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オピニオン
2004年11月19日
 
第4回 「次世代の国土や都市の装置を考える懇談会」議事要旨
 

1.清水委員プレゼンテーション

(1)地域の原地形の重要性
  • 今後は特に遠景の眺望場の創出と保全を重要視していかなくてはならない。
  • 都市、あるいは地域は競争の時代であると言われるが、都市の根源的な個性は何かというと大自然がつくり出した地形であり、この地形がつくる景観である。
  • 東京の原風景は江戸時代ぐらいまではある程度かいま見ることができる。江戸の景観要素として富士山は決定的に重要な要素であったし、娯楽の場から見た江戸湾の風景も重要な遠景の要素であった。
  • 東京はアップダウンが大変激しいところで、都市計画にとってある種バリアでもあったが、都市そのものに対してはアクセントを与えるよい景観要素であった。

(2)CG技術で復元した江戸の景観

  • 1843年の天保図をもとに、CGの技術を使い江戸の景観を再現した。
  • 財務省と外務省の間の通りは、明治の中ごろまでは潮見坂と呼んでいた。ここから江戸湾が見えた。
  • 愛宕山は標高25.7メートルの山で、かなり高い山で、当時は浜離宮越しに江戸湾を眺望する景色が開けていた。
  • 日本橋から見る富士山は、広重が描いているとおりだった。
  • インターネットを使って当時の景観をかいま見れる装置や、ほんとうの原風景を知ることができる視点場あるいは眺望場を作っていくことが必要ではないか。

(3)江戸から見た富士山

  • 江戸時代の絵図から、大名屋敷、旗本組屋敷、寺社、町人地などの情報が読み取れる。またいろいろな文献を調べて、どういう土地利用であればどのぐらいの建物の高さであったかデータを作る。それと標高をダブらせると、江戸のサーフェスがどうであったかわかる。富士山の見え方は、現在の標高モデルを使ってある程度計算することができる。
  • 七合目が見えたことをもって富士山が見えたとして整理すると、いわゆる名所と言われたところ以外からも富士山というのはかなり見えていた。
  • 京橋から日本橋、駿河町は文献でわかっている富士山の見えたところだが、それ以外でも、火よけ地としてつくった広小路とか、堀沿いとかから富士山が見えた。また、船の上からでも、水面からでも富士山が見える場というのがかなりあった。
  • 番町のあたりは、富士山の山あてをしてつくった街路ではないかと言われている。青山通りは、富士山が正面に来る。
  • 江戸においてはほんとうの生活景観の中に富士山があった。

(4)江戸の景観の眺望場

  • ホテルオークラの裏側の江戸見坂は、江戸の市中が見渡せたからそういう名前がついた。この坂を登ると、浅草寺のあたり、神田、日本橋、現在の丸の内のあたりまでずっと見えた。このように江戸にはかなり眺望場があった。
  • 江戸湾は見える場所は少なく、むしろ後背の大地のほうから江戸湾が見えていた。

(5)眺望の保全

  • 文京区役所の25階展望台からは新宿のビルのスカイラインがたまたまくぼんでいるところに富士山が見える。もし都庁がここにあったとしたら、もう富士山が見えなくなってしまう。
  • 東京23区の各区から最低1点、眺望を保護していくことを考えられないか。江戸川区や江東区には、必ず富士山がきれいに見える場所というのがある。ビルが1個建ってしまうとそれがつぶれてしまうという状況だが、何とか眺望を保全するすべはないだろうか。
  • 最近、景観とか地域の様子について、インターネットで市民が情報が手に入れられる環境が整いつつある。これは、国土、地域の歴史的変遷を知り、特色ある地域のあり方を考察できる環境を整備していくことであり、大賛成だ。
以上
 



2.進士委員プレゼンテーション


(1)東京における眺望の問題

  • 景観は、見る場所と見られるものとの関係性だ。これを都市計画でコントロールするのは一番難しい。
  • 見る対象は富士山だけではない。江戸の場合は、逆側に筑波山を必ず入れた。
  • 国会議事堂は、国権の最高機関にしては随分環境が貧しい。国会議事堂が埋もれていいのだろうか。
  • 眺望は、都民みんなが共有でき、共通認識している財産だという認識がなくなった。東京人は富士山を捨ててきた。そこが問題だ。
  • 借景の技法は日本にとって非常にいい手法だ。こういうコンセプトが日本人に知恵としてあったのに、現代の都市はほとんどそれを使っていない。今は敷地でものを考え、眺望は切っても平気となってしまった。

