大井川治水の歴史で最初の大規模の工事は、天正年間に牛尾山で行われたものと言われている。牛尾山は昔、対岸の相賀地区からひと続きで駿河側の山であったと伝えられています。当時の大井川の流れは、大きく張り出していた牛尾山にぶつかり、牛尾山の西側を迂回するように流れていました。これを「天正の瀬替え」において、この張り出した部分を約260m切り割り、現在の流れに切り替えました。
天正の瀬替えに伴い、元の流れを堰き止めるために堤防が築かれました。この堤防は当時この地域を治めていた山内一豊にちなんで、「一豊堤」と呼ばれることもあります。これはほぼ原型のまま現在も残されています。