国土交通省
 国土審議会調査改革部会第2回企画運営委員会議事概要
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  1. 日時
     平成15年9月26日(金)10:00〜12:00

  2. 場所
     中央合同庁舎2号館13階国土計画局会議室

  3. 出席委員(50音順)
     大西委員、奥野委員、小林委員、武内委員、中村委員長

  4. 議事概要
    (1)開会
    (2)「国土の総合的管理」の意義について
      事務局より資料説明後、質疑応答。
    (3)「国土の均衡ある発展」の意義について
      事務局より資料説明後、質疑応答。
    (4)「国土空間利用のコンパクト化」について
      事務局より資料説明後、質疑応答。
    (5)閉会

  5. 主な発言内容(順不同)
     (1)「国土の総合的管理」の意義について
    • 国土計画の意義、必要性を具体的な形で示したい。そして、世間に国土計画にもっと着目してもらう。
    • これまでの全総は、特に四全総以前、基本的には、国土の基盤となる社会資本整備の指針という形で使われてきた。それが、政治的理念をもって機能してきたという面が非常にある。今現在の状況では、ハードな社会資本整備のいろいろな問題が指摘されている中で、全総どうあるべきというのが問われて、それが五全総の議論となり、今日まできている。
    • 全国的で、総合的で、かつ物的な計画の存在意義と問いを解釈すると、4層のうち、市町村、都道府県、広域の計画は、生活圏や経済圏が拡大しており、そこを埋める適切な計画がないということでストレートに位置付けられると思う。経済活動や生活の単位を充実させるという意味では、広域ブロック以下が主要な場になろう。問題は、全国計画の意義があるのか。
    • 環境問題、災害防止、安全安心といったことがナショナル・ミニマムとして経済活動や日々の活動の前提とされるけれども、確認を怠りがちということで、国が責任をもたなければいけない領域だと思う。そういうことをベースに据えないと、一つ一つ厳密に議論していくと、国の計画の意味は残らない。国土計画を国に限定して意義を考える場合、もっと充実させるべき。
    • なぜ必要か、これからどうするかといったことを考えるとき、資料も先生方のご意見もきれいごとすぎる、細かすぎる印象が抜けない。たとえば、調整とは何をやるのか。強化すべきものは強化し、放っておくものは放っておくということをもっとしないと、あらゆるところに同じものを作ってしまって効率が悪くなる。そういうことに対して国土計画としてはっきりした方向を出すのが使命なのではないか。
    • 「国土の総合的管理」は、(全総計画と)国土利用計画との統合の議論と結びついている。従来は部門・地域間調整、効率性中心の国土計画だったが時代が大きく変わりつつある。地域が縮減して人口が減り、さらに地球環境問題がでてきた。そういう問題に対して他のタームで、時代がかわってもフォローアップできる体制が「国土の総合的管理」。
    • 今回は、市街地が縮減し、持続可能性がテーマとしてでてきて、そういうテーマとあわせて国土計画をどう構成するかという形。全体としては「国土の総合的管理」の枠組みの中におさめ、時代が変わってもそこでみていくという体制。
