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国土交通白書 2024

第1節 本格化する少子高齢化・人口減少における課題

インタビュー注10 建設業界における働き方改革・イノベーションとD&I

~(公社)土木学会第112代会長・早稲田大学教授 佐々木 葉氏~
~(公社)土木学会第112代会長・早稲田大学教授 佐々木 葉氏~

 担い手確保のための働き方改革と、生産性向上が求められる業界で、企業は多様な個を活かす経営がより重要となってくる。景観まちづくりがご専門で、土木学会理事、景観・デザイン委員会委員長、ダイバーシティ&インクルージョン推進委員会委員長等の要職を務め、2024年6月より土木学会会長に就かれた佐々木氏に、日本の社会や土木業界における働き方に通じる、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の状況、豊かな暮らしと社会の実現に向けた将来展望等について、お話を伺った。

(Ⅰ)D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の現在地

●言葉は浸透したが、必要性の理解にはなお格差がある

 建設業界では、D&Iの言葉自体は浸透したものの、ほかの業界と比較すると、なお格差があると感じる。コロナ前になるが、土木学会D&I委員会で育休取得率、女性管理職数・率等の指標を調査したところ、建設業界は、現場でのものづくりに関わるための条件等やむを得ない事情があるとはいえ、数値としては他業界に比べて低かった。

 また、建設業界の内でも、格差がみられる。これは大企業が進んでいて中小企業が進んでいない、というものでもない。例えば地方の中小企業では、深刻な人手不足から、女性、外国人に広く門戸を開き、手探りでその会社に合ったインクルージョンの工夫を進めている。一方、大企業は男性育休取得率向上等、指標の上では進んでいるようにみえるが、社員としては多様化を必ずしも実感できておらず、実態と数値にずれがあるともいえる。

●「土木D&I 2.0」の実現に向けて

 土木学会では2021年から「土木D&I 2.0」を掲げたプロジェクトに取り組み、D&Iについて「理解する」段階から「実践する」段階へ移行しようとしている。これまでに建設現場には女性用のトイレや着替えのブースを設置するといった職場環境の改善が進んできた。一方トンネル坑内に女性の技術者は入れても、女性の技能者は入ることができない、という制度の壁が依然としてある。これは危険な坑内労働から女性を守るための制度であったが、労働環境の改善や機械化によって今は肉体労働としての安全性は格段に高まっている。国際労働基準(国際労働機関:ILO)の関係もあり、制度変更の手続は容易ではないかもしれないが、依然として仕組みや制度が女性活躍の障壁になっているという現実もある。当事者間の意識や決定で環境を変えられる側面と、制度として取り組むべき側面とがある。

●人手不足対策という意識があるうちは、意義あるものにできない

 環境、制度どちらを考えるにしても、人手不足を補うために、これまで働いていなかった女性や外国人、高齢者を入れよう、そのためにD&Iが必要だ、という昨今よくみられる議論は、D&Iの本来の趣旨とは違う。女性活躍の議論においても、能力はあるのに活かせられなかった人材として女性を入れようという意味では良いけれども、足りない労働力を補うために様々なところから人を連れてくる、そういう考え方でD&Iを進めるというのには違和感を覚えるし、そもそも良い結果につながらない。

 個々人の性別、国籍、年齢等の属性に関わらず、一人ひとりが思い描く生き方を広げ、目標に向けて活動できること、活動を妨げるものを取り除くこと、そして目標を達成できるよう相互に支援することにこそ、D&Iの意義がある。こうした側面をより明確にして「DE&I(D&Iにエクイティ(Equity;公正性)を加える)」ともいう。

●属性の多様性ではなく、考え方・経験の多様性を増やすことが大事

 D&Iを推進する意義は、個々の人間が、日頃から多様な考え方に触れ、多様な経験をし、多様な立場を経験することにより、自分自身の幅が広がり、充実した人生を生きられるようになることにある。真に必要なのは、性別や年齢、国籍や宗教等の属性の多様性ではなく、考え方や経験の多様性である。ただ、考え方や経験のような内面のことは観察が難しいため、まずは外から観察可能な属性の多様性に配慮する必要がある。このことは、表層・深層のダイバーシティという言葉で説明されており、いきなり深層のダイバーシティを揃えるのは難しいから、まずは表層のダイバーシティを揃えていこう、そして最終的には一人ひとりの考え方、経験を活かすことこそが、創造的な仕事、社会には重要であるとされている注1

 その意味でも、クオータ制(性別、人種、宗教等を基準に、一定の比率で人数を割り当てる制度)のように一定程度、属性でとらえた多様性を確保する戦術も必要であると思う。仕組みとして「これをやる」と決めることで世の中が変わっていくこともある。今はD&Iに関する意識、理解、取組み、実践それぞれにおいて過渡期にあるのでたくさん議論し、やってみることが必要である。

