3 コンセンサスの形成

(住民のコンセンサス形成の困難さ)

 どのような景観を「良好である」「美しい」とするかは主観的な問題であり、「美しいまち」と言っても、それは「個性的なまち」「面白いまち」「生き生きしているまち」「魅力的なまち」「安らぎのあるまち」「気持ちのよいまち」「懐かしいまち」と様々な意味を含んでいる。同様に、「住民」の中にも様々な人がおり、属性だけで分類しても、高齢者、会社員、主婦、学生、子供、商店経営者、SOHOワーカー、工場主、ビルの所有者、土地の所有者などのように、様々な立場の様々な利害を持った者たちの集合体が「住民」であることが分かる。また、最近では、住民団体として、消費者団体、町内会・自治会に加え、NPO、ボランティア等も出てきている。
 海外の例を見ると、イギリスでは、都市部においても17世紀からの大土地所有が継続している地区があることなどにより、コンセンサスの形成は比較的容易な地域もあるであろう。これを我が国について見ると、イギリスの例と同じベースでの比較ではないが、東京23区内における平成11年度の固定資産税納税義務者は個人が1,013,500人、法人が90,495人の計1,103,995人となっていることから(東京都主税局調べ)、土地・建物を所有(区分所有も含む。)し、財産の保全について利害関係にある者が非常に多数であることも、コンセンサスを得にくくしている原因の一つであろう。
 このため、目指すべき景観をどのようなものにするか、どのような意味の「良好さ」「美しさ」を選択するかについて、住民がコンセンサスを形成していくことは容易ではない。
 市町村アンケートにおいても、「住民が必要としていることは地域、年齢によって違う」「住民の考え方は十人十色である」「住民の意識作りに成功すれば、70%は(景観保全の事業は)完成したものと言える」「住民の景観形成に対する意思統一ができないために施策が進まない」などのように、住民のコンセンサスの形成を景観形成のための最大の課題としている回答が多く、これが良好な景観形成を進めて行く上での第一のステップになることが分かる。
 特に、市町村アンケートによると、景観の保全に際し、土地建物の所有者の財産権が問題となる場面では、「まちなみ景観は住み手がいる話であり、建築自由の我が国の法制度では限界がある」「私権の制限が行えない限り景観保全は不可能」という趣旨の回答が非常に多かった。確かに、例えばイギリスでは、土地所有の概念を「「占有権」期限のある所有権、すべての土地は国王から与えられたもの」としてとらえ、「建物は土地に属するもので、独立した不動産ではない」としているため、財産権の制限に対しては、憲法第29条で財産権の不可侵を保障している我が国よりも障害が少ないであろう(図表4-2-3)。
 このため、我が国では、コンセンサスの形成を無視して財産権を制限することで景観形成の方向性を定めることは望まれず、市町村アンケートの回答に「公共の福祉を理由に個人の財産権や表現の自由などを束縛するに当たり、美しいまちなみや景観の形成がなぜ必要なのか、市民自らの意識の内から主導的な盛り上がりのあるもので、大多数の市民の同意が得られるものでなければならない」とあるように、実効性ある景観づくりのためには、何よりも住民のコンセンサスの下に進めていくことが必要不可欠となっている。
 コンセンサスを形成するための手法として、雰囲気を醸成し、長い時間の経過とともに自然と人を合意に導く、という不文律の蓄積による暗黙のコンセンサスを良しとするやり方は、現代の経済社会や人々のニーズの変化の早さには対応できず、また、地域に新しい住民が入ってきたときの障害となるため適切でない。このため、景観形成の意義を数値化することや、模型を作成して示すなど、分かりやすい手法により、そのまちのあるべき姿を言語化し、客観的にその合理性が説明できる方法を開発するべきである。
 以下、我が国において住民のコンセンサスを得ることが困難である原因について検証していく。