    • 国土利用計画と全総計画を合体させて、管理や保全を強調した国土計画に切り替えるというのだが、その際の意義は、これまでのような社会資本整備とちがうニュアンス。たとえば、宇沢(弘文)先生のおっしゃっているような社会的共通資本という形で、たとえば、清浄な空気、今までと違う豊かさを獲得して生活していくとか。社会資本整備についての基本的考え方を、人々の価値観の転換とともに変えた上で、トータルに保障していくということを考えると、個々人の欲望に基づいた土地利用の集積だけではそういうものが達成できない。公共性、福祉性、持続性といった切り口で束ねていく社会を提案していくことに意味がある。
    • 失われた10年は反省の10年であり、いろいろな人がまともにものを考えるようになった。地価下落という状況をうまく利用しながら社会に適用していこうという動きがいろいろでている。たとえば、失業対策からはじまった森林雇用政策は、参加する人は、生き方として新しい希望を見いだしている。そういう新しい生き方を奨励していくような国土の計画的フレームを出すことが重要。そのことを保障するためには、そうした国民の大きな意識の変革をきちんとヒアリングしないといけない。
    • たとえば、ドイツの国土計画がなぜあれだけ農村振興を強調しているかというと、農村が美しい国土の構成要素として重要という社会的合意があるから。そういう合意を取り付けていかないと、国土計画局と委員だけでつくるといっても、人々は理解してくれない。一種の国民運動的な議論と計画策定の議論と並行させながら、新しい価値に向かって議論をつめていくべきではないか。
    • たとえば、環境と国土計画について、全国レベルで具体的にものがいえないか考えたとき、たとえば、21世紀の社会の中で、日本の農山村をすべてある種の活力をもった状態で維持していくのは無理。そういうとき、それを崩壊とか荒廃として見ているだけでいいのか。そこについて仮に積極的な方針を出すというなら、万力をふるって日本の国家がすべてサポートするということについて国民的合意ができれば、また別の展開があるだろうがおそらくそうはならないだろう。そこで、過去100年の開発の歴史を逆にして、むしろ国土の自然再生をこれから100年かけてやっていく。自然再生を積極的な政策として打ち出せれば面白い。しかし、自然にかえしていいところはどこでもいいというわけではない。
    • 資料2の1枚目の左側で、海域、陸域、河川を一体として考える必要があるというのはそのとおり。日本は東京湾、伊勢湾等閉鎖性水域が多い。河川と海と、計画がつながらないところが問題。閉鎖水域の中まで話が及ばないが、一体的なものだと思う。文化なども一つの閉鎖性水域に入り込む流域圏はかなり共通しており、広域計画を考える場合非常に重要である。
    • 観光についても広域計画が重要。北陸と東海で観光問題に携わったことがある。いくつかの県が集まって検討するが、県庁の人は他県の県域については発言しにくい。一つの県の中で一村一品運動みたいなことをやっても世界的観光戦略ができない。広域の計画でやるというときにも、いくつかの県のメンバーを平等で通るルート等をつくらされる。広域圏計画を考えるときには、そのへんの在り方なども重要。
    • 国土計画の新しい課題としていうと、アジアの中での日本の国土計画の位置付けがある。そのときの相手方をきちっと議論しないと、なかなか具体的な計画としての指針性をもちえない。そこをつめてほしい。「東アジア」というとき、定義が曖昧であり、ASEAN、NIES、パン・パシフィックといった相手方の捉え方の問題がもっと議論されてしかるべき。そのときに国土計画らしい付き合うべき相手をどう分類するか。たとえば、北東アジアと東南アジアをいっしょにしていいのか。アジアにおける先進国と後進国を日本との関係でどう位置付けるのか。

