III.結び
人と人とを「つなぐ」ことで、復興過程は満たされていく。しかし復興は一様に進むわけではない。人の人生と同じく山あり谷ありである。復興の初期において注目すべきなのは、この国には困難の後に、必ずや「復興バネ」とも言うべきものが働くということである。茫然自失と悲哀の最中にあって、「まずはこれをせねば」という具体的目標が設定された時、この国の人々はまなじりを決して勢いよく立ち上がる。そして一心不乱に復興の実現に寄与していく。ふと気づくと当初の「悲惨」から再生への過程のなかで「希望」のあかりがあたりを照らし出しているではないか。
復興が苦しいのもまた事実だ。耐え忍んでこそと思うものの、つい「公助」や「共助」に頼りがちの気持が生ずる。しかし、恃むところは自分自身との「自助」の精神に立って、敢然として復興への道を歩むなかで「希望」の光が再び見えてくる。だから自ら人とつなぐはよし、いつのまにやら人とつながれていたでは悲しい。復興への苦闘のなかでこそ、人は主体性を取り戻し、そこに「希望」を見出していくのだから。
こうして見出された「希望」は、この国の若い世代に積極的なメッセージとして発信されねばならない。それは復興への参加を通じて、この国に住み続け、この国をよくしようと思える何らかの果実が、若い世代の心のなかに生まれることだ。この国が好きだ、この国と「共生」しようと思ってくれるか否か。復興の先に、若い世代を主体とするこの国の姿を見出したい。
のど元過ぎれば熱さ忘れるという格言がある。「災後」の「減災」の考え方が、この国に定着するかどうか。かつて地震学をも研究した寺田寅彦はこう言った。関東大震災から12年たった時のことだ。「いつ来るかもわからない津波の心配よりも、あすの米びつの心配のほうがより現実的である」と。われわれもまたこの誘惑に負けそうになるかもしれぬ。
しかし寅彦の警句を超える手強い事態があることを忘れてはならない。何あろう、それこそが未だ解決の契機を得ず原発事故に苦しみ続けるフクシマの姿に他ならない。もはや「元のもくあみ」にはなれぬことを、原発事故は明示しているからだ。
地震と津波は今後もおこりうるという前提の下、「減災」の考え方で進むことになる。では、原発事故については、果たしてどうなのか。
フクシマ再生の槌音は、いくら耳をすませても聞こえてはこない。その地はまだ色も香もない恐怖の君臨に委ねられている。だから、静かな怒り以上のものにはなりえない。フクシマの再生を世界の人々とともに祝(ことほ)ぐことのできる日が少しでも早く来たらんことを、望んでやまない。
以上をもって、われわれの「提言」は終わる。
われわれは、まず、「減災」の考え方に基づく市町村主体の新しい地域づくりの方法を提案した。
次いで、地域再生のため、さまざまな産業の活性化の方向性を提示した。
さらに、原子力災害に対する対応策を示すとともに、再生可能エネルギー推進による、日本のエネルギー構造の新たな方向を提唱した。
その上で、つながり支えあうことによる開かれた復興への道筋を提起した。
大震災からの復興の槌音が、日本全体の再生に結びつくことをわれわれは深く願う。
この「提言」は、「悲惨」のなかにある被災地の人々と心を一つにし、全国民的な連帯と支えあいのもとで、被災地に「希望」のあかりをともすことを願って、構想されたものである。
政府が、この「提言」を真摯に受け止め、誠実に、すみやかに実行することを強く求める。