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基調講演1 講師:堺屋 太一氏

堺屋 太一氏の写真作家

当日配布資料

  • 時代は変わった。知価社会に対応するためには、首都機能の移転が必要である。
  • 首都機能の移転は、多様な文化を生み育て、未来技術を集積する。
  • 首都機能移転は、最も安くできる日本改革である。ローコスト政府の必須条件だ。

4つの提言

  • 全国民的議論を呼ぶ、タウンミーティングと累積式世論調査の実施
  • 複数案(東京を含めて3都制)の検討
  • PFI方式の導入による国費の大幅引下げ国費総額2兆円限度制によるコンペも一案
  • 国際的な知恵と技術の導入現行法にとらわれない提案を検討する。

皆さんこんにちは。ご紹介いただきました堺屋太一でございます。

このシンポジウムの開会に当たって、基調講演をさせていただくわけですが、今、日本の国政の中で何が重要だといっても、子々孫々にわたる問題として、首都機能移転ほど重要な問題はありません。ところが、非常に知られていない。特に、西日本へ行きますと、ほとんどどなたもご存知ない。公職にある方すらご存知ないという状態でございますので、是非、今日のシンポジウムに参加された方々からは、賛否はともかくとして、国会等の移転、首都機能の移転というのが今、日本の非常に重要な課題であり、かつ現実的な問題だということを大勢の人にお伝えいただきたいと思っています。

時代は変わった。今、世界は近代工業社会から多様な知恵の時代に変わった。これは産業革命以来、200年目の大きな変革であり、日本で申しますと、明治維新以来の大変革に遭遇するときでございますから、このときにはやはり首都機能を移転しなければ、日本の改革は成り立たないと信じております。

と言いますのは、日本の歴史を見ると、すべての時代が首都機能の所在地で語られています。飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして今、東京時代であります。すべての時代が首都機能の場所で呼ばれている。ということは、首都機能が移転すると時代は必ず変わる。逆に、首都機能が移転しない限り時代は変わらなかったということを示しています。

では、江戸から東京へ首都機能が移転しないのに時代が変わったではないかとおっしゃる方もおられるのですが、これは歴史を正確に言いますと、1863年、文久3年に14代将軍家茂と後に15代将軍になります徳川慶喜、後見役の慶喜が京都へ行きます。このときから時代が変わるんです。あの黒船があらわれてから明治維新までは15年ありますけれども、その間、ほとんど世の中は変わりません。始めの10年間は全く変わらない。ところが、この文久3年に将軍と後見役が京都へ行き、老中も大半京都へ行き、そして諸名、松平春嶽であるとか山内容堂であるとかというような人々もことごとく京都へ集まります。だから、幕末の話というのはほとんど新選組にしても何にしても京都で行われる。つまり、首都機能がこの瞬間に完全に京都へ移ったんです。そして、その京都で5年間、明治維新まで5年間様々な改革が行われて、そして改めて明治維新制度というものが京都で成立して、そして首都でなかった江戸に首都機能が来るんですね。この5年間がなかったら全く改革は進まなかったでしょう。

同じようなことは、例えば平安時代は398年も続きました。空海の時代と平清盛の時代は相当に違う。政治勢力も全く変わっています。それでも世の中は全く変わっていないですね。平安時代というのはやはり一色の時代。それが鎌倉に首都機能が移った。朝廷は京都におられ、文化、経済の中心はあったんですけれども、首都機能が変わった。途端に宗教から家のつくりまで変わった。新しい武士の時代になりました。

同じように、鎌倉時代が衰える、そしていろいろと混乱が起こりますが、やはり足利幕府が室町に行って初めて時代が変わった。その足利幕府も大混乱に陥り、末期になりますと何回も将軍が滋賀県の方に逃げるというような形になり、そして四国の方から三好が入ってくるともう政治勢力は完全に変わる。けれども、首都機能が室町、京都にある限り時代は動かなかった。時代は全く変わりません。

それを織田信長があらわれて、信長は京都を占領いたしますけれども、そのことに気がついたから滋賀県の安土に首都機能を置いて、京都に入らなかった。京都には屋敷も城もつくらなかった。だから本能寺で急死をされてしまうのですが。それで世の中はがらりと楽市楽座に変わる。それがまた安土桃山と続いて、徳川幕府が江戸に定めて世の中が変わる。