     (2)「国土の均衡ある発展」の意義について

    • 国の形をつくるという意気込みでみんなで考えていく計画でありたい。みんなが認識することにより強くなる国土計画。透明性、合理性、国際的視野に立つということが必要といった観点で、「強い」国土計画。
    • 「国土の均衡ある発展」の語は、意義がある。内容的には決しておかしいものではないが、その言葉どおりでいいのかここで議論する。
    • 「国土の均衡ある発展」は昭和30年代から使われてきた言葉だが、公平という観点が基本にあった。長く生きてきて立派な概念だが、あらゆる解釈を許容し、意味するところがすぐにわからなくなっている。
    • グランドデザインのときの考えは、決して金太郎飴でないが、それぞれの人の満足感は公平。しかし、満足の持ち方はいろいろあるという発想で書いた。
    • 1980年代までは日本の発展の中心が四大工業地帯であり、その成果を地方へ分散ということだったが、今は発展のセンターが弱っている。効率性向上という観点からどこを重点化すべきかが問われている。
    • 地域間所得分配は、90年代半ばからずっと改善されてきた。これは、地方圏が社会基盤が整備されて自立してきて改善ということでは決してない。地域間格差は、短期的には、不況で改善、好況で広がる。おそらく90年代半ばからの改善傾向は、むしろ日本全体の成長率が下がってきて、都市圏の経済発展が十分でないことに原因があるのであろう。「国土の均衡ある発展」の内容がずいぶん変わってきて、むしろ日本の発展のセンターが弱ってきている。それを整理することが、「国土の均衡ある発展」のポイントではないか。
    • 「国土の均衡ある発展」が目標になるかどうかは別の問題。あるところが偏って発展していて、そこの果実を分配しないとバランスがとれない、そこが勝負のキーだというときには目標になると思うのだが、誰がトップランナーか良く見えないときにはトップランナーを探してくることの方が重要で、分配は必要なのだろうがそれを正面からやると誰がトップランナーがますます分かりにくくなる。ウェイトが変わる。
    • 意義を構成する、「均衡ある発展」をとりまくポイントが4つ。1平均値。所得で見ると、所得が上がって分散が小さくなっている。ジニ係数等で示されている。2価値が多様化してきて、平均値よりも低いところでも見方を変えるといい地域という見方がでてきた。3センターが弱ってセンターの果実の分配ができにくくなってきた。4将来の人口の減少が見通されるなかで、格差というより、全体に不安感なり大きな状況の変化が起こっている。この中で、最後の2つ(34)が大きなテーマであるが、そのなかで、「均衡ある発展」という言葉自身は当然必要で、どんな貧しい地域があってもいいということはありえない。一定のバランスを保つことは大事なのだが、保つ方向を出すことが難しくなってきている。人口が減少したときに地域がどうなって、そのなかで活力を保つのはどういうことかということについて、みんなが納得して旗印に掲げるような展望を出すのが今回の国土計画の役割。こういう展望を出すことによって、12がある程度の範囲に入っていれば、そんなに「均衡ある発展」という言葉自身が大きな政治的テーマ、計画のスローガンにはならないだろう。ナショナルミニマム、これがなければ国土計画をつくる意味がない。
    • 「均衡」という言葉は、動学的、競争の中でのバランスというものを本来期待していたのではないか。しかし、結果としての均衡が今日表現されている「均衡」という言葉にどうもあてはまるのではないか。
    • 我が国は大きな社会システムの中で強い意志として空間を位置付け、均衡を果たしていくという方向をとるのか、そうではなくて競争的関係で均衡がとれるという均衡を期待しているのかというと、今日、後者ではないか。均衡の意味をもう少しひもといて、今日の意味の均衡は何なのかという議論が必要。
    • 「国土の均衡ある発展」という言葉は全総を体現してきた言葉なので、仮に変えるとしても、簡単に結論をだすものではない。「均衡」は公平な地域づくりという観点が強かったのに対して、これからは競争的環境の中でメリハリのとれた地域づくりということに意味があると思う。しかしそれは勝ち負けではなく、それぞれがどういう地域を目指すかという答えが違うという意味でのメリハリでなければいけない。そこをどう政策的に展開していくか。
    • 「発展」という言葉は、これから国が中心に掲げる言葉として、国民が受け取れるかという疑問が若干ある。「発展」という言葉がもっていたイメージが国民にとって十分受け取れていない。「発展」に替わる言葉はないか。「発展」が今日的テーマとして、国民的な生活のあり方として、すべての国民が「発展」というテーマのもとに国土の在り方を議論する言葉なのか。持続可能性という新しい言葉がでてきたときに、発展という言葉がそれとどういう位置付けにあるかという議論をしなければいけない。
    • 「発展」という言葉については、Sustainable developmentという語が、ヨハネスブルグではキーワードになっており、世界的に通用性の高い概念。ブルントラントの委員会ででてきた言葉だが、これを単に開発と環境保全の間をとりもつ玉虫色の答えと理解するのか、あるいは、人間社会は本質的に開発的側面と環境的側面の矛盾するようなベクトルを常につなぎ合わせようとする努力をすることでしか人間社会を維持でないという積極的思想とみるかで受け止め方が違う。
    • 日本の社会は「開発」という言葉を嫌うので、それを避けようとしていっている言葉の一つが「発展」だと思う。「開発」という言葉のもつ本質的な意味を国土計画は無くしているのか。これまでのような開発でないかもしれないが、環境を考えつつも開発というものを国土の中にビルトインしていく仕組みを国土計画で維持していかないと、やはり日本の国土はダメになるということを明確に打ち出すべきでないか。逆にいうと、今の時代だからこそ、開発ということをあえて挑戦的に提示していくという形で議論してもいいのではないか。開発から保全、管理へと、開発を消そうとするということは、もしかしたら国土計画そのものも消そうとすることになりかねないのではないかという危惧も持っている。
    • 開発でなく、振興は。振興はインセンティブとよんでいる。たとえば、特色ある地域振興というと、インセンティブはいろいろな方向がある。
    • 「国土の均衡ある発展」はあまりにも手垢がつきすぎてしまった。次からは変えたほうがいいと思う。たとえば「特色ある地域振興」はどうか。
    • 自然回帰を積極的に推進すれば、それは一つのポジティブな地域づくりになりえるのではないか。たとえば、そういうものとグリーンツーリズムやエコツーリズムを組み合わせることにより、政策的な展開をするといった形がありえるのではないか。すべてが昔のように工場を移転させて雇用力を増してという形ではないのは事実。