●D&Iとイノベーションは密接不可分

 規格化されたものを分業で効率よくつくる仕事では人は均質な方がいい。しかし、多様な知恵・価値自体をつくる仕事では、それに携わる人自体も当然、多様でなくてはならない。現場の多様性と会社の業績の関係性について論じる研究もあり、世界中の業務データを長期的に見れば、多様な人がいる職場の方が生産性は伸びているとされている。

 さらに、AIやロボット、自動翻訳が日常的に使われるようになり、リモートワークやアプリによる働く形のマネジメントも普及してきた現在、D&Iとイノベーションは密接で不可分な関係にある。

(Ⅱ) 多様な価値観を受け入れるインクルーシブな社会に向けて

●大きな動きの中に、小さくユニークな動きを同時に認めること

 理想的な建設業界を言語化してほしいとのことだが、あえていうならば、「私にとって理想的」、「やりがいがある」と皆が思える職場、すなわち、一人ひとりの具体的な理想像は少しずつ違うが、それらをインクルーシブ(包摂)できる業界が理想的な業界なのではないかと思う。

 土木界では依然として国、地方公共団体が発注者で業務の実施方法を仕様書で詳細に規定している。仕様ではなく性能規定というやり方もあるが、どの程度使われているのだろう。いずれにしても、やりたいこと、やらねばならないこと、その解の形を当事者同士が議論して合意することが大事で、そのためには、各々が主体性を発揮し、自治することをもっと積極的に促していく必要がある。当然のことながら、つくるもの自体も、一律的になりがちな全国一斉方式ではなく、小規模分散型や多様な個別解を増やしていくことも重要である。

 その一方で、クオータ制、労働時間規制のように有無を言わさず一律に実施すると決めないと社会は動かない。こうした大きな動きの中に小さくてユニークな動きを同時に認めていく。国土交通省の施策でも、ミズベリング、ほこみち等、個別のユニークな解を探る動きがある。つまり、様々なことに対してアンビバレントに取り組まなければならない。

●社会全体で価値観の多様性を広げるには

 少し抽象的な話になるが、価値観の多様性を広げるには、一人ひとりが今いる立場、場所から離れ、異なる立場、場所に身を置いてみるのが一番いいのではないか。

 「一人D&I」で色んなことをやってみる。例えば、地域の活動に参加する、消防団に入る、地域のお祭りに参加する、家での役割を交代してみるなど。研究室OBで長い育休を取って積極的に地域の子育ての場に出て行った男性がいて、名簿には子どもと「お母さん」の名前を書くようになっているのを見て、パパは子育て世界ではマイノリティであることに気づいたという。こうした実体験から様々なことを考える視点を得ることができる。

(Ⅲ)豊かな暮らしと社会に向けた将来展望

●地域社会では、人それぞれの活躍の場があった

 D&Iによる豊かな暮らしと社会の実現に必要なことは、小さな単位のコミュニティ(地域社会だけでなく、職場や団体等)で、主体性を持って自ら生きる場の環境づくりに関与できる機会をつくることだと思う。一人ひとりが持つ能力、得意なことはそれぞれ異なる。ある時はAさん、ある時はBさんが活躍するというのが元々の地域社会だった。一人ひとりが活躍できる社会を実現するためには、かつて地域の中で面倒くさい人も受け入れながらやってきたような懐の深さが重要だと思う。

●いいデザイン・景観には多様な人の関わりが必要

 デザイン・景観は、関わる人が多様でないといいものにならない。多様な人が関わる地域のデザインは、その延長上に、今生きている人だけではなく未来の人や地球の裏側の人、人間以外の生き物が存在する。目の前に見えている多様なものの向こう側に、さらに多様なものとのつながりがある。そういう想像力を持てる仕事を心がけてやっていきたい。そこで生まれるものは、きっといいものになるし、持続可能なものになると考えている。

●一人ひとりが力を発揮して楽しく生きていくという意味での持続可能

 私が長年研究で関わっている地方のまちでも、人口減少がすべて問題の根底にある。しかし、人口をかつてのように増やすのは無理である。人の数に依存した持続可能性ではなく、一人ひとりが力を無理なく発揮して楽しく生きていくという意味での持続可能性を目指していきたい。その際に、デザインや景観、まちづくりというのは力を持てると思う。現場でものをつくる時、色んな人が関わることが、ソーシャルキャピタルを育むことになる。私が専門とするデザインや景観も単に色形のことと狭くとらえられているが、それは、女性を入れることがD&Iだと思われているのと共通する。どちらも、多くの人がそうではないということに気づき、自分に関わりのある問題なのだと主体的になることができるよう、様々な活動をしていきたい。

  1. 注1 谷口真美「ダイバシティ・マネジメントー多様性をいかす組織」白桃書房2005
  2. 注10 本白書掲載のインタビューは、2024年2月~3月に国土交通省が実施した取材によるものであり、記載内容は取材当時のインタビューに基づくものである。