(2)ランドスケープとインフラ

  • 地形そのもの、植生そのもの、水系そのものが最も基本的なインフラである。
  • 大地を基盤にしたスケープをランドスケープと言う。したがって、ランドスケープそのものがまず一番大事なインフラだ。
  • 国土がまずベースであり、その上に乗っているものとして植生がある。その中でよりいいものは緑地だ。緑地には、公共緑地と民間の持っているものの2通りある。
  • ランドは大地とか自然ということ。スケープは端から端で全体、総合ということ。戦後の日本の国土開発、都市開発は、この両方に配慮が欠けていた。
  • これまでの計画というのは、単体である建築をやるときに、向こう三軒両隣は考えないということだった。そういう意味で、この家並み、町並みという言葉の「並み」ということの大切さがある。
  • 近景、中景、遠景と、風景は3つ重なってできている。そこの配慮がなかったが、そういう重ね方、立体が大事だ。
  • 地域らしさ、リージョナリティとかローカリティが大事だ。景観においてもダイバーシティは大変大事で、日本全体の都市に個性を与えていかなければいけないというのが21世紀の大きな課題であり、最も有力な道具が緑である。

(3)都市において必要なネットワーク

  • 都市にあってはオープンスペースネットワークが必要。地の部分がずっと続いているというのがネットワークされていないといけない。防災緑地の概念はこれに近い。
  • エコロジーネットワークが必要。水が流れ、空気が流れ、太陽が当たり、そして動物、植物が循環できる空間つまり、自然面がネットワークされていないといけない。
  • コミュニケーションネットワーク、すなわち、緑とのコミュニケーションが必要。ベランダ園芸から始まって、ガーデニング、あるいは並木、校庭、市民農園、里山、自然体験などがシステム化されているのが本来の都市のあり方である。

(4)景観から風土へ

  • これから都市をどういうふうに作るかというと、視点場の設定をきちんとやる、あるいは視対象になるものをきちんと選んで、それを構造的に組み立てるということが必要である。
  • ストラクチャーとしてのオープンスペースとサービスとしてのオープンスペースを構造として作っておく。
  • これは地方都市では可能である。例えば、何とか平とか、何とか盆地というのは、全部周りが山で包まれているから、ストラクチャーとしてのオープンスぺースができていて、そこへの眺望をとるように市街地をコントロールすればよい。
  • 景観に時間概念を入れて、風景、風土を考えなければいけない。景観十年、風景百年、風土千年という言葉どおりだ。

(5)都市と農業

  • 古代ローマの都市住宅の例では、どんな都市住宅でも菜園つき住宅であった。人間が生きるためには菜園つき住宅が根本であり、都市にも緑地や農地が必ず必要だった。
  • 従来、農は産業としてのみ考えられてきて、環境として、空間としての農地、人的資源としての農民、あるいは文化伝承装置としての農家、ランドスケープとしての農村という観点がすっかり抜けていた。
  • 国民の生活行為にあっては、農とのかかわり方として、学農、遊農などの多様なアクティビティを保証するということが必要だ。これが健全な国民をつくるはずだ。
以上
 


3. フリーディスカッション


(1)視点場を選ぶこととその意味

  • 原景観という言葉にこだわるのは、その地域が守るべき本質的なものが見えてくると考えるからだ。23区各々で、ここの眺望だけは守りたいというのがあると思う。それを守るための合意形成手法を考える必要がある。
  • 地方都市では、なぜ昭和30年代に天守閣の復元をやったかというと、一つは観光のためだ。日本人の心情の中に、地域のランドマーク、市民統合のシンボルとしては天守閣のイメージがある。
  • 例えば、筑波研究学園都市は本来、筑波山に正面性を持たせる道路計画をすべきだったと思う。筑波山がある方向と違う方向に道路が走っている。
  • どこの地方に行っても中心部には城周りには東山公園とか西山公園といわれるのがあり、それは全部花見の場所だ。沢田允茂さんが『認識の風景』の中で、自分の町をふるさとだと感じるためには、町を見る場所がなければいけない、人間というのは見えないものを認識しろと言っても相当無理があると言っている。認識するには見えなければいけない。これが景観ということの意味だ。

