小瀬川は、広島県、山口県の県境を流れる川で、藩政時代には安芸(あき)側(広島県)で木野川(このがわ)、周防(すおう)側(山口県)で小瀬川、またこの河川は芸防(げいぼう)両国の国境であることから御境川(おさかいがわ)と呼ばれていました。
1600年代の小瀬川河口部の川筋は幾筋にもなっており、また、洪水の度に川筋を変化させ、上流からの土砂供給等によって自然の沖積作用によって広大な干潟が発達していました。
両国の境界の決め方一つで、そのまま両国の利害が大きく左右することにつながるため、自然本流の定まらない状況の中、国境河川であることから度々領地紛争が繰り返され、その度に多くの負傷者を出してきました。
この紛争を解決する方法は、明確不動の国境を定めて、両国にて合意する外に方法はありませんでした。そこで両藩当局は享和元年(1801)和談によってこの地に境界を設置し、翌二年(1802)には大工事を断行して境界水路(現在の川筋)を大きく掘り割り、水路の中央線をもって境界を確定させました。
また、磯別けも同時に行い、毎年両国は磯の境界線より双方30間(約54m)ずつ離して杭を打ち、それより内側を双方の利用範囲として、長い間続いた境界論争に終止符が打たれました。