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10月15日付朝日新聞「窓」の報道に対する建設省の書簡について

財団法人 日本自然保護協会保護部長 吉田正人氏




(1) 平成 11年10月15日朝日新聞夕刊「窓〜論説委員室から」
取材の経緯
 
建設省ホームページにおける建設省及び朝日新聞社の公開討論は、平成11年10月15日朝日新聞夕刊「窓〜論説委員室から」に掲載された「建設省のウソ」に端を発している。この記事の掲載にあたって、私は朝日新聞社論説委員より取材を受け、日本自然保護協会が平成11年7月に発行した「長良川河口堰が自然環境に与えた影響」の内容を説明した。この記事は、その取材にもとづいて、作成されたものであるため、まずその経緯を簡単にご説明したい。
 この取材があったのは、平成11年10月12日のことである。私は先に述べた日本自然保護協会発行の「長良川河口堰が自然環境に与えた影響」にもとづいて、5年間にわたるモニタリング調査の結果、長良川河口堰が自然環境にどのような影響を与えたかを説明した。その際に論説委員から意見を求められたのが、平成11年11月5日付朝日新聞社論説主幹発の書簡に添付されている建設省の文書(別紙1)である。
 それには「長良川河口堰では、堰運用(H7.7)後、アユは順調に遡上。サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少はみられない。長良川河口堰では、堰運用後(H7.7)、BOD、クロロフィルa等の水質項目は大きな変化はない」という見出しの下に、アユ、サツキマス、シジミ、BOD、クロロフィルaの5つのグラフが掲載されていた。この文書は、平成11年7月の建設省と各社論説委員との懇談会で配布されたものであるということであった。
 私はこの文書は、「(1)長良川河口堰の影響に関する私たちの5年間のモニタリング調査の結果とは結論が異なる、(2)一般市民が影響がないあるいは軽微であると誤解するような図を提示している、(3)建設省モニタリング委員会による検討が進行中であるにもかかわらず、専門家に相談せずに行政の判断で都合のよい結論を導いている」と感じ、「(この文書で建設省が主張していることは)事実に反し、データを都合よく解釈している」と述べた。その結果、「建設省のウソ」「真実を隠し、国民をだます」と厳しく断じた記事が掲載された。
 この記事が掲載された直後、平成11年10月15日には建設省中部地方建設局から、取材の経緯の問い合わせを受けた。建設省では、何をもって「建設省のウソ」「真実を隠し、国民をだます」と批判されたかがわからないようであったので、先の建設省の文書を、ファックスで建設省に送付した。10月22日、建設省河川局開発課長、大臣官房広報室長から、朝日新聞論説主幹に対して公開質問状が出され、ホームページ上で公開討論が開始された。
 以上が、朝日新聞の取材から、記事の掲載、公開討論にいたる経緯である。次に、問題の建設省文書に対して、私がどう答えたかを改めて説明したい。


(2) 長良川河口堰の影響に関する建設省の文書について
 建設省文書は「長良川河口堰では、堰運用(H7.7)後、アユは順調に遡上。サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少はみられない。長良川河口堰では、堰運用後(H7.7)、BOD、クロロフィルa等の水質項目は大きな変化はない」と長良川河口堰の影響が軽微であると総括し、5つのグラフを載せている。
 まずアユの遡上についてだが、建設省文書は「長良川河口堰では、堰運用(H7.7)後、アユは順調に遡上」として、平成7年から11年までの長良川河口堰地点(魚道)におけるアユの遡上数のグラフ(図1)が示されている。これには累計遡上数として約300万尾近い数値が示されており、一見すると堰の影響は全くみられずに遡上しているように思われる。
 しかしこのグラフは、堰の運用を開始した平成7年以後の遡上数を魚道でカウントしたものであり、堰運用前に同様の方法でカウントしたデータがないため、堰運用前後の遡上数の変化を比較することができない。

「長良川河口堰が自然環境に与えた影響」の中で、長良川下流域生物相調査団の足立孝氏は、これに代わる方法として、木曽三川の漁協のアユ放流量とアユ捕獲量の変遷を調査した(図6)。これを見ると、長良川・揖斐川・木曽川のいずれにおいても、平成元年ごろ著しいアユ捕獲量の減少が見られている。その後、揖斐川・木曽川では捕獲量が回復しているにもかかわらず、長良川では減少したままである。一方で、放流量を10倍した放流漁獲量(注1)の変化を見ると、揖斐川・木曽川では大きな変化がないのに対して、長良川では放流量の増加によって、放流漁獲量も増えている。このため長良川漁協、長良川中央漁協、郡上漁協では、アユ捕獲量が放流漁獲量を下回るようになった(図7)
  (注1) 放流漁獲量=放流重量×10倍、遡上漁獲量=総漁獲量−放流漁獲量

