(c)要員合理化の遅れと生産性の低迷


 国鉄の職員数は、復員者を多数受け入れた20年代前半には、一時61万人強に達したが、24年の発足時には約49万人となっていた。しかし、その後要員の合理化が進まず、55年までは40万人台で推移した〔1−1−9図〕

 

 また、前述したような輸送需要の動向に的確に対応した輸送力の見直しについても、必ずしも十分に行われなかった。
 この結果、国鉄の生産性(職員1人当たりの人キロ・トンキロ)は伸び悩み、40年代から50年代にかけて、民鉄のおおむね1/2〜1/3程度で推移した〔1−1−10図〕

 

 一方、収入に対する人件費の割合も、41年から50年にかけての急激な上昇の後、50年代には概ね8割台と高い水準で推移した〔1−1−11図〕