     (3)「国土空間利用のコンパクト化」について

    • 全総計画と国土利用計画との統合が大きな方針であり、コンパクト化の方向は大事な方向なので、誤解のない表現を考えてもらい、全体の議論にいれていってほしい。
    • 都市郊外の方向性について、明確な指針を示したほうがいい。そこの部分を緑地帯にするのか、それ以外の空間にするのか議論していくべき。日本の社会の中で土地利用というとき、いかにも調整、整序がないということについて国土計画がものを言わないと、国土計画は皆から見捨てられる。ここについて具体的にどういうビジョンをもつのか、具体的な調整手法をどう提示するのかが非常に大事。特に市町村計画が重要になってくると思うのだが、規制の強化による対処は難しいということになると、いかにして地域合意を得ながら地域住民が自らの地域を整序していくという形にもっていくかが非常に重要。そのためには政策の部分で、明確なシミュレーションできるような方式の提案が必要ではないか。
    • 自立・安定小委員会でもコンパクト化をかなり議論しているが、なかなか難しい。コンパクトというイメージが人により様々で幅がある。100坪くらいの住宅がびしっと無駄なく並んでいるというと、60人/haの密度になる。一方で、マンションが立ち並ぶと300〜400人/haとなろうが、これは都会のまちのあり方として、それほど超過密でなく、許容される範囲。そうすると、一桁くらいの密度で幅がある概念。そのどれを指してコンパクトか。パリ型になれと言っているのか、東京型の高層マンションに入れという意味か、それとも戸建住宅で空間の無駄がないような格好でまとまって住むという程度の話かでずいぶん違う。しかもデータが1kmメッシュなので、局地的な住まいの形態が捕捉できていない。議論の根拠が危ういという感じがあり、実態、傾向をつめていく必要がある。
    • 情報通信、道路整備、自動車の発達、エネルギー供給の新しい都市型・分散型方式がこれまでも発達してきたし、今後も発達していく。多様な居住を支える、低コスト・低エネルギーのツールができてくる。いろいろな住まい方をそれぞれやってくださいと、支える技術は社会の中でいろいろ開発するという側面も一方である。
    • コンパクトということで画一した住まい方に収斂させていくのではなく、多様な住まい方をある許容範囲の幅の中で保障していく。また、それぞれにあった緑との取り合わせがあると思う。大都市でも土地が余るので、都市計画のゾーニングに農地をこれからは入れて、市街化区域内農地を守る。郊外に住む場合には、農地だけでなく林等も保全していく。その取り合わせの形態も多様だと思う。多様なメニューを提供していくということにしていくべきで、コンパクト化という語が画一的イメージで一人歩きしていくのはよくない。
    • コンパクト化は同時に、グリーン化の話でもあるので、そういう面も入ったいい言葉が欲しい。この方向は、大変大きな方向だと思うので、いい言葉で皆がわかりやすいものを考えて欲しい。
    • グリーンを維持するシステムがいっしょにないと、コンパクト化は実現しない。場合によっては、郊外にグリーンに囲まれて住むというスタイルもあり、住む方がグリーンを維持するという社会システムができてこないとコンパクト化は維持できない。
    • 政治的に振り回されてきたという面があるので、データベース、地図といった足腰を強化し、ツールを提供していくことは大事。
    • 国土交通省の地理院が考えている電子地図という非常に大きなプロジェクトと、国土計画局の仕事とタイアップして考えてほしい。非常に活用できる話だと思う。ただ、地理院のものはフィジカルなものがデータの中心なので、もう少し社会経済的なデータも付け加えることが必要だと思うので、それはお願いすればいい。
    • 市町村計画の中で、これまで参考図としてしか位置付けられていなかった地図を使っていくことが非常に重要。シミュレーションと組み合わせてやっていく仕組みを出すと、非常にユニークなものになるだろう。ドイツの地図もそうだが、国のレベルから地区計画のレベルまで全てが地図付きで議論がされるということをこれからは考えるべき。どうしても最後は文章になってしまうのはもったいない。たとえば法律のなかで、文章だけでなく地図をつけるということを明確に書くといいのではないか。ドイツのBundesraumordnungs gesetzはテキストと地図をつけないとだめだと明記していたと思う。
    • 土地政策分科会の小委員会でも、同じような話があった。これからの国土計画の基礎データ、基礎調査をどうやるかというところからはじまって、ベーシックなものをまとめる必要があるとかなり言われた。公開ソフト等新しいものを活用して住民にオルターナティブを示す。そして、自分達の地域について考えてもらう、そういうところから国土計画が始まるのではないかという議論があった。
    • カール・シュタイニッツ(ハーバード大学デザインスクール教授)は、Alternative futureという語を使って、コンピュータ・シュミレーションにより、同じ開発面積であってもコンパクト化をしたときとしないときと、地域の景観や環境負荷がこれだけ変わるということを明確に示す非常によいコンピューターソフトを作っている。そこから先にあなたはどちらを選ぶかということを様々な機会を利用して市民と協議して、そうすると市民はきちんとやったほうがいいという方向になっていく、それが自分達の資産を守るためにもなるというほうに理解していく。英語の本があるので、ぜひ御覧になってほしい。また、ハーバード大学デザインスクールHPを訪ねると情報が得られる。
      http://www.gsd.harvard.edu/people/faculty/steinitz/index.html

(速報のため、事後修整の可能性があります。)


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