(2)軽視される眺望

  • 東京都の建築紛争事例を分析すると、周囲の地域の平均建築高の1.5倍になると、とたんに建築紛争が多くなる。市民は高さに敏感だ。反対なのは、事業者と役所で、容積をどんどん与えて、ボーナス与えては環境整備をしようとする。
  • 東京都の向島の百花園は、江戸時代の半ば以降の庶民がつくった庭園で、あそこでは、月見の会をやっている。ちょうど月が上がるところにマンションが建ち、見えなくなったので、買い取らせて公園にした。そういう運動もある。今の市民は敏感だ。
  • 本格的なコントロールをやるだけの高さ制限とか、ある方向だけ視野を確保しろというのは、東京ではかなり難しい。
  • 景観の重要性は理解されているのに、結果的に悪くなる例は多い。例えば東大の大講堂の背景にビルが建った。建ってから「あれは何だ」ということになる。
  • 建築家だけでなく多方面の専門家が入って、そこで議論してから決めないとよいものにならない。実際には全体の基本計画は、建築家的な専門家を入れないで作ってしまう。
  • 総合設計の運用ももう少し柔軟に行政と一緒に議論して、この場所だからこういうオプションもあるんじゃないかという議論まで行くとよい。

(3)眺望や景観を守っていく方法

  • 今問題になっているのは、ゾーニングのいいかげんさが非常に環境を壊していることだ。ゾーニングをもっと明確にすべきだ。
  • 眺望が財の価格に反映させることが大きな課題だ。
  • 価値が上がらない理由は、今の環境を全体として安定状態で継続するようになってなく、頻繁に容積の緩和をするからだ。
  • 多摩ニュータウンでは、最後の開発エリアは成長し付加価値が上がる可能性がある。ただ、そうした場合容積を上げてしまうだろう。そこが問題だ。
  • いい状態を維持する仕掛けを作らないとだめだ。全体の環境として保全しなければ財産価値も落ちるから何とかしなきゃという合意が必要だ。

(4)地方都市の可能性

  • 地方と大都市の都市計画や建築の制度の二元化が要るかもしれない。
  • 建ぺい率、容積率、用途地域を一律に、決めて、同じのを当てはめているが、適当ではない。

(5)景観権、眺望権

  • 最近、景観権とか眺望権とかは、言葉として普及してきたが法律的には何もない。だから、結局、財産権として眺望権なり景観権がどう位置づけられるのかという議論がないから紛争の場合、裁判官の解釈で決まってしまう。
  • 自分の土地で何ができるかはわかるけれども、何が守られているかわからない。それは一番大きな欠点だ。
  • 徳川家康の廟のある岡崎の町では、景観を壊すようなことは、ただちにそれはおかしいという民民規制がある。 そういう罰が当たるという感覚が市民みんなが共有するようなコミュニティは景観が保たれる。

(6)機能しないマスタープラン

  • マスタープランにはある思想を持っていないと、都市全体から見て妥当かどうか判断できない。日本は、マスタープランの体系と、用途地域などの体系にギャップがある。だから、そのリンクをつけないとほんとうに実のあるものをつくろうというインセンティブがないような状況になる。
  • 経済が成長しているときには比較的みんな明るい気持ちでつくれるから、シティプランニングやマスタープランは、合意形成も容易だ。だが、これからは、人口が減る、経済も落ち込んでいく可能性があるし、財政的な保証もない。その中で、責任を持って遂行できるものがなかなか作りにくい。

(7)ニュータウンの今後

  • 初期に開発したエリアはほとんどゴーストタウン化し、住民は高齢者になっている。車いすを持って上がれる階段幅がない。おぶって3階とか4階からおろす必要がある。ケアの大変なお年寄りは、1階の空き部屋に移してもらうがその手続きが大変だ。しかもやっと1階に移しても、5段ぐらいの階段がある。昭和30年代に建てたのは全部壊すべきだ。
  • 作り直すことで、世代や機能や状況に応じた住みたい街のモデルができると思う。多摩ニュータウンは一番いい例になると思う。

(8)今後の展望

  • 厚生労働省の管轄ですが、地域福祉計画の中に、川とか道路ということも観点に入れた地域福祉計画をつくるべきだ。
  • 人口が減少する中で、都市のプランをつくったときに、スクラップアンドビルドすることに対しても予算措置が必要だ。
  • 問題を先取りし、日本国家の将来のためのプロジェクト研究が必要だ。特定地域で実験都市を決め、社会資本整備の22世紀プロジェクトを考え、現状の問題解決と、新しい時代の環境整備とか、社会資本整備のシステム研究のモデル事業をやる必要がある。
以上
 
「次世代の国土や都市の装置を考える懇談会」について




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