 一般的には、捕獲量と放流漁獲量の差が、天然遡上による漁獲量と推定されているため、長良川では「天然ものから放流ものに変わりつつある」と考えられているのである。この推定方法は、1989年に中村中六氏が「長良川河口堰と魚道をめぐる諸問題−アユとサツキマスの降下と遡上に及ぼす影響」(『開発』1989年初収、『長良川の水と生活』1990年再録)の中で、長良川のアユの天然遡上は順調であり、河口堰を建設しても影響がないことを説明するために用いている。捕獲量の減少が、天然遡上の減少によるものか、放流アユの生育率が低下したためか、その複合的な理由によるものかは即断はできない。また放流稚魚の大きさが変化しているので、同じ方法で推定することには無理があるという反論もある。しかし足立氏は、中村氏が長良川河口堰の影響が少ないと予測したと同じ方法を用いたとしても、揖斐川・木曽川に比べて長良川のアユの遡上は順調とはいえないことを述べているのである。
 また建設省は、長良川忠節橋におけるアユ遡上量の調査を行っており、それによれば堰運用前の平成5、6年には約700万尾が遡上、堰運用後の平成10年には約750万尾、平成11年には約600万尾が遡上しているので、アユの遡上は減少していないと主張する。しかし足立氏によれば、河口堰より上流にある忠節橋のアユ遡上数が、河口堰魚道の遡上数よりも多いこともあることから、忠節橋におけるアユ遡上数は、放流アユを含めてカウントしている可能性がある。また、アユは遡上期のものでも降雨による、出水によって下流に流される場合があり、いったん流下したアユについてもダブルカウントしている可能性がある。したがって、忠節橋のアユ遡上量をもってアユは順調に遡上ということは無理がある。
 以上の理由から、「長良川河口堰では、堰運用(H7.7)後、アユは順調に遡上」と断定的に表現した建設省文書は、国民に誤解を与えるものである。
 次にサツキマスの遡上についてだが、建設省文書の長良川38km地点に於けるサツキマスの漁獲量(図2)をみても、平成6年の最終漁獲量895尾に対して、平成11年の最終漁獲量は278尾と明らかに減少している。また、サツキマス研究会の新村安雄氏によれば、堰運用前は38km地点より下流で複数漁業者が操業し推定で3750尾のサツキマスが漁獲されていたのに対して、堰運用後は38km地点より下流のそれらの漁師がサツキマス漁をやめてしまったことが触れられていない。また下流の漁業者がいなくなって、本来有利な条件で操業できるにもかかわらず、38km地点における漁獲量が増えていない。これは、サツキマスの遡上量が減少していることを示唆している。
 また最終漁獲量の50%の漁獲が見られた日をみると、堰運用前は5月6−15日であったのに対して、堰運用後は5月27−28日となり明らかに遡上の遅れがみられる(図8)。これらは堰および堰湛水域の存在による遡上障害が見られることを示している。
 なお、建設省は、岐阜市場におけるサツキマスの入荷量のグラフを示して、サツキマスは減少していないと説明しているが、平成8年以降は遡上のおくれのため、これまで料亭に直接納められていたサツキマスが岐阜市場の統計に入っているので、堰運用前の入荷量と単純に比較することはできない。
 以上の理由から、サツキマスに「著しい減少はみられない」という建設省の主張は無理がある。

 また、シジミについては、建設省文書は木曽三川下流部におけるシジミの年度別漁獲量をあげている(図3)。しかしこの統計には、河口堰上流部における移動放流の漁獲量、揖斐川下流部で漁獲したシジミの漁獲量が含まれていることから、長良川河口下流部のシジミが減少していないという説明にはならない。
 長良川下流生物相調査団の籠橋数浩氏によれば、揖斐川下流ではいまも底生生物の優占種はヤマトシジミであるが、長良川堰下流ではヤマトシジミから環形動物に優占種が変化している。
 また、シジミプロジェクト・桑名の伊藤研司氏によれば、堰上流部では淡水化するため汽水性のヤマトシジミが生息できなくなることは予想されていたが、堰下流部でも1996年からは全く採取されなくなり、さらに移動放流によって堰上流に運んだシジミも1999年にはほとんど採取されなくなった(図9)
 したがって、木曽三川下流部におけるシジミの年度別漁獲量をもって、「(シジミに)著しい減少はみられない」というのは「事実に反し、データを都合良く解釈したもの」である。
 以上の理由から、「サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少は見られない」と断定的に表現した建設省文書は、国民に誤解を与えるものであるといえる。
 
