水管理・国土保全

  

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多摩川の歴史

特有の歴史、先人の知恵の活用

多摩川は首都圏を流れる一級河川のなかでは比較的勾配が急な河川であり、昔から「あばれ川」として知られています。

 江戸時代「川除御普請御用」として幕府の治水事業に携わり、あばれ多摩川の治水事業に努めた田中丘隅(きゅうぐ、1662~1729)は下流部における瀬替え(蛇行部のショートカット)や連続堤の築造等を行い、後に「丘隅をして、多摩川流という河川土木技術を起こした」と言われるほど全国の河川土木技術に影響を与えました。

(TRM)多摩川流域の歴史・文化

河川の勾配を比較した表


多摩川源流の笠取山にある分水嶺




 多摩川で最初の本格的かつ大規模な改修工事のきっかけとなったのはアミガサ事件と呼ばれる出来事でした。度重なる水害に苦しんでいた住民達が大正3年9月16日未明に多摩川の築堤を訴えて、神奈川県庁に押し寄せました。この時彼らがアミガサをかぶっていたことから、この事件をアミガサ事件と呼んでいます。この事件は当時の有吉神奈川県知事による築堤や各所での多摩川改修請願運動に飛び火して、多摩川改修工事へと実を結ぶことになりました。



多摩川改修工事の名残で今も残る六郷水門




あばれ多摩川のもっとも生々しい記憶は昭和49年の狛江水害です。人家が多摩川に飲み込まれていく映像は衝撃的であり、多摩川のあばれっぷり、水害の恐ろしさを見せつけました。平成13年に策定された「多摩川水系河川整備」においても、この狛江水害は「戦後最大規模の洪水」として位置づけられています。


昭和49年狛江水害


堤防決壊の場所に建てられた多摩川決壊の碑





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