土形成のなかで大きな問題だと思うが、都市ばかりにいろいろなものが集中するのではなく、国土全体を見渡す視野はこの審議会でなければならない。農地、森林といった土地利用について地元で決められるようにしないと、それができなくてどうして地域振興ができるか気になっている。
    • 次のステップではこういうことを議論すべきということで、煮詰まっていないがゆえに国際連携・持続的発展基盤小委員会報告書に十分書き込まなかったことを2点。開かれた国土、東アジアの中の日本、その具体的格好をどう考えていくか。もう1点は、人口減少下で人口30万人、1時間圏内に入らない地域をどうすればいいか、そのために、インフラなりいろいろな施策をどういう組み合わせでやるべきか。どちらにしても放っておくと悪循環になっては困るので、それを断ち切って、よい方向への回転をするようにしたい。
    • 今東南アジアへ向かって日本の都市から日帰りできる都市ペアーがほとんどない。ヨーロッパに比べると極端に国際都市間の交通が不便。機材の大きさの問題、需要がないという問題もある。香港、シンガポールが若干そういう都市ペアーをもっているくらい。したがって、需要がないために国際交流なり投資が不十分で悪循環に陥っていくということが問題。空港問題はハブ空港についての議論が主としてあったが、そういう観点からの議論が重要。
    • 開発至上主義、成長至上主義、効率至上主義は間違っていたという点については誰しも共通の認識はあるが、したがって、効率、開発、発展、成長すべていけないというわけではないはず。そこで、「持続可能な(発展)」という話がでてくる。他方、文章の端々には、そんなもの(発展)よりも美しく住み心地よい国土をつくりたいという話がある。美しくしたり住み心地をよくするための力はどうするのか。力がなくなってできるのかもっと考えなければいけない。
    • どこでどういうふうに政策を実現するのかがやや不明確。
    • 一種のプログラム的なものを出してもらわないと、これがどういう形になって、地方にどういう形でツケがまわるのか、どこでどう検討されるのか、ある程度イメージが湧かないと、「多様な主体間の相互連携」という言葉だけでは、地方がこれから我々が考えなければいけない問題であるとかどのようなプログラムでふってくるのか理解できない。これだけの大きな議論はどこへいくのか。むしろプログラムをしっかり書くということで議論をだしてもらったほうがいい。
    • 資料5の4。多軸型国土構造についての記述は否定しないが、地域連携軸について、2の記述と関連してこれから必要になってくる部分があるのではないか。ハードだけでなく、ソフトも含めた話として。
    • 資料2の4ページから5ページにかけて、東京圏の人口の流入・流出のグラフと分析が示されているが、80年代の好景気のときには地方から東京圏に明らかに流入している。他方、90年代前半、景気が悪くなって逆に流出の方がふえている。しかしそれ以降東京圏への流入が漸増している。こういう現象については、戦前からなぜこういうことが起こるのか、大河内一男先生を中心に論争があり、昭和30年代後半に隅谷三喜男先生が都市雑業層への沈殿とした。80年代の東京への流入は景気がよかったから、仕事があったから地方から人がきた。ところが、2000年前後から増えているのは、地方に仕事がなく、都市にいけば仕事があり、なんとか食えるということで、こういう結果となっていると感じた。

    (速報のため、事後修正の可能性があります。)


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