〈理由1 何が目指すべき良好な景観なのか、そもそも分からない〉
 市町村アンケートによると、「景観の形成を重視してはいるものの……「美しい」の基準(根拠)が不明確」「「美しい」という意味がいま一つ理解できない」と、まず目標設定の第一段階から方向性が定められずにいる回答があった。景観が「良好であるか否か」は主観的な問題であり、また程度の問題でもある。専門のシビック・デザイナーが景観理論に基づいて設計するまちなみもデザイナーによって様々であるように、景観に一つの答えが客観的に存在するわけではない。このため、住民と行政が一体となって、何らかの形で地域の総意としての目指すべきビジョンをコンセンサスとして明確にする必要がある。
 どのような景観を目指すべきであるのか、というビジョンは先述したように、マスタープラン、地区計画の制定、区域を指定しての開発行為の規制、まちづくり条例の制定等の手法があり、これらを通じて、そのまち、その地区のあるべき景観の姿を議論することができる。また、地区計画制度は平成12年の都市計画法改正により、住民又は利害関係人から地区計画に関する都市計画の決定・変更や地区計画の案の内容となるべき事項を申し出る方法が規定され、住民の意見をより早い段階から取り入れられるように工夫されている。「数値的な規制だけではなく地域独自の作法(ルール)を行政・住民・業者それぞれが理解し、守り育てる」ことが重要である、との市町村アンケートの回答にあるように、今後地区計画の策定に向けてのプロセスや、まちづくり条例の策定に向けての住民と行政の懇談会の場などを活用することなどにより、住民の参加や住民のコンセンサスが図られるようになることが期待される。

[解決へのアプローチ]
 データ・マイニングの手法()の活用により、何千人・何万人単位の異なる生活習慣や意識を持つ住民がまちに求めるニーズを把握し、そのための最適解を導いて行くなど、より高度な情報処理技術を活用した「最大多数の最大幸福」を求める試みが必要となるであろう。
 また、良好なまちなみ景観の形成による効果を数字で示すことで、良好な景観を形成することの意義を説明することも考えられる。これには社会資本整備による効用の増加が土地や住宅の価格に反映するという点に着目して、地点間の社会資本の差によって生じる土地・不動産の価格の差が社会資本の価値を表す、と考えるヘドニック・アプローチを用いることによる。これにより、美しいまちなみ形成による効果を定量的に示すことで、客観的な説明が可能となってくる。このためには、GISの活用により、必要となる詳細な土地に関するデータの整備を進めることが課題となってくる。
 また、長野県では、図表4-2-4にあるように、建物の壁面や広告物の色彩について、色の彩度(色合い)を1から6に段階分けした上で(彩度の低いものの方がより落ち着いた色合いであり、彩度の高いものの方がより鮮やかな色合いとなる。)周りの自然の山々と調和の取れるような彩度は彩度段階1〜4であり、彩度5以上の色は「自然と調和しない、けばけばしい色である。」と色彩に関する情報をパンフレットにして配付し、理解を求めている。これにより、色彩の彩度を落とすことや、彩度の高い色を使う部分を必要最小限に抑えてもらうなど、開発者のコンセンサスを得ている。この際、平成5年よりコンピュータ・グラフィクスを用いて、実際に建物などの彩度を変更するシミュレーションを示し、より分かりやすい形で理解を得ることができるような工夫がなされている。

〈理由2 地域のメンバー交代の激しさ〉
 コンセンサスの形成が困難である一因は地域の人口移動の激しさによる点も考えられる。
 特に、人口の移動が激しく、常に新しい「新参者」が出入りを繰り返している大都市においては、住民といえどもそのまちの個性やアイデンティティが何なのかについて理解することが困難になっている。市町村アンケートでも「先住者と新住民のコンセンサスがとれない」ことを問題視している回答があった。
 例えば、東京都における人口の移動による住民の変動状況を詳細に見てみる。図表4-2-5は平成2年国勢調査報告により、平成2年時点で東京都に住んでいる人のうち、過去5年以内に東京都に東京都以外から移転してきた人の割合、東京都には住んでいたが現住所とは違う場所に住んでいた人の割合を示す。これによると、平成2年の時点で東京に住んでいた人口は、平成2年時点で5歳以下の人口を除くと1,113万人であり、5年前(昭和60年時点)に東京に住んでいた人口の1,134万人とほぼ同数であるが、このうち継続して現住所に住んでいた(都内での転居もしなかった)のは776万人と、約7割である。年齢階層別に見ると、特に20〜34歳の年齢層では、現住所に5年間住んでいた人は47.2%と半分以下であり、35〜49歳の年齢層では72.2%となるものの、やはり多くの住民が「新参者」か「滞在者」である感が否めない。

[解決へのアプローチ]
 市町村アンケートの回答に「景観づくり運動を継続させること。継続することでその景観がまちの景観となる。」とあったように、長期的には人口の定住化が進む中で、時間とともに小さな流れではあっても、それを継続的に実施し大きく育てていく蓄積の持つ強さは大切であることから、その流れを継続する核となる人材(リーダー・専門家)を育成していくことが重要である。この場合、核となる人材は必ずしもそのまちに住所をもつ住民である必要はなく、先述した谷中学校の事例のように、まちの実情に詳しく、かつ、まちの住民の信頼も得ている専門家であることでも十分である。

〈理由3 行政に対する依存心とまちづくりに参加した経験の欠如〉
 公共のことは行政に任せるという日本人の国民性も原因となっているのではないだろうか。市町村アンケートでは、「不満や苦情を役所に言っていれば解決する、という気持ちが住民にあり、まちづくりは役所がやるんだ、と思い込んでいる」「権利主張は強いが、義務の観念が欠如している」という趣旨の回答や、「住民意識の欠如」を問題視する回答が多くみられた。

[解決へのアプローチ]
 幼いころからのまちづくりに関するボランティア活動などを通じてコミュニティ意識を形成し、公共心を育成することなどが必要となってくる。その際、学校教育の中で、自分の住むまちについて勉強し、自分のまちの個性や、どのようにしたらよりよいまちになるのかについて考える機会をつくることなどが重要であろう。
 また、コミュニケーション型行政の推進により、まちづくりに市民が関わることができるようになってくることで、住民の公共への意識が高まる可能性もある。市町村アンケートの回答にあったように「個人の所有物ではあっても景観は公共の共有財産であるという考え方」を根付かせ、市民が主体となったまちづくりに関する活動を通じて「市民にどのようなまちづくりをしていきたいかを考えてもらう」機会を提供することが重要である。

〈愛知県西尾市立西尾小学校〉
 「子供が動けば、まちがかわり、まちが動く。」を合言葉に、まちづくりと結びつけた授業が愛知県西尾市の西尾小学校で展開されている。
 「まちを教材にして、自分のまちを愛する子供たちを育て、まちに活気を取り戻したい」との同校の校長先生の考え方から始まった。1年生から6年生780人の子どもたちは「総合的な学習の時間」などを活用し、寺の住職や商店主、高齢者から「町の先生」として協力を得、まちを歩き回り、まちの問題を発見し、自分で考え、中央商店街の活性化や駅前の開発について、市役所に企画書を提出したり、ポスターを作るなどして提言する。「町の先生」の協力と、真剣に学ぶ子ども、それを見守るまちの人々の理解、学校側の働きかけと努力等に恵まれ、また、「町づくり学習」の専門家の支持も得て、この授業は好評を得ている。「まちの人がまちづくりに無関心で泣ける」という子供達に対し、「いろいろな考え方の人がいる中で、自分は何ができるのか、考えることが大切だ」と教え、市民意識の萌芽を育てることを目標としている(図表4-2-6)。



(注)大規模知識データベースから人間が思いもつかなかった規則性をもって「点」と「点」の情報を自動的に結び付け、意義ある情報とする手法。

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