日本の歴史を見ると、首都機能を移転しないで世の中を変えるのに成功したというのはめったにありません。今、私たちはもう年がら年中改革改革とこの10年間言い続けてまいりました。大変乱暴なこともやってみました。けれども、一向によくならない。あんなに高度成長でよくなった、近代工業社会では日本は最高に成功した。それが、その後は新しい知恵の時代に追いつかないでどんどん衰退してまいりました。経済だけではありません。日本の社会全部がこの10年間、余りいいことはありません。犯罪率はものすごく増えた。犯罪発生件数はものすごく増えた。そして、容疑者検挙率はものすごく落ちた。学校は、日本の小中学校は世界一秩序がいいと言われたのに学級崩壊が一般的だと。学力はがた落ちになった。円周率は3しか教えられないようになった。街は汚くなった。災害は多くなった。あらゆる面でこうなってきたのは、日本の仕組み、近代工業社会のためにつくられた日本の仕組みが、この新しい知恵の時代に合っていないだろう。そして、その大きな原因はこの首都東京に大きな官僚機構をつくって、その官僚指導のもとにすべてを行う。この近代工業社会に向いたシステムがあるからです。

それを何とか変えなければいかんと歴代内閣、官僚の方々自身も含めて努力してきましたけれども、何も変わらない。小手先の変化にすぎない。すぐもとへ戻ってしまう。これはやはり首都機能を変えて、官僚の方々、政府というものがこういう大都会のど真ん中の一極集中の中心にいるのではなくして、この東京を本当に国際的な経済、文化の民間のまちにして、そして官僚の組織、政府というものは少し距離を置いてみるようにしなければいけない。そう考えています。それ以外にこれは成功する方法はないのではないか。

この5年間、1997年からの5年間、東京一極集中は物すごい勢いで進みました。かつてないほどすごい勢いです。特にIT産業に関していえば、東京一極集中はすさまじいものがあります。これまでのいかなる産業よりもすさまじく集中しました。

5年前に、北海道や福岡や大阪でITを始められた方、私たちが若手として注目した人が、今ほとんど東京に一極集中している。それも東京の中の極めて狭い地域、港区、渋谷区の狭い地域に集中している。こういう状態では、多様な文化ができない。日本の文化がどんどん一色になっていく。世界から見放されていきました。

この10年間に日本はアジアの中の片隅になった。1990年には、例えば金融市場で言いますと大阪の先物取引は世界一でありました。それが今はシカゴに比べて約10分の1、ドイツに比べても4分の1になった。どんどんとアジアの市場にも追い抜かれました。東京の証券取引所、現物取引所に127も外国株式が取り引きされていたのに、今は39になりました。そして、取引総額で台湾取引所とほとんど一緒になりました。昔は東京が何十倍もあったのが、いまやもう台湾とほとんど一緒になりました。飛行機の来る量も日本がどんどん減りました。コンテナヤードも1990年には神戸が最大、横浜が世界2位でありましたが、今や日本の神戸、横浜、東京、3大港を合わせても香港の半分に及ばない、それぐらい田舎になった。大きな船は香港か高雄か釜山に入って、そこから小分けしてローカル線で日本に来るという状態になりました。これは、ことごとく日本の文化が官僚統制のもとに一色だからです。首都機能を移転することによって、多様な文化を育てなければいけない、新しい未来技術を育てなければいけない、これは今、英断を下すべきところだと思います。

もう一つ、首都機能の移転につきまして大きな誤解があります。それは、首都機能の移転などというとまた国費が必要となって、土木工事が盛んになるということです。これは公正に計算いたしますと、首都機能の移転ほど安くつくものはありません。最近、ドイツが2000年に首都機能を移転いたしました。このときも首都機能はボンに置いておくべきか、ベルリンに移転すべきか議論になりました。ベルリンというのは非常な過疎大都市なんです。大体、人口800万人ぐらいの都市計画でつくったところに300万人しか住んでいない。だから中心部はがらんがらんで、無人地帯が広がっている。そういうところへ移すべきか、それとも戦後50年首都であったライン川のほとりに置いておくべきか、こういう議論があった。このとき、やはり首都機能移転に反対した、ボンに置いておこうという人たちは、高くつくということを言っていたんです。ところが、正確に計算すると200億マルク、大体1兆数千億円でできるというので、実際に移転してみるとそれをかなり下回る金額でした。予定よりずっと安くできました。

私は、日本の首都機能移転をいたしますと、あらゆる意味で最も安くつく日本の再生計画だろうと思います。今、国土交通省では国費4兆円という計算をしておられますが、これは相当過大な計算で、それよりもずっと安くなるだろうと考えています。そしてそのことによって、東京は本当の世界都市になる。世界中から金融や貿易や文化や学術の集まる都市になるだろうと思います。現在のように、12年間で世界中の完全な片隅になってしまった、こういう状態はなくなるのではないでしょうか。今、バブルがはじけて地価が下がったから東京でいいではないかという人がおりますけれども、そうは言っても、今の東京の土地の価格は世界で最も高いし、あらゆる施設は非常に高価であります。地下鉄にしても高速道路にしても電力にしても飛行場の着陸料にいたしましても、東京は極めて高価であります。こういう高コスト社会を低廉にする。そして、日本が世界の文化と経済、学術の中心になっていく。そのためには、首都機能移転は不可欠だと思います。

もちろん、災害等のことを言えば、今、東京で災害が起こればどれほど悲惨なことになるか。これは私が繰り返して言うまでもありません。大体、地震、その他の災害は、1次災害は都市の規模に比例いたします。ぐらぐらといってどしんと落ちたときの被害は、都市の規模に比例します。2次災害、それによって火災が起こったり、薬品が流れ出したりする被害は大体都市の規模に2乗します。そして3次被害、ライフラインの断絶によって起こる被害は、その都市の規模の3乗に比例します。そして第4次被害、これが最大の問題なんですが、一つの地域が崩壊したために、全国、全世界に及ぼす影響、これは都市の規模の4乗に比例する。仮に神戸に比べて東京が10倍だといたしますと、4次被害は1万倍になる。これは、さまざま具体的なことを言うと危険なことがたくさんあります。防ぎようのない規模による防ぎようのない危険があります。そういうことも東京の人々に安心してもらうためにも、政府機構が東京以外にあって、一緒に被害に遭わないところにあって、救済できるということも重要な問題です。

また、移転した後のコストが安くつくというのも非常に重要な問題です。今、ヨーロッパでEUの統合が進んでいます。その結果、ヨーロッパの通貨も統合され、政治も統合されました。かくしてヨーロッパ、EUの首都はベルギーのブラッセルという、中堅の都市になりました。人口100万少々の都市になりました。したがって、ロンドンもパリもベルリンもローマも、ローカル政府の都市になりました。大きな国で、いわゆる人口1億もある先進国で、首都機能が経済、文化の中心地と一緒になっているのは、もはやロシアと日本だけになるのですね。インドネシアなどの国がちょっとありますけれども、ほとんどなくなります。日本もやはりそういう知価社会において官僚機構から独立したグローバル世界の時代に対応する必要があると思います。

ここで私は皆さん方に討論をしていただくために4つの提案をしたいと思います。第1は、国民世論を呼び起こして、本当に全国民的な議論の末に、この問題に回答しなければいけないということです。残念ながら1990年前後、90年から95年ぐらいには、首都機能移転の話というのは少し盛り上がっておりましたが、今はほとんど知られていません。これはまた私もいろいろな地方に行きましてお話しいたしますが、関係のある地方、3ないし4県を除きましては、ほとんど知られていない。行政の長、市長とか議会の議長も含めて、あるいはマスコミ、新聞、テレビのニュース解説、ニュース番組の人も含めて、首都機能の移転が間もなく決まるということは、私は何十人、100人以上に聞きましたけれども、知っていた人は1人か2人しかいません。これほど大問題、子々孫々にわたる日本のかたちを決める大問題が、このように知られていない状態で決めていいものかどうか。これが一つの問題でございますので、私はこれから国土交通省にも、また各民間のマスコミの方にもお願いをして、是非タウンミーティング、あるいはこの累積型世論調査、いわゆるデルファイ法というものですね、こういうものをどんどんと繰り返して、本当に国民が決まった後で知らなんだよおれは、知らなんだよ私はと言われないように、国民的議論を是非展開したいと思っています。

皆さん方はよくご存じですが、全国民にどれほど知られていないかということを皆さん方にも率直にやはり考えていただきたいと思っています。この問題は、政府のやりますこと、あるいは企業、組織のやりますことにつきまとうことで、関係者は知りに知っている、資料だけでも何遍も送ってくる。けれども、知らない人は全く知らないというのが今の世の中。やはりマスコミ、テレビや新聞を通じて、何度も議論をし、そして各人に参加意識を持たせるための世論調査を何度も何度も繰り返す。これはもちろん全員にはききませんけれども、それをある段階で行ってこういう答えが出た。こういう条件ならこういう答えが出た。では、こういうふうにしたらどうなのか、こういうような意見は少数で落とすというような仕掛けのタウンミーティングと世論調査を繰り返す必要があろうかと思っています。

第2番目には、審議会等でいろいろと議論をされ、私もこの審議会には参加しておりましたが、その中で首都機能の移転先は単数だということになりました。本当にそうなのかどうか。これはもう一度やはりよく研究する必要があると思うんです。国会、行政機構を中心としたところと、最高裁判所、権利関係のものを中心として、こういうものを二分する方法があるのか。当然、東京には日本銀行など首都機能に当たるものがかなり残るでしょう。そういったことを勘案して、どういうような分担をするのがいいのか、もう一度考えてみる必要があるのではないか。皆さん方から、全国民から様々な意見を聞きたいと思います。

現在、首都機能は世界中で分散傾向になってまいりました。イギリスなどは環境庁がブリストルにあるとか、もうほとんど半分近くがロンドンにございません。非常に遠いところにあります。フランスも相当分散しました。ドイツはベルリンに移りましたけれども、ボンには国防省や社会福祉庁、また中央銀行はフランクフルトにある。最高裁判所はカールスルーエにあります。そういう形の国々が増えてきたときに日本はどうあるべきか。やはりこの10年間、審議会が結論を出してからの世界の変化、文化、経済の変化というものも考慮する必要があるのではないかと。今まさに知価革命が進行しているから、特にそういうことも考慮すべきではないかと思っています。

3番目の問題。これは、ぜひ実現したいと思うのは、PFIという方式があります。これらは民間の活力を利用しまして、これに公共施設をつくってもらって、その機能だけを政府が買い取る、自治体が買い取るという方式ですから、これをやりますと非常に合理的で、安価に首都機能移転ができると思います。そういったことを利用して、国費の負担を大幅に下げることができるでしょう。東京を改善するという案はたくさん出ますけれども、これは大変高くかつ長くかかります。一番東京改良案を安くやれるといっておられる方でも数十兆円、70兆円案あたりが一番安いと。それに比べて首都機能の移転は2兆ぐらい。1年間の公共事業費の約2%ずつ10年間ぐらい。非常にわずかな金額でできますが、それをさらにPFIを利用することによって、例えば国費総額、国費の出す総額は2兆円に限ってしまう。その範囲の中でできる案を出してほしいという。これを内外の知恵を絞ってできないだろうかと。私は、それぐらいなら十分にできると思っています。できるところ、できるやり方を採用すればいいのではないかと思っています。これは諸外国でもいろいろPFIの例が出ておりますし、日本でも3年前にPFI法というのを完成させまして、成立させまして、できることになりました。民間に例えば公務員宿舎などを建てていただいて、それを政府が家賃で借りるという仕掛けですね。そういたしますと、中へ入られる人の家賃と相殺になりますから、非常にコストは安い。恐らく2兆円ぐらい国費を出せば、きれいな立派な国土が、首都機能ができるのではないかと思いますが。そういったこともあわせて考えていくべきではないかと思っています。

そして、4番目には国際的な知恵と技術を導入すべきだということです。つまり、これからつくる新しい首都機能の所在地には、現在の建築基準法とかさまざまな土地規制法、そういったものを持ち込まないで白紙にいたしまして、そして考えるべきではないかと。この世界中の知恵をこのために持ち込んでくる。それは建築技術、土木技術というハードな面でも、また法律、統制、行政、あるいは地域コミュニティの形成というソフトの面でも、硬軟両面の世界の知恵を持ってくる。そのことによって、日本がこれからつくるこの21世紀に極めて重要になるであろう都市技術の最先端国、最も知恵の集積した場所になることができるでしょう。

20世紀は残念ながら軍事技術が世界をリードした時代でありました。だから、軍事技術によって優れている国が同盟の中心になり、世界をリードし、国連も安全保障理事会という軍事関係の理事会が中心になっています。

ところが、これからは環境と都市の問題、これが世界人類の最も重要な技術になるのではないでしょうか。そういうときに、日本のように経済的にも技術的にも先端を行く国が新しい首都機能をつくるとなれば、世界中から惜しみない知恵と技術が出てまいります。これを現行の日本的なこの東京や大阪の過密なまちに使われた法令ではなくして、全く新しい時代にふさわしいものをつくっていくべきではないか。その意味で、世界の知恵を集める方法を考えるべきだろうと思っています。

今、日本はどちらかといえば土地余りの時代のようです。今後、人口が減って土地が余る。したがって、人間が最も適切に配分できる時代がやってまいりました。こういう時代にこそ、私たちは新しい日本のかたち、これをつくり出していかなければいけない。それこそ、私たちの大事業、平城京、平安京につづく平成京の形成であろうと考えています。ぜひ、皆様方の心からのご理解とご討論をお願いしたいと思っています。

そして、この会が全国に広がるように、全国民が興味を持つようになることをお願いしたいと思っています。

以上の提案をもって私の基調講演とさせていただきます。どうもありがとうございました。

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