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基調講演2 講師:粕谷 一希氏

粕谷 一希氏の写真都市出版(株)代表取締役社長

どうも、堺屋さんと対論といいますか、賛否を論ずるのは今日で2回目でございまして、数年前に朝日新聞でやった記憶がございます。

ちょっと本論に入る前に、堺屋さんとの因縁を申しますと、1977年中央公論社で「経営問題」という雑誌が出ておりまして、後に「ウィル」という雑誌になったのでございますけれども、そこでまだ通産省におられた堺屋さんに、私は編集者として原稿を依頼に行ったわけですね。そのときのテーマが「大国日本衰亡論」という、それがもう25年以上ですか、四半世紀過ぎておりますけれども、今まさにこの10年の失われた日本というものの様子を見ていますと、まさに大国日本が衰亡していくのかと思わざるを得ないぐらい様々なところで日本が破綻を吹き出している。非常に感無量なものがあります。

堺屋さんもおっしゃいましたけれども、私も今の日本がある種の危機にあって、急速に大きな変化をこれから経験するだろうという予感を持っております。

それは、先程幕末のお話を堺屋さんがいたしましたけれども、ペリーが来航してから実は15年、黒船が来航してから15年で明治維新になるわけですね。

それからもう一つ、堺屋さんおっしゃいませんでしたけれども、これからの日本を考える上において非常に僕は大事だと思うのは、明治維新の結果できた近代日本、明治日本というもの、それはやがて帝国になりまして、大日本帝国と称したわけでございますが、この帝国日本が満州事変を昭和6年に始めるわけで、その昭和6年に今と同じような閉塞感があって、満州で満州事変が始まったときに、日本の大多数の人間はまさかこれでもって帝国日本が滅びるとはほとんど1人も考えていなかったのではないかと思います。だけれども、昭和6年に満州事変が始まってから昭和20年の敗戦に至るまで、わずか15年なんですね。日本という国は、一旦解体し始めると非常に早い速度で国が変わっていく。どうも今回の日本のいろいろな意味での様々な社会の破綻、国家の体制の破綻というものは、どうもそういうものを、それと同じような変化を予感させる気がいたします。

ですから、基本認識においては堺屋さんと私は同じであります。そしてまた、堺屋さんはずっと知価革命ということをおっしゃっていますが、その点も私は賛成であります。東京への一極集中の是正ということに関しても、私は実は賛成なんです。一極集中というのはやはりよくない。これからは多様な文化をそれぞれの地域に花咲かせなければいけない。その意味では全く違う発想に立たなければいけないというふうに私も思っております。ただ、首都機能移転という言葉がどうも私にはひっかかるのです。一国の政治というものがそういうふうに機能を幾つにも分解できるものなのかということがどうもよくわからない。

政治というものについて、堺屋さんは堺屋さんとして、官僚としてご経験がいろいろあると思いますが、私も雑誌ジャーナリストとしてずっと政治の問題を考え、かつ身近に見てまいりました。近代の政治、近代主権国家の政治というのは、ある意味では祭政一致という古来からの伝統、それを区別しまして、祭政一致のお祭りごとの方をとってしまいまして、政治だけを、それこそ機能分解した考え方の上に立っております。ただ、私はこれからの21世紀の社会というのは、一見未来社会ということを言うと、非常に何もかもが金ぴかの新しい社会なり都市のように思われがちですが、どうも私にはそうは思われない。恐らくこれからの21世紀というのは、やはり宗教というものを抜きにしては考えられないだろうという気がしております。

それで、それはまた言ってみれば祭政、お祭りごとと政治ということ、言葉を変えれば権威と権力ということでありますが、やはり本来の政としての国民が安心して生活をエンジョイできる、楽しめる、そのための政治というのは、実は本当は権威と権力、お祭りと政治というものがもう一度幸福な結婚をしないといい政治はできないだろうというのが感想であります。

そしてまた、国会というものを新しい都市に一種の政治都市としてつくろうということがどうも今回の審議会、その他での議論の中心のようでございますが、新しい首都の候補地として挙げられているのは全部全く今何もない、原野に近いような田舎、山奥の原野であります。ですから、私はそういうところに首都をつくるということが、果たして今の日本に許されるのかどうか、そしてまた、それが本来の人間性に合っているのかどうかということに疑問がある。

やはり、国会というのは国権の最高機関であると言われます。ですから、立法、行政、司法のうちの立法機関ですよね、国会というのは。そういう一番大事なものはやはり国の中心になければならないだろう。もし、そういう山奥の原野のようなところに新しい首都をつくろうとすれば、その都市が機能するためには30年、一世代ですね、ないしは60年の時間がかかるだろう。ただ、今の日本にはそういうそれだけの余裕はない。私の観測では、そういうところへ国会が行けば、政治家たちは今よりもっと悪くなると思うんですね。今の国会の議員たちがいろいろ悪いこともやっていますけれども、非常によく勉強もされております。やはりいろいろなお金が要りますから、お金が要るというのは全く自分の懐を温めているわけではなくて、政治活動をするために非常にお金がかかるんですね。それはよくよく見ると、そのお金は言ってみれば選挙民が要求しているお金だという場合が多いんです。全く個人的な懐へ入れるような金をためているという政治家はほとんど、もちろん例外はありますよ、例外はありますけれども、そういう方ばかりではないということを僕は信じておりますが。

ただ、やはり日本の古典に口さがない京雀という言葉がよく出てまいります。ですから、都には狂歌や川柳や、いろいろな昔でいう壁新聞ですよね、中国でも壁新聞がありましたが、そういうところでいろいろ政治家や支配者の悪口が出る。批評する文句が出てくる。これがやはり京雀の役割でございまして、今の世の中でも実は京雀というのがいるのでありまして、その一部を代弁しているのが言論機関と言われる雑誌であったり新聞であったりテレビであったりしますけれども、ただどうも今のマスメディアというのにも非常に問題が私はあるような気がいたします。

特に深刻なのは、この首都機能移転というのは国会で決議されたことでありまして、その拘束の上に、決議の上に立って国土交通省がいろいろ苦労されているんですが、そのことが全然国民に浸透していないということ一つをとっても、今、永田町の政治及び霞が関の官僚たちのやっていることがどうしても国民に響いていかない、浸透していかないという、そういう大変な悲劇を持っているのでありまして、それをもう一度直さなくてはいけない。このことは非常に緊急な問題でありますが、やはり身近に最も洗練されている観客がいることが政治を一定以上悪くしない一つの方法だろうと思います。そのためには、昔の京都の京雀もいいんですが、今の東京の都人でございますが、言ってみれば政治もまた歌舞伎座の興業と同じでありまして、東京という大都会の舞台で行われる一つの芝居なんです、演技なんですね。ですから、そういうものとしていろいろな観客がいること、いろいろな批評があることが、政治をある意味ではよくしていく、洗練させていく一つの条件だろうと私は思っております。

ただ、もう一つさっき申しました権威と権力ということから言えば、今の首都機能論、移転論について、では皇居はどうなるんだということについてコメントがないことが気になります。これはそれに触れると右翼が怖いとかいろいろなことを言っていますけれども、そんなことはないのでありまして、皇室に対する敬愛とともに、どこにおられることが一番ふさわしいのかということをやはり首都機能ということと関連して考えなければ、長い長い日本の歴史、あるいは天皇家の歴史というものに抵触するだろう。そういうことを抜きにして、今後の日本の、それこそ司馬さんがいう国のかたちというものは考えられない。ですから、皇居の問題、皇室の問題に全然触れないで首都機能移転を言うから余計おかしい。

皇室の役割というのは、近代になってから立憲君主制になり、現在の象徴天皇制になったわけでありますが、その長い長い歴史の中で、天皇家というものは権威の象徴でありまして、また政の中心なのであります。それは大和朝廷ができてから今日に至るまで一貫して、ほとんど一貫して、実際の政治をやられたというのは、ごく初期の大和政権ができるころでありまして、その後はすぐ藤原氏とか、あるいは平家とか源氏とか北条とか、それから信長とか秀吉、家康、そういうその当時の覇者が実際の権力は握っているわけです。しかし、天皇家の権威というものは単に天皇家だけの問題ではないのでありまして、これは内藤湖南という大変立派な文化史の、特に中国と日本の文化史の大碩学がおります。その方がおもしろいことに近畿地方における神社についてという講演をしているんですね。その中で、近畿地方、特に京都の周辺を見ていると天照神社というのが非常に多いと。氏族社会から大和朝廷、大和政権ができる過程はやはりこの神社がだんだん統合されていく過程なんだということを述べております。まさに神社というのは、日本人にとって古来、鎮守の森でありまして、その土地土地の先祖の霊を祭るのが神社だと。ですから、神社の存在を考えないと日本の政といいますか、政治はわからないですね。ですから、今でも一方では奈良東大寺の1300年記念というのがございます。それからまた、東京でも最近区政70周年記念というので、新しいところでもお祭りをやるんですね。それが実は日本人の政治の中の非常に根幹的な部分であります。ですから、日本は政府も、それから政府に対する信用も今は余りない。小泉政権でちょっと回復したけれども、まだこれからどうなるかわからない。それから、国家の官僚、中央省庁の官僚に対する不信感も非常に強い。これは要するに体制ということですね。

しかし、国家というものは単に政府や体制だけではなくて、一番根っこに共同体というものがある。簡単に言うと国民共同体と言いますけれども、国民共同体の根っこというものがそれぞれの地域社会の政にあらわれている。だから日本人の本当の底力というもの、政府がだめでも、体制がだめでも、最後によりどころになるものはそういう地域社会の鎮守の森を中心にした活力であります。これは尾藤正英さんという日本史の先生がおっしゃっていますが、恐らく東京の鎮守の森は明治神宮ではないかということを最近ちらっと漏らされたのですが、僕は非常におもしろいと思いました。日本は初日の出、元日にはみんな神社へ行くんですね。東京で明治神宮には300万人以上の人が行くんですよね。これが、言ってみれば日本の秩序といいますか、その一つの秘密であります。

東京に明治神宮というのが一種の鎮守の森ではないかといったように、それを中心として多くの人々が神社にお参りすることで一つの統合といいますか、秩序、それから共同生活というものを維持しているわけであります。ですから、そこを抜きにした様々な政治や人間の痛みに対する議論というものは、そこを抜きにしては非常に空疎なものになる。堺屋さんは非常に歴史に造詣がありますけれども、首都機能移転の一つの問題点というのは、どうもそういう歴史性とか共同体のレベルでの議論がないから、だから政府や官僚が一生懸命PRしても響いていかない。国民の中に浸透していかない。そこにはそういうことがあるだろうと思います。

そういう全体に目配りをして、やはりこれは大いに議論を尽くしたらいい。議論の結果、やはり東京から首都機能、国会を移転すべきだということが国民の総意になるならば、私は決して反対はいたしません。確かにそれは一つの見識であります。ただ私が懸念するのは、そういう場合に何で新しい原野に新しい都市をつくるのかということがわからない。

これはいろいろな人たち、財界の人たちの中でもその問題を指摘しています。東京から移転するのだったら、何で既存の都市への移転ではいけないのかと。私、全くそうだと思うんですね。

特に、この10年非常にやはり不況のためもありますが、大阪の地盤沈下が激しいんですね。そして、大阪がだめだから京都がだめになる。京都というのは本当に魅力のある土地でありまして、お寺もいいし、大学もいいし、そしてまた祇園も本当につややかなんですね。ですから、日本の言ってみれば芸能といいますか、芸能と学問の中心であります。私が簡単に申し上げたいのは、日本の歴史を見るとやはり京都の朝廷と江戸の将軍が近世において分かれていた。これは鎌倉時代もそうですよね。ですから、東の政治の中心は簡単に言えば幕府なんですね。それから、西は公家さんを中心とする朝廷が一つの政の中心であります。それが一緒になったり離れたりしているんですけれども、私はもし何か東京集中を改める方法があるとすれば、様々な機能を東京から外すことだと。これは深川保典さんという都市プランナーが言っていることです。これは中央公論社の新書から出ておりますが、「東京改都」という本を書いていますが、その中で提案しているのが非常におもしろい。それは日銀は大阪に移転したらいいだろうと。これに賛成した財界人などは、いや大阪の日銀というのは立派だからねと。大阪には蔵屋敷という伝統がある。だから日銀を大阪へ持ってくる。それから最高裁を仙台に持っていく。これも非常に納得のいく、仙台というのは東北の中心でありまして、東北大学というのも非常に立派な伝統のあるところであります。そして、もし最後に皇室が移転がなかなか難しければ、これも私が言ったのではなくて、司馬遼太郎さんや梅棹忠夫さんという、関西の戦後の日本をリードした二人の作家と学者でありますが、このお二人が、もちろん京都や大阪の財界人もそれに加わっているんですが、天子様は京都へお帰りくださいと。京都をもっと輝ける儀典都市にしようではないかと言っているんですね。これも、非常に納得できる。だから、山の奥の原野につくる新政治都市というのは、では各国の大使館はどうするんだというと、それについても明確な説明が今までない。恐らく英国大使館にしても、あんなお堀端のいいところにある英国大使館というのは、今の英国ではとてもつくれないでしょうが、あれがまさに明治時代の日英関係を象徴しているのでありまして、アメリカが虎ノ門にあって、狸穴にロシアがある。これまた非常にそれぞれの国柄をよくあらわしていると思うんですが、そういうのも一つの歴史的な存在なんですね。

儀典都市京都というのは、だから大使の認証式は天皇が春と秋と、一番気候のいいときに京都へ来られて、そこで大使の認証式をやったらどうかと。それからまた、様々な叙勲ですね、それから歌会始なんかも入れてもいいと思いますし、それから芸術院とか学士院という、そういうものを京都へ持っていったらいい。そうすれば京都が蘇るし、そしてなおかつ大阪も恐らくそれによって蘇るでしょう。

言ってみれば、これは堺屋さんとは前に議論もしたんですが、新しい政治都市をつくるというのは、これはやはり一つの筑波学園都市の政治版ではないか。単色の政治都市とか学園都市というのは、どうも余り成功したためしがない。だから、オーストラリアもこれは首都がそういう都市ですけれども、キャンベラへ行った視察団が、国会議員の方たちですよ、全然あの都市はおもしろくないですねと。夜、遊びに行くところがないんですよと。それから、筑波学園都市の人たちも、あそこになかなか居つかないんですね。いつかは東京に帰りたいと。そのために、それからまちにおでん屋ができたとか何とか言っていましたけれども、非常に治安が悪くなっていて、女性の教授なんかは夜ちょっと怖くて歩けないと言っている。

僕は、政治都市をつくるという発想は大体アメリカのワシントンだろうと思うんですが、ワシントンも非常に治安が悪いんですね。決しておもしろみのある都市だとは僕は思えない。ロンドンでもパリでも、歴史のある国が首都を移転するということを聞いたことはありません。だからEUによってベルギーに新首都ができるというような、これは言っているのはEUという国家連合ですよね、言ってみれば。国家連合の上に立つ非常に小さな上部団体、これが今後成功するかどうかはまだ帰趨ははっきりしないのです。

またボンからベルリンへというのは、ボンから新しい山奥の原野に移ったのではなくて、ベルリンという輝けるドイツの最盛期の都にボンから戻ったわけです。ですから確かに、今、ベルリンは東西分裂のおかげで、冷戦のおかげで300万の人口しかなかったそうですが、今、大阪も京都もどんどんどんどん人口が減って、本当に昔の京都や大阪を知っている人間にとっては非常に残念なことであります。ですから、ぜひ今後は東京以外のところに、多様な力と富と文化を築いていくということに国家的な力を注ぐべきだ。

そしてまた日本は道州制ということが前から言われていますが、僕はこれが非常に大事なことだと思います。地方に力をつけるためには地方が余りそれぞれの県で、あるいは町で単位が小さくなり過ぎていて力がないのです。ですからもう一度言ってみれば、これは深川さんも言うのですが、これからの日本は新しい封建時代、新しい中世に向かうのだということを言っていますが、私もそれに近い感想を持っています。ですから戦国時代とか徳川時代というのは、言ってみれば分権国家ですよね。それぞれの封建領主がそれぞれの国を治めている。それを昔は非常に悪いことのように言いましたけれど、もう実にそれぞれの国、封建領主というのはすぐれた政治を行った人たちが多いです。今、ですから東京もそうですけれども、それぞれの知事におもしろいタイプの新しい政治家が出てきていることは間違いないのでありまして、おそらくこれからの日本の政治家ないしは国際的な政治家というものは、そういう経路をたどって出てくるのではないかという気がします。

私は東京一極集中にも反対でもありますし、それから新しい時代が到来する中で、今や古いものが壊れつつあって、国際社会の要求にこたえられていないと思います。僕は何もアメリカのまねをすることはないと思うのですけれども、ヨーロッパの国々だってやはりアメリカに協力しながらアメリカに動じない独自の道を歩んでいます。そういう意味で日本もぜひ日本の歴史を尊重し、日本の土地の精霊、土地の霊というのがあるのだそうですが、そういうものを尊重し、それぞれの土地柄というものがどういうものなのかということをよく見きわめて、やはりこれまでの遷都というのも、やはり土地を卜するといいますかね、家を建てるのでも家相、家相を見るとか風水の思想とか、方角だとかいろいろなことを言いますよね。ですからそういう意味で言うと、僕は人間というのは近代になって初めて文明化したのではないという気がこのごろつくづくしています。古代以来、古代日本でいうと律令国家以来大変偉大な文明を築いてきているので、その遷都ということについてもいろいろな例がございますが、非常に知恵を絞っております。ですから単に近代の機能主義だけでこの問題を考えないで、ぜひ歴史の英知に学ぶということが大事なのではないか。そしてその議論を多いに国民的レベルで盛り上げること。それがおそらく21世紀の日本をつくっていくスタートになるだろうというふうに私も考えております。

時間が過ぎたと思いますので一応このくらいにいたしますが、どうもご静聴ありがとうございました。

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