 水質について、建設省文書は「長良川河口堰では、堰運用後(H7.7)、BOD、クロロフィルa等の水質項目は大きな変化はない」と断定している。
 まず、BODに関しては、平成6年から平成11年までのグラフを示し、環境基準値3mg/l以下であることを述べている(図4)。またクロロフィルaに関しても、平成6年から平成11年までのグラフを示しているが、平成7年から10年にかけて夏季に60−80μg/lに達している(図5)
 この値の意味について、建設省の文書には全く説明がないが、典型的な富栄養湖である諏訪湖の湖心の測定値に匹敵するものであり、堰湛水域において河川棲の植物プランクトンが大発生していることを示している。植物プランクトンは非常に微細であるため、BODの測定値には反映されていないが、河川の生態系を大きく変化させているだけでなく、河口堰の水が供給されている知多半島の水道水の着臭などの影響が出ている。
 長良川河口堰事業モニタリング調査グループの村上哲生氏によれば(図10)、堰運用後、植物プランクトンの発生は、東海大橋付近では80μg/lをこえる値が観測されるようになり、また伊勢大橋付近では堰運用以前は夏の一時的な現象であったものが長期化している。
 以上の理由から、「長良川河口堰では、堰運用後(H7.7)、BOD、クロロフィルa等の水質項目は大きな変化はない」と断定的に表現した建設省文書は、国民に誤解を与えるものである。

 最後にこの建設省文書の性格についてだが、建設省はKST(木曽三川河口資源調査)の時に、専門家でなく行政官の手によって都合よくサマライズされた結論報告を作成したことがあり(別紙2)、この文書もその典型であると考えられる。
 何よりも問題だと考えるのは、建設省が、マスコミや国会議員などに対して、長良川河口堰の影響が軽微である如き誤解を招く文書を配布していることである。私たちは、自然保護団体として意見を主張する場合も、意図的に国民に誤解を与えるような宣伝をすることは控えるべきだと考えている。ところが建設省自身が、このような国民に誤解を与える文書を作成し、とくに世論形成に影響を持つマスコミや、国会において国民を代表する国会議員に配布したことは、科学性・公平性を欠く行動である。
 とくにサツキマス・シジミに関する記述に関しては、木曽三川下流部のシジミのグラフには長良川以外のものが含まれていることを指摘された建設省は、ホームページの中で「『・サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少はみられない』と記しており、長良川に限定した漁獲量の減少が無いとか、長良川河口堰による影響がなかったといった記述は行っていません」と反論している。しかし専門的な知識のない国民がこの文書を見れば、「長良川のシジミは減っていない」と誤解することは明らかであり、このような弁明をすること自体、間接的に国民をだましているといわざるを得ない。
 「建設省のウソ」「真実を隠し、国民をだます」と朝日新聞に書かれたことで、ホームページ上での論争が始まったわけだが、最初に国民に誤解を与えるような報道を行ったのは建設省であることを強調しておきたい。

(3) 建設省と朝日新聞のホームページ上の論争について
 朝日新聞の「窓」に対する建設省の主張は、以下の4つにわけられる。
 一つめは、建設省は「真実を隠し、国民をだます」と断定的に非難されたことに対して、「建設省は長良川河口堰に関して情報公開やNGOとの対話活動を行っている」という反論である。二つめは、同上の非難に対して、「朝日新聞が『真実』と断定している内容は一つの見解であり、真実というならどのような角度からみても誤りのない文字どおりの真実である必要がある」との反論である。三つめは、アユ、サツキマス、シジミの減少に関する個別の反論。四つめは、報道の姿勢として、「対立する意見が存在する場合は、それぞれの見解を紹介するのが報道の基本姿勢ではないか」という主張である。
 このうち三つめの、アユ、サツキマス、シジミの各論については、すでに前述したので、残り三つについて意見を述べたい。
 まず一つめの、情報公開・NGOとの対話活動についてであるが、たしかに日本自然保護協会および関係する研究者からの資料提供の依頼、シンポジウムへの出席依頼については、誠実な対応をしていただいている。しかし一方で、研究者のような専門性をもっていないマスコミ、国会議員に対しては、誤解を招くような文書を配付するという二面性をもった対応をしていることも事実である。
 二つめの「真実」についてであるが、これは朝日新聞が「真実を隠し、国民をだます」と薬害エイズになぞらえて批判したことを逆手にとって、「(朝日新聞も)真実というのならどのような角度からみても誤りのない文字どおりの真実である必要がある」と反論したものである。ここには「真実」とは何かという問題と、「真実」を明らかにする責任はどこにあるかという問題がある。
 科学的には真実は一つであるはずだが、立場が異なれば真実は違った姿に見えることがある。すなわち、長良川河口堰の影響を明らかにしようという立場からは、水質の悪化、シジミの死滅、サツキマスの減少など、環境の悪化の徴候が見えてくれば、それが真実である。一方で、長良川河口堰の影響が軽微であることを願う立場からは、環境の悪化の徴候はあくまでも徴候であって、100%悪化しない限り真実ではない。「真実というならどのような角度からみても誤りのない文字どおりの真実である必要がある」という建設省は、まさにこの立場である。しかし、そのような立場をとることは、前者の立場からは真実から目をそむけ、あるいは真実を隠そうとする行動であると見える。
 環境問題、とくに人間の健康や生態系の健全性がかかっている問題においては、100%証明されない限り真実とは言えないという立場をとることは、とりかえしのつかない状態を招く場合がある。水俣病をはじめとする公害問題に対して、最初の頃、企業や国がとってきたのがまさにこの立場であった。環境問題においては、環境の悪化の徴候があらわれた時点で、「それは真実である可能性がある」という立場にたって、その影響を調査し、なるべく早く対策をとる必要がある。
 また環境問題では、人間の健康や生態系の健全性に対する安全を証明する責任は、化学物質を生産する企業や、生態系に影響を及ぼす工作物をつくる事業者にある。しかし、公害問題や薬害問題では安全を証明するのは企業の責任という原則が確立しているにもかかわらず、生態系への影響に関してはNGOが安全への疑問を警告しない限り、事業者はきちんと調査しないのが現状である。長良川河口堰に関して言えば、日本自然保護協会、長良川下流域生物相調査団、サツキマス研究会、しじみプロジェクト・桑名、長良川水系・水を守る会など、数多くのNGOが自らの努力による調査を実施し、安全への警告を行ってはじめて、建設省はそれに対応する調査を実施してきた。
 建設省がNGOの調査結果に対して、一つ一つ反論するという立場をとるならば、真実を明らかにするのはNGOとマスコミの役割である、という状態が永遠に続くことになる。建設省は、NGOの調査結果を真摯に受けとめ、自らが真実を明らかにする責任を果たすべきである。
 最後の「報道の姿勢」については、建設省から朝日新聞社に対する質問であるので、私はコメントする立場にはない。しかしあえて付け加えれば、朝日新聞社に対して公開質問状を送付しているのが、河川局開発課長と広報室長であることからもわかるように、建設省は事業者という立場と、一つのメディアという立場の両方の立場を持っている。すなわち朝日新聞社に対しては「正確で公平な報道」を求める建設省が、もう一方では数億円の広報費をもったメディアであることを忘れてはならない。
 長良川河口堰に限っても、建設省は別紙1のような文書をマスコミや国会議員に配付したり、類似の内容のカラーのチラシを岐阜県内全戸に配付している。また長良川河口堰の影響に関するCS放送番組の事実上のスポンサーにもなっている。このような力をもったメディアである建設省が、他のメディアに与える影響力も非常に大きなものである。
 朝日新聞社は、建設省の公開質問状に正面をきって回答し、その回答もホームページ上に掲載するよう求めているので、合意の上での公開討論であるといえる。しかし建設省は、長良川河口堰に関する番組や記事に少しでも事実誤認や見解の相違があると、メディアに対して文書による回答を求め、ホームページ上に掲載するという手段をとりはじめている。このようなやり方を続ければ、長良川河口堰問題はメディアの中では、一種のタブーとなってしまい、自主規制が行われるようになってしまうことが危惧される。ホームページは、うまく使えば誰もが見ることができる公開討論の場ともなるであろうが、使い方を誤れば中国文化大革命時代の壁新聞にもなりかねない。その意味でも、今回のホームページによる公開討論は重要な問題